デーブ・オーナウアー

今年3月13日、日米の学生同士が対戦するアメリカンフットボールの親善試合「トモダチボウル」が東京都調布市のアミノバイタルフィールドで開催された。試合終了後、嘉手納基地ハイスクールの最上級生でチームUSAのメンバーの一人、ドミニク・サンタネリは跳ねるように表彰台に登り、主催者から優勝トロフィーを受け取った。マイクが向けられると、彼はにこっと笑い、試合の目的と日米両選手の気持ちをソフトな語り口で簡潔にこう語った。「米国を代表して最高のアスリートと戦うのは名誉なことです。最高です」

トモダチボウルのトロフィーを受け取るチームUSAのドミニク・サンタネリ(左)とティム・プジョル・コーチ (Photo by Dave Ornauer)

トモダチボウルのトロフィーを受け取るチームUSAのドミニク・サンタネリ(左)とティム・プジョル・コーチ (Photo by Dave Ornauer)

そして午後の日差しが西に傾くなか、双方の選手たちはフィールドの端で食べ物や飲み物を広げ、交流会を楽しんだ。

トモダチボウルは昨年までに4回開催されてきた。第5回大会の今年、26対6で4度目の勝利を飾ったチームUSAのメンバーは、米国国防総省が所管する日本と韓国の高校に通う32人。対する日本のチームライジングサンは、首都圏の高校3年生と大学1年生55人で構成されていた。

冷え冷えする曇りがちの日曜日、試合は優に2時間半続いたが、試合後両チームの選手たちはチームに関係なく交流し、写真を撮るなどして友情を育んだ。

出場しているクラスメートを応援するアメリカンスクールの生徒たち (Photo by Dave Ornauer)

出場しているクラスメートを応援するアメリカンスクールの生徒たち (Photo by Dave Ornauer)

「(日本のチームにとって)とても良い機会だ」とチームライジングサンのコーチでハワイ出身のデービッド・スタント氏は言う。日本のXリーグで20年間リクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)のコーチを務めた後、慶応大学のコーチとなり4年目である。日本の選手同士のパートナーシップを深め、アメリカの選手と固い絆を結ぶ機会を提供することが、トモダチボウル本来の目的だ。「日本の選手にとって、アメリカの選手に立ち向かう最初で最後のチャンスかもしれず、またアメリカンフットボール発祥の地から来た選手と比べて、自分たちのレベルを知る機会にもなる」とスタント氏は言う。

「要は人間同士のつながりだ」と、沖縄のクバサキハイスクールで長くコーチを務め、チームUSAのアシスタント攻撃コーディネーターだったフレッド・ベールズ氏は言う。「学校、チーム、コミュニティーのため、君たちはUSAの文字が書かれたユニフォームを着て、国を代表している。とても名誉なことだ」

トモダチボウルは、2008年と2009年の3月に川崎スタジアムで開催されたグローバルチャレンジボウルを起源とする。日米のU-19(19歳以下)の選手が戦い、いずれの年も日本が勝利した。

Global Challenge Bowl 2009

グローバルチャレンジボウルのポスター (Image from http://www.nfljapan.com)

しかし、さまざまな事情でこの大会の開催が困難になった。そこで2009年末、関東学生アメリカンフットボール連盟の平澤幸一郎氏が、横田基地ハイスクールのコーチ、ティム・プジョル氏に働きかけ、東京近郊の米軍基地のハイスクールに通うアメリカ人選手でチームを作る計画を持ちかけた。ここから2010年に「カメリアボウル」が生まれた(「カメリア」という名前は、川崎市の木であるツバキ=camelliaにちなんでいる)。川崎スタジアムで開催された第1回大会では、チームUSAが神奈川県選抜の日本の高校生チームに勝利した。

カメリアボウルの第2回大会が2011年3月12日に開催されるはずだったが、前日に東日本大震災が発生して中止になった。しかし両国の関係者は、米軍と自衛隊が被災地の救援活動で連携したトモダチ作戦を記念して名称を「トモダチボウル」に変えて大会を続け、東北地域の復興を支援したいと考えた。

このようにしてトモダチボウルは始まった。2012年の第1回から2014年の第3回まで、チームUSAが大差で連勝した。その後日本チームは選手選考の方法を変え、大学の1年生と2年生の選手175人でトライアウト(選手選考会)を行い、そのうち55人がチームライジングサンの選手名簿に登録された。その結果、2015年3月8日アミノバイタルフィールドで行われた第4回トモダチボウルでは、チームライジングサンが100対22で大勝した。

第5回大会に向け、日本チームは再び選抜方法を変え、大学1年生と、首都圏の大学の付属高校の3年生でトライアウトを行った。大会前、日本の選手たちは5週にわたり週末に練習したが、アメリカ側がチームとして集まることができたのは計18時間のみで、3回しか練習できなかった。「あえて言うが、彼ら(チームライジングサンの選手たち)はもっとうまくなるだろう」とプジョル氏は語る。

試合前のセレモニーが厳粛に行われた。一方スタジアムの南西側には売店が並び、「タッチダウンカレー」や「トモダチブレッド」など、このイベントにちなんだ食べ物をふんだんに提供していた。さまざまな年代のユース・チームの試合が午前10時から始まり、試合開始1時間前まで続いた。

選手たちのウォーミングアップ後、国旗が掲げられ、国歌を斉唱した。また東日本大震災の犠牲者、負傷者、行方不明者に黙とうがささげられた。そして先攻後攻を決めるコインが投げられた。

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試合はトモダチボウル史上まれな接戦だった。スコアは26対6でチームUSAが勝ったが、「これまでの試合のなかで最もいい勝負だった。日本チームは全体的な組み立てがうまくいっていた」と横須賀基地ナイル・キニックハイスクールのコーチ、ダン・ジョリー氏は述べた。

試合後、両チームで活躍したオフェンス、ディフェンス、最優秀選手にトロフィーが贈られた。その後は交流会で両チームの選手たちは大いに盛り上がった。「みんな、食べ物があるぞ!」と叫んだのは、韓国のハンフレーズハイスクールの最上級生ジェイリン・バーマーだった。「僕が一番乗りだ」と応じたのは、座間アメリカンハイスクールのジェイコブ・マーティン。

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「両チームの選手が対戦するのは双方に大きな意義がある。絆ができ友達になるからだ」。スタント氏はこう言って、選手たちが友情を育む様子を見つめながら微笑んだ。

2016年3月13日に開催された「トモダチボウル」の映像 (Jnet TV YouTube Channel)

デーブ・オーナウアー
Stars and Stripes紙のスポーツライター・フォトグラファー。沖縄在住。2010年のカメリアボウル、2012年以降はトモダチボウルを毎年取材している。ツイッター@ornauer_stripes