「米国の旗艦、空母『ロナルド・レーガン』は、米国人と強いつながりを持つだけでなく、日本国民とも絆で結ばれている」。第7艦隊戦闘部隊司令官ジョン・アレキサンダー少将はこう述べた。「ロナルド・レーガンは、2011年の東日本大震災の直後の『トモダチ作戦』に参加した緊急救援部隊の一翼を担っていた。この船と日本の絆は今後も深まっていくだろう」

USS Ronald Reagan

横須賀に入港した空母ロナルド・レーガンの甲板に人文字で書かれた「はじめまして」 (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 3rd Class Nathan Burke)

ニミッツ級の超大型原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」は2015年10月1日、第5空母打撃群の旗艦「ジョージ・ワシントン」と交代するため日本に到着した。第7艦隊に所属する同打撃群は米国唯一の前方配備型空母打撃群で、横須賀基地を母港とする。

ロナルド・レーガンは2001年に進水した。全長333メートル、海面からの高さは20階建てのビルに相当する。戦闘機60機を搭載し、約4400人が乗り組むこの船はまるで1つの町のようで、専用の病院、食料品店、ジム、テレビ・スタジオ、礼拝堂、理髪店などを備えている。2基の原子炉は、必要に応じて時速56キロを超える速度で空母を推進させる一方、小規模な都市に供給できるほどの電力と、乗員全員が使用するのに十分な真水を作り出す能力を有する。

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横須賀に入港した空母ロナルド・レーガン (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Kevin V. Cunningham)

「我々は、米国西海岸を拠点とする最も近代的な空母を派遣する。インド・アジア太平洋地域と同盟国の安全保障、安定ならびに繁栄を支援するためだ」と海軍航空隊司令官マイク・シューメーカー中将は言う。

ロナルド・レーガンは、これまで何度となくこの地域で人道支援と災害救援活動を実施している。2008年に台風フェンシェンがフィリピンを襲い壊滅的な打撃を与えた後は、現地の被災者に生活必需品を届けた。またこの台風のさなか、マニラ南方300キロのシブヤン島沖で不運にも転覆したプリンセス・オブ・ザ・スターズ号の引き揚げ作業を支援した。この船には乗客・乗員合わせて864人が乗船していた。

2011年3月11日、壊滅的な地震と津波が東北地方を襲ったとき、ロナルド・レーガンは訓練任務ですでに朝鮮半島の海域に展開していた。進路を変え日本に向かった空母は仙台沖に停泊し、救援任務に取り組む日本の海上保安庁や自衛隊のヘリコプターの洋上給油拠点となった。また米海軍のヘリコプターも同空母から救援任務に飛び立った。トモダチ作戦のピーク時には、およそ2万4000人の米軍兵士と航空機189機、米海軍の艦船24隻が人道支援と救難活動に携わった。

2011年当時、米海軍厚木航空施設に配属されており、現在はロナルド・レーガンに乗り組んでいるケニー・セベネロ少尉はこう言う。「何隻もの商船が1キロほど内陸に打ち上げられていた。ビルの屋上に押し上げられた旅客用フェリーもあり、町は壊滅状態にあった」。彼は今でも「トモダチ作戦」の記章を右腕に着けている。「15年間の海軍勤務でいろいろな場所に行き、さまざまな任務に就いたが、その中でもトモダチ作戦は非常に印象に残っている。だから今もこの記章を着けているのだ。我々は大きな役割を果たしたし、当時は日本が自分の“ホーム”だった」

「家や運送用コンテナなどあらゆる物が海に浮かんでいた。まるで海上に新しい陸地ができたように。だが全部がれきだった」。トモダチ作戦を遂行中、ロナルド・レーガンで勤務していたアルバート・ドローンズ大尉は、自身の経験についてこのように語った。「捜索救助は、任務の中で最もやりがいがある仕事だ。多くの戦闘任務にも携わるが、人を助けるために出動するときの方が意義深く感じる」

ロナルド・レーガンに乗り組んでいた海軍兵士たちは、個人的に寄付した物資を集め、避難所で生活する被災者に送る活動にも取り組んだ。「自分が持っている衣類や毛布を全部かき集め、できるだけたくさん寄付した」。アドリナ・バスケス三等下士官はこう言う。「寄付したものは衣類、靴、毛布、食品、飲料水などだ。ロナルド・レーガンのすばらしいチームの一員であることを大変誇りに思う。ロナルド・レーガンの乗員は、日本国民のために持てるものを全て提供したと、誇りを持って言うことができる」

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多くの日本の住民が、震災時の米軍の災害救援活動に深い感謝の気持ちを表わしてくれた。宮城県在住のある男性は「宮城県大島にホバークラフトで来てくれて、住民の意見をよく聞いてくれました」とフェイスブックでコメントした。「がれきと化した家屋を、住民を振り返り振り返り、確かめながら片付けてくれた優しい気持ちを覚えています。別れ際に日本の女子学生が泣いていましたね」。別のフェイスブック・ユーザーは「地震の後、空母ロナルド・レーガンが現れたとき、我々は大いに勇気づけられ、自信を持ちました。日本への帰還を歓迎します」

2015年8月、日本政府関係者と米海軍幹部が、サンディエゴに停泊中のロナルド・レーガンを訪れ式典と艦上ツアーに参加した。その一人、在米日本大使館の泉裕泰公使はこのように語った。「今日では、日本の領海における米国の空母は、平和と友好の象徴である」。そしてこう付け加えた。「空母ロナルド・レーガンは、2011年の東日本大震災で日本を支援した。これこそ、日本と日米同盟にとってロナルド・レーガンが意味するものだ」

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ケーキに入刀してロナルド・レーガンの横須賀到着を祝うケネディ大使と関係者たち (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 3rd Class Ryan N. McFarlane)