ジョイ・サクライ 在福岡米国領事館首席領事

私が尊敬してやまない人に、故ダニエル・イノウエ上院議員がいます。ハワイ州選出の上院議員の中で在任期間が最も長く、公職に就いたアジア系アメリカ人の草分け的存在でした。第2次世界大戦に従軍し、勲章も授与されました。光栄なことに、私は大学時代、ワシントンにあるイノウエ議員の事務所でインターンとして働いたことがあります。その時受けた影響が、外交官の道を目指すきっかけとなりました。

インターンシップ初日、私はとても緊張していました。イノウエ議員の事務所には大勢のスタッフが働いており、みな親切な人ばかりでした。そのうちの1人が、私に次のような言葉をかけてくれました。

「大丈夫、この事務所のインターンシップでは実質的な仕事をさせてもらえます。インターンの仕事は、コピーとりや郵便物整理だけではないから。イノウエ議員は、公職のなんたるかをインターンに理解してほしいと思っています」

事務所の首席秘書官がインターンに与えた仕事は、議員の業務内容の全体像がわかるようなものでした。私たちはそれぞれ個別の案件を担当し、自分の担当案件について有権者から問い合わせがあると、回答の草案を作成しました。また打ち合わせに出席したり、ハワイから来た有権者を連邦議会議事堂に案内することもしました。議事堂見学ツアーでは、まず上下両院議員会館と議事堂を結ぶ、議員専用の地下鉄に乗りました。この「秘密の」地下鉄のことを知っている人はほとんどいません。白く輝く連邦議会議事堂は、記念建造物であると同時に「政治の舞台」でもあります。高さ88メートルのドームの天井には、米国の歴史を物語る、見事な絵や装飾が施されています。イノウエ議員には、連邦議会議事堂の廊下の奥まったところに、もう1つ、荘厳な雰囲気を持つ、別の事務所がありました。これは、ごく少数の古参議員にのみ与えられる特権です。

イゲ米ハワイ州知事が福岡からの訪問団を迎えた際には、サクライ首席領事(右から3人目)も同席しました

イゲ米ハワイ州知事が福岡からの訪問団を迎えた際には、サクライ首席領事(右から3人目)も同席しました

イノウエ議員は時々インターンの席にきて、おしゃべりをしてくれました。しかし、何よりも私が感動したのは、ハワイからの訪問者に、敬意を持って丁重に対応していたことです。彼は時間が許す限り、地元からの訪問客を応接室に迎え、質問に応じ、心配事に耳を傾け、一緒に写真を撮っていました。また、事務所には、通常はアメリカ先住民族の首長のみが用いる羽のマントや髪飾りなどが飾られ、来る人を魅了していました。これらの品々は、イノウエ議員が支援した先住民族の人々から贈られたものでした。

イノウエ議員は、従軍中、イタリア戦線で右手を失くしました。にもかかわらず、訪問客や退役軍人から従軍への感謝の言葉がでると、いつも謙虚でした。私には、イノウエ議員と同じく、日系アメリカ人だけで構成される第442連隊戦闘部隊に所属し、第2次世界大戦を戦った大叔父が何人かおり、このことをイノウエ議員にお話ししました。大叔父たちは戦争の話を全くしませんでしたが、他の日系2世の人たちと共にアメリカのために戦ったことを誇りに思っていたはずです。イノウエ議員は自らの功績に非常に謙虚でしたので、この話を知っている人はあまり多くないのですが、彼は1989年から2012年に亡くなるまで、「メモリアル・デー」を現行の5月の最終月曜日から、元々そうであった固定された日(5月30日)に戻すよう働きかけていました。彼は長年にわたり、この祝日の変更を求め、国への奉仕で亡くなった全てのアメリカ人に敬意を表する日とする祝日の本来の趣旨を取り戻す法案を提出し続けました。軍人として、政治家として今まで達成してきた数多くの功績とともに、この利他の精神こそが、私を含めた多くの人たちに、公職に仕えた彼の志を受け継ぎたいと思わせてくれたと思います。