2011年3月11日の東日本大震災の後、米国の多くの都市が、被災した姉妹都市の支援に立ち上がりました。全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International)によると、日米間には188に及ぶ姉妹都市提携があり、広範なネットワークで結ばれています。そうした関係の多くが提携から40周年あるいは50周年を迎えています。姉妹都市は人と人との交流により長期的な関係を築きます。こうした個人的つながりが、惨事や自然災害の発生に際し姉妹都市のネットワークによる支援活動を促す力となります。

東北大学への支援のシンボルとしてカリフォルニア大学リバーサイド校の学生が作った旗。この旗はラブリッジ・リバーサイド市長から奥山仙台市長に手渡され、最終的には東北大学に展示される予定です(写真提供 リバーサイド市)

カリフォルニア州リバーサイド市と宮城県仙台市は1957年に姉妹都市として提携しました。米国で今も続く姉妹都市関係のうち、最も古いもののひとつです。過去50年間に両市は、美術館、市民、青少年、政府同士の交流プログラムを多数実施してきました。2007年には姉妹都市提携50周年を記念し、仙台市がリバーサイド市内のホワイトパーク公園に日本庭園を贈呈しました。庭園には立派な日本の石灯籠が置かれ、その傍には「両市の友好の絆がとわに続くことを願って」と記された碑があります。リバーサイド市から仙台市に贈られた50周年の記念品は、リバーサイドのかんきつ類の産地としての伝統と両市の長年の絆を記念する巨大なオレンジの置物でした。

仙台市の津波被災地を視察するラブリッジ・リバーサイド市長(写真右)とアチャリア・リバーサイド市国際課長(写真提供 リバーサイド市)

リバーサイド市と同市の国際関係協議会は、震災後すぐに仙台市のために救援活動を組織し、その活動に活発に取り組みました。仙台救援基金を通じて集まった義援金は50万ドルを超え、リバーサイド市長が仙台市を訪問し、復興活動に活用してほしいと、仙台市長に直接手渡しました。リバーサイド市消防局の消防士たちも「仙台ために長靴を一杯に(Fill the Boot for Sendai)」と称するチャリティー・イベントで街頭に立ち、募金活動をしました。

リバーサイド航空ショーで仙台市のために寄付を募るリバーサイド市の消防士(写真提供 リバーサイド市)

カリフォルニア州のフォートブラッグ市と岩手県の大槌町は、2011年に姉妹都市提携10周年を迎えました。両都市の提携のきっかけをつくったのは、幼い頃に漁船の事故で父を亡くした大槌町のある男性でした。彼は子どもの頃よく崖の上に座って海を眺め、父親の姿を探したものでした。大人になってからは、海の向こうには何があるのだろうと思い巡らすようになり、地図上に太平洋を横切る線を引いてみました。すると大槌町と全く同じ緯度にフォートブラッグという町があることが分かりました。2001年、彼はフォートブラッグ市長に連絡を取り、大槌町に招待しました。その後、相互交流が始まり、2005年にフォートブラッグ市と大槌町は正式に姉妹都市となりました。

宮城県仙台市の被災地域で花を手向けるデラウェア州長官(写真提供 デラウェア州政府)

愛する姉妹都市の大槌町が壊滅的な被害を受けたことを知り、フォートブラッグ市民はショックを受けました。大槌町の人口1万5000人のうち、町長を含む少なくとも1500人がこの災害で亡くなったのです。大槌町救援基金の創設のため、フォートブラッグ・大槌町文化交流協会のメンバーが動員されました。家や仕事、家族を失った大槌町の人々のために義援金を集めようとフォートブラッグ市全体が力を合わせた結果、人口わずか7000人のフォートブラッグ市が、250万ドルを超える義援金を集めました。

宮城県支援のための昼食会で日本からの一行と約200人のデラウェア州民を出迎えるジャック・マーケル州知事(写真中央)。この昼食会ではおよそ5万ドルの義援金が集まりました(写真提供 デラウェア州政府)

テキサス州ではフォートワース国際姉妹都市協会が日本地震救援基金を創設して2万ドル近い義援金を集め、姉妹都市の新潟県長岡市に送りました。長岡市は地震や津波の被害を受けませんでしたが、1万4000人の被災者に避難所や生活必需品を提供しました。同協会は青年大使チームを日本に派遣し、被災者を支援するボランティア・プロジェクトに参加させるとともに、フォートワース全市を挙げての募金活動を記録したビデオを長岡市職員に渡しました。

オハイオ州ユークリッド市の姉妹都市である福島県楢葉町もまた、震災で大きな被害を受けた町のひとつです。人口およそ8000人のこの農業の町は、福島第一原子力発電所の事故で全町避難を余儀なくされました。楢葉町の住民のふるさとでの生活再建や他県への転居を支援するため、ユークリッド市議会のグレッグ・バン・ホー議員は被災者支援基金を設立し、楢葉町の住民に直接渡る義援金を企業や個人から集めました。

デラウェア州主催の昼食会の参加者に日本の状況を知ってもらうため会場に用意された展示品(写真提供 デラウェア州政府)

州と県のレベルでは、デラウェア州が1997年から宮城県と正式な姉妹県州の関係を結んでいます。デラウェア州は震災後、宮城県の救援・復興活動を支援する基金をデラウェア・コミュニティー財団に設置し、10万ドル以上の寄付を集めました。デラウェア州から宮城県に送られた義援金は、主に震災で片親や両親を失った子どもの支援、地震後の緊急必需品の購入、県のインフラ復旧プロジェクトの資金援助に向けられました。デラウェア州の学校と生徒はそれぞれの募金イベント、小銭募金運動、手作り菓子を販売するバザーなどの募金活動を主催し、日本の友人を支援するために多くの義援金を集めました。2011年10月にデラウェア州長官が宮城県を訪れ、仙台市の被災地域で白い花を手向け、犠牲者を悼みました。2012年1月には宮城県の代表団がデラウェア州を訪問し、震災後の州民からの支援に対し謝意を表しました。

東日本大震災後、米国中の人々がそれぞれの姉妹都市のために多額の義援金を集めたり、多くの励ましの手紙や絵を日本の人々に送るなど、できる限りの方法で支援の手を差し伸べました。日米両国の姉妹都市は教育や文化面での交流プログラムを通じ、困難な時期に互いに支え合う人々の強力なネットワークを築きあげてきました。このような人と人とのつながりは、日米関係をあらゆる災難に耐え得る強固なものとし、さらに強化するために不可欠です。

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