圓子博子

今年の夏、東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市のジュニア・ジャズバンド「スウィング・ドルフィンズ」が、TOMODACHIイニシアチブと国際交流基金の支援を受け、ニューオーリンズを訪問しました。この旅には、アメリカ大使館広報・文化交流部の圓子博子さんもボランティアとして同行しました。この記事は、圓子さんから見たドルフィンズと地元の人々と交流の様子です。

swing dolphins in New Orleans

(筆者撮影)

7月31日 水曜日

やっと着きました。ニューオーリンズ。東京と同じような暑く湿った空気。7月31日午後3時55分成田発、ヒューストンでの乗り継ぎを経てルイ・アームストロング・ニューオーリンズ空港に到着したのは、現地時間7月31日午後6時06分。合計16時間11分の長い旅でした。

「日本のサッチモ」と呼ばれる外山喜雄さんと奥様の恵子さんに初めてお会いしたのは、もう30年近く前。その後私が仕事を変わっても、不思議とあちこちでお二人と関わってきました。そして常々、外山さんのプロジェクトにもう少し参加できないかと考えてきたのですが、今年の夏、気仙沼のスウィング・ドルフィンズがニューオーリンズに行くことが決まり、何か役に立てるのではないかと、ボランティアで参加することに決めたのです。

ニューオーリンズでの第一夜、ホテル近くのレストランで夕食です。メンバーはそれぞれ10ドルを受け取り、メニューを研究して、カウンターで注文します。アメリカで初めての食事なのに、みんな結構楽しそうにごく普通に食べています。なかなかの適応力です。

8月1日 木曜日

Swing Dolphins visit L.B. Landry - O.P. Walker College and Career Preparatory School

(写真提供 小泉良夫)

午前中はニューオーリンズ市内観光で、現存するアメリカ最古の大聖堂セントルイス大聖堂 、そしてルイ・アームストロング公園 へ。アームストロングやジャズバンドの像と一緒に、そしてジャズが生まれたコンゴスクエア でも記念撮影。昼食は ニューオーリンズ在住17年のプロのドラマーで、今回の旅のお世話をしてくださるマユミさんの案内で、ジャズトランペッターのカーミット・ラフィンズさんのレストランへ。南部風フライドチキン、ナマズのフライ、レッドビーンライスなどのメニューです。この日はカーミットさん自身もお店に出ていて、メンバーと記念撮影も。

午後はランドリー・ウォーカー高校へ。昨年来日したバンドの出身校O・P・ウォーカー高校が、L・B・ランドリー高校と今年合併してできた高校です。いつもスタジアムで演奏するマーチングバンドは、なかなかの迫力です。外山さんとデキシーセインツ、そして外山さんと私の知り合いでもあるトロンボーンのアイラ・ニーパスさんも加わり、マユミさんもドラムで参加して、楽しい交流会に。初めは緊張気味のメンバーも次第に打ち解け、ダンスとプレゼント交換会の後、名残惜しく学校を後にしました。

8月2日 金曜日

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(筆者撮影)

地元テレビWWLTVのモーニングショーに出演。朝早くからスタジオ入りし、待ち時間も長いのですが、さすが「プロ」。カメラが向くとドルフィンズの顔つきが変わります。生放送が終わると、日本が大好きな番組スタッフからのおにぎりの差し入れに大喜び。続いてマーティン・ベーマン・チャーター・スクールでの交流会。司会のミッチェル先生が機械翻訳を使った日本語でプレゼンテーション。時々おかしな翻訳が出てきて笑いがもれます。ブラスバンドの歓迎演奏に続き、外山さんたちと一緒にスウィング・ドルフィンズも演奏のお返し。昼食会では、スマートフォンの翻訳ソフトとジェスチャーでお互いに意思疎通をして、大人の出番はありません。ここでもダンスとプレゼント交換の後お別れです。

8月3日 土曜日

Swing Dolphins perform at Satchmo SummerFest

(写真提供 小泉良夫)

いよいよサッチモ・フェスティバル。スウィング・ドルフィンズの演奏は12 時15分開始。小柄な日本の子供たちによる大人顔負けの演奏に合わせて踊りだす人も多く、スウィングジャズをたっぷり楽しんでいるようです。地元の新聞やラジオ、テレビ局に加え、日本のテレビ局や新聞の取材も。

夕方、ティピティナス財団のレセプションへ。音楽を通じた日米交流と絆が再確認され、ニューオーリンズ市議会のクラークソン議長からメンバー一人ひとりに感謝状 が手渡されます。即興のピアノ演奏の共演や、昔日本を訪れたことのある年配の方などもいらっしゃいます。歩いてホテルに帰る途中で、「日本から来たスウィング・ドルフィンズか?」とか「テレビで見たよ」と声をかけられ、ちょっと有名人の気分に浸ったメンバーです。

