A・S・ファインバーグ

1 Exterior View, The Noguchi Museum, NY

クイーンズのロングアイランド・シティ。この町は、摩天楼がそびえるマンハッタンから地下鉄ですぐの場所にあるが、その静かな通りに立つと、とても遠くに来たような気がする。労働者階級が多く住むこの地域には、家やレンガ造りのアパートや産業用のビルが立ち並び、その多くは芸術家のアトリエに転用されてきた。その一角に世界的に有名な芸術家、イサム・ノグチの美術館がある。

日系アメリカ人のイサム・ノグチはニューヨークでの生活が長かったが、人生最後の20年余りは日本の地方の町にもアトリエを構えていた。そして幼少期も、アメリカ人の母と日本人の父、双方の母国で過ごした。彼のアイデンティティーと創造力は、最初に彫刻を学んだアメリカの大都市ニューヨークと、少年期の大半を過ごした日本の海辺の町、そして生涯に旅した世界中のさまざまな場所で育まれた。

ノグチ美術館は、1988年にノグチが亡くなる3年前に開館した。存命中の芸術家が設立したアメリカ初の美術館であり、2つの全く異なる文化が生んだ芸術家による素晴らしい作品を鑑賞できる。ノグチが使っていたアトリエから道路を挟んで反対側にあるこの美術館には、彼の資料や世界最大の作品コレクションが収容されている。

偉大な彫刻家が自ら設計した心安らぐオアシス

Isamu Npguchi, Cullen Sculpture Garden

1986年4月、自らが設計したテキサス州ヒューストンのカレン彫刻庭園を見て回るイサム・ノグチ。このとき82歳だった  (AP Photo/R.J. Carson)

ある夏の日曜日の朝、私はノグチ美術館を訪れた。マンハッタンとクイーンズを隔てるイーストリバーから程近い場所にある、何の変哲もない建物だ。第1展示室に入ると、高い天井の開口部から外に伸びている細い木のそばに、赤さび色と灰色の玄武岩でできた彫刻が置かれていた。そこから彫刻庭園に通じる戸口から外に出た。散策したり、腰を下ろしてノグチが制作した石の彫刻の眺められるこの庭園は、とてもリラックスできる場所で、建物の中からも見ることができる。美術館の中では、他の見学者にあまり遭遇することなく部屋から部屋へ館内を見て回ることができた。ニューヨークではめったに味わえない喜びだ。展示されている多くの作品は素晴らしいものだが、美術館全体の見学も同じように心に残った。   ノグチ美術館のジェニー・ディクソン館長によると、ノグチ自身が設計した彫刻庭園は「美術館見学のハイライトであり、見学者の多くは美術館自体をノグチの最高傑作のひとつとみている」そうだ。

各展示室はほとんどが明るくて広い。美術館の建物は1920年代に写真製版工場として使われていたものであり、ノグチの作品の展示には理想的である。ピンク色の大理石、黒曜石、花こう岩などで作られた彫刻のほか、和紙を使った有名な照明や、家具、描画も展示されている。

The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, garden

11 Installation View, The Noguchi Museum

展示室を見学した後、庭園に戻った。庭園では時々コンサートが開かれるが、この朝はとても静かだった。庭園の彫刻作品を見て回っていると、日本人の家族がやってきて、一瞬にぎやかになった。彼らは「家族のための美術」プログラムに参加するために会場に向かっているところだった。日本人や日系アメリカ人の見学者がノグチの作品に関心を持っているため、ノグチ美術館は家族や子ども向けの日本語プログラムを開催するほか、日本語でのツアーや情報提供も行っている。

ノグチが受けたさまざまな文化の影響

イサム・ノグチは1904年、ロサンゼルスで、アメリカ人の母親と日本人の父親の間に生まれた。父親は有名な詩人だった。両親はノグチが生まれてすぐ別れたため、その後父親とはほとんど会うことがなかったが、母親はノグチがまだ幼いころに彼を伴って日本を訪れ、最終的には茅ヶ崎に居を定めた。2人はノグチが13歳で寄宿学校に入学するためにアメリカに戻るまで、茅ヶ崎の小さな家に住んでいた。幼少期の日本での生活が、ノグチの人生と芸術に大きな影響を与えた。Isamu Noguchi with Akari in his studio, c. 1960s

ノグチはニューヨーク市の大学に入学し、彫刻の勉強を始めた。その後、パリでも勉強を続け、1942年にグリニッチビレッジにアトリエを開いた。数十年後、ノグチは四国の石の作家とパートナーを組み、以来長年にわたり共同で制作を続けた。彼は芸術のためにインスピレーションを求めて、生涯を通じ世界中を旅した。

ノグチが国際的なバックグラウンドから影響を受けたことは、「アワオドリ」や「シバ・ペンタゴナル」のような多くの彫刻作品の名前を見れば明らかだ。自然からインスピレーションを受けたことも、「ブラックヒル」や「ダブル・レッドマウンテン」のような多くの作品に見て取ることができる。コレクションを見ていくうちに、ノグチの作品が石の彫刻だけでないことに気づいた。彼の造園プロジェクトにはマンハッタンの銀行の広場や、パリのユネスコ本部の庭園などがある。彼がデザインした作品にはソファやテーブルのような日常使いの家具、30年以上にわたり協働した偉大なモダンダンスの振付師、マーサ・グラハムの舞台装置などがある。そして有名な「あかり」シリーズの照明。これは、岐阜市長から低迷する地元のちょうちん産業の再活性化への支援を求められた際にデザインした、和紙と竹を使った照明である。   「初めて美術館を訪れる人は、ノグチの作品の一部についてある程度の知識を持っていることが多いが、必ずしも彼のキャリアが60年以上に及んでいることを知っているわけではない」とディクソン館長は言う。「この美術館はノグチの生涯の事業の集大成だ」14 Shop and Cafe, The Noguchi Museum

他の美術館とは違う体験

Jacqueline Kennedy Onassis

1985年10月、ロングアイランドのノグチ美術館で開かれた夕食会で言葉を交わすジャクリーヌ・オナシスとイサム・ノグチ (AP Photo/David Bookstaver)

ノグチ美術館では、彼の仕事についてあまりよく知らない人も、他の美術館とは全く異なる体験ができる。しかし、日本とアメリカで過ごした彼の人生に思いをはせながら彼の作品を鑑賞する方が、より味わい深いのは確かだ。彼はかつてインタビューでこう語っている。私は「2つの国の重荷を負って生まれてきた」と。

1988年に亡くなるころには、ノグチはすでに世界的に有名で影響力のある芸術家だった。ノグチ美術館は彼の生涯と功績をたたえるすてきな記念碑だ。クイーンズの片隅の静かなオアシス、ノグチ美術館の見学は、ニューヨークの旅のハイライトとして、ノグチの活動をより深く知る素晴らしい機会になるだろう。

ノグチ美術館は2015年に開館30周年を迎え、特別展の開催や出版物の刊行が予定されている。