サイト・サーカン・ガーブズ

5月は「アジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間」です。このフォトギャラリーでは、米国社会に貢献してきた数え切れないアジア系米国人・太平洋諸島系米国人の中から何人かを紹介します。

上は、中国人の鉄道作業員が天秤棒を持つ様子を写した19世紀の立体写真です(1865年頃)。

米国西海岸と東海岸を結ぶ大陸横断鉄道であるセントラル・パシフィック鉄道を建設するため、約1万2000人の中国人労働者が雇われました。山岳地帯のトンネルを爆破するなど、彼らは危険な作業を行いました。

***

(© AP Images)

(© AP Images)

1959年7月29日、ハワイ州から下院議員に当選し、妻のマギーを抱きしめるダニエル・イノウエ氏。イノウエ氏は、米連邦議会初の日系人議員となりました。その後、米上院に選出され、2012年に他界するまで議員を務めました。

第2次世界大戦中、日系人兵士で構成された米陸軍第442連隊戦闘団に配属されていた時に、イノウエ氏は右腕を失いました。米軍は彼に数多くの勲章を授与しました。イノウエ氏の没後の2013年には、大統領自由勲章が授与されました。これによりイノウエ氏は、自由勲章と名誉勲章の両方を受賞した初の、そして唯一の上院議員となり、現在に至るまでそれは変わっていません。

***

(© Charles Ommanney/Getty Images)

(© Charles Ommanney/Getty Images)

2005年7月12日、受賞歴のある放送ジャーナリスト、アン・カリーさん(左)が、南アフリカ、ケープタウン近郊のカヤリシャの教室で、ファーストレディのローラ・ブッシュさんにインタビューしているシーン。

グアム生まれのカリーさんは、東南アジアや日本の津波、2010年のハイチ地震など、世界各地の紛争や人道的危機を数多く報道してきました。

***

(© Ted S. Warren/AP Images)

(© Ted S. Warren/AP Images)

2018年、ワシントン州ベルビューで開催されたマイクロソフト社の年次株主総会で質問に耳を傾けるサティア・ナデラ最高経営責任者。

フォーチュン誌はナデラ氏を2019年のビジネス・パーソン・オブ・ザ・イヤーに選出し、彼の「結果を重視した、チームベースのリーダーシップ」スタイルを評価しました。インドのハイデラバード出身。

***

(U.S. Air National Guard/Technical Sergeant John Hughel)

(U.S. Air National Guard/Technical Sergeant John Hughel)

2014年、米空軍退役を迎え、最後の飛行前にF-15Cイーグル戦闘機のはしごの上でポーズをとる第142戦闘航空団副司令官のジェフ・ファン大佐。機体に描かれた2つの緑の星は最後の飛行用に追加されたもので、1999年3月26日にコソボ上空で撃墜した2機の戦闘機ミコヤンMiG-29を表しています。

ファン大佐は韓国系米国人パイロットで、米空軍の「年間で最も功績のある飛行」に贈られるマッケイ・トロフィーを1999年に受賞しました。大佐は、コソボ紛争の「アライド・フォース作戦(Operation Allied Force)」を支援し、F-15Cで戦闘作戦中に敵機2機を同時に撃破しトロフィーを受賞しました。

***

(© John McDonnell/The Washington Post/Getty Images)

(© John McDonnell/The Washington Post/Getty Images)

1982年7月12日、ワシントンDCのベトナム戦争戦没者慰霊碑建設現場を訪れる中国系米国人建築家・デザイナーのマヤ・リンさん。

リンさんは、1400点以上の応募作品があった慰霊碑をデザインするコンテストで優勝しました。1981年に彼女の提案したデザインが選ばれた時は、まだ21歳でイェール大学の学生でした。

***

(© Irfan Khan/Los Angeles Times/Getty Images)

(© Irfan Khan/Los Angeles Times/Getty Images)

シラチャ・ホットソースを製造するフイ・フォン・フーズ社(Huy Fong Foods Inc.)のオーナー、デービッド・トラン氏。2015年のイベントで講演中。

トラン氏は1979年、台湾の貨物船「フエイ・フォン号」で、難民としてベトナムを離れました。その貨物船の名前をヒントに、1年後にはロサンゼルスで現在の会社を設立しました。

*この記事は、ShareAmericaに掲載された英文を翻訳したものです。