8月4日 日曜日

Jazz mass at Saint Augustine Catholic Church

(筆者撮影)

この日は、3時まで自由行動だったので、私は外山さんのグループに合流し、セント・オーガスチン教会 のジャズミサへ。教会は観光客が多く、神父さまが「私には夢がある。毎週日曜日に今日のように大勢の人が教会にきてくれるように」と言って、笑いを誘います。後半は聖歌隊、ジャズバンド、そして外山さんも加わったジャズミサでした。そして、サッチモ・フェスティバル会場までのセカンドライン・パレード。バンドもいくつか参加し、観客も参加できる自由なパレードです。暑い中みんな楽しんでいます。

夕方、ライブハウスのティピティナスでは、スウィング・ドルフィンズをはじめいくつかの若いグループが出演。ドルフィンズは2番目に登場、スウィングジャズに体を揺らし、楽しそうに踊るお客さんもいます。演奏が終わると、メンバーは聞きに来てくれたベーマン・チャーター・スクールのミッチェル先生や生徒と一緒に踊ったり、笑ったり。

swing dolphins

(写真提供 小泉良夫)

8月5日 月曜日

フレンチ・クオーター、ジャクソン・パーク、フレンチマーケットを歩き、バスでミシシッピ川を超えハリケーン・カトリーナの被害が最も大きかった第9区へ。かつてはぎっしり家が建っていたという住宅地も、修復が済んだ家があるかと思えば崩れかけた家もあり、家の土台だけが残る区画もあります。またブラッド・ピットらが始めた住宅プロジェクトによる高床式の新しい住宅や(日本の建築家伴茂さんによる家も)、家を失ったミュージシャン用の新しい家が並ぶミュージシャンズ・ビレッジ 、R&Bとロックンロールの歌手ファッツ・ドミノの家もあります。雑草の生えた空き地を見ると、もう7年も経ったのに…と複雑な気分。

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(筆者撮影)

昼食後プリザベーション・ホールへ。とても古く、予想よりずっと小さな場所で、空調もなく昔のままにしてあるそうです。そこでニューオーリンズで活躍するピアニストのワタナベ・マリさんとチューバ奏者による、ドルフィンズ・メンバーとのちょっとしたワークショップ。その後、蒸気船ナチェス 号船着場で演奏。聴衆は多くはないけれど、楽しんでくれたようです。ひとりのご婦人が、スウィング・ドルフィンズと気仙沼のことを知り、寄付を申し出てくださったので、ティピティナス財団を紹介。そして蒸気船のクルーズへ。夕食後、暮れ行くミシシッピ川とニューオーリンズの夜景、この街で最後の夜です。

8月6日 火曜日

Swing Dolphins take swamp tour

(筆者撮影)

スワンプ・ツアーへ。アライグマ、アオサギ、ミズスマシ、でも人気はもちろんアリゲーター。昼食後ラフィエットへ向かいます。スーパーで少々買い物。メンバーは徐々に英語に慣れ、使い始めています。夕食は、レストランでケイジャン料理。皆で初めてアリゲーターミートのフライを少し食べてみます。あっさりした肉です。隣に座っていたおじさんはメンバーを見て、若い頃日本に住んでいたことを思い出しています。誰とはなしに着ている黄色のポロシャツにサインをし始め、バスドライバーのダイアンさんも加わってサイン会。

8月7日 水曜日

バスでバーミリオンビル・リビングヒストリー・アンド・フォークロア・パークへ。アボゲル族のチーフ、ジョン・シティング・ベアさんの案内で園内を見学。人類学を専攻した私にとっては、一日かけてゆっくり見学したい場所です。ラフィエット・チタ・デアートでドルフィンズ最後の演奏。ケイジャン音楽とダンスに気仙沼の盆踊りで応じるメンバーもいます。

8月8日 木曜

早朝まだ暗い中空港へ。ティピティナス財団のスタッフ、そしてマユミさんともお別れ。皆元気で初のニューオーリンズ旅行を終えました。「帰りたくない」というメンバーや、「アメリカの学校に行きたい」と言うメンバーもいて、将来が楽しみです。

group photo of Swing Dolphins

(photo by Daniel Erath)

さて、メンバーはその後、しっかり夏休みの宿題を終わらせることができたのでしょうか。旅行中のことをいろいろと思い出しているのでしょうか。後になって、2013年の夏に楽しい時間を過ごした、アメリカを少し体験した、と思い返す。それでいいのだと思います。私自身も、役に立ったかどうか疑問は残りますが、一緒に楽しんだ旅でした。ドルフィンズのみなさん、ありがとうございました。