高見澤聖斗 在日米国大使館 報道室 インターン

「国連職員」―この職業に憧れたことがある人は多いのではないだろうか。私もその一人である。しかし、ハードルが高いと感じて挑戦せずに終わる人も多いと思う。夢を実現するためには、時に挫折を味わい壁を越えなければならないが、そのような経験をしながらも、努力を続けて47歳で国連デビューを果たした人がいる。国連広報局ニュース・メディア部会議報道課のプレスオフィサーに就任し、現在国連ニュースセンターで広報官(ニュースライター)として活躍している須賀正義さんだ。彼の経験は、留学や将来に不安を抱える若い世代に勇気を与えられるのではないかと考え、須賀さんから若い世代に向けたメッセージをもらうべく、お話をうかがった。

アメリカ留学をきっかけに

須賀さんは、大学時代には高校の英語教師を目指していた。「英語教師になるなら英会話ができないといけない」と思い、アメリカ留学を志す。奨学金や仕送り、アルバイトなどで貯金し、留学費用が貯まった大学3年の時に1年間休学して約10カ月間の語学留学をした。ウィスコンシン州の語学学校に通い、授業だけでなく、寮でも積極的に各国の友達をつくって英語力を磨いたそうだ。その中で友達から日本のことを度々聞かれたが、あまり答えられず、自分の知識のなさに衝撃を受けた。そこで「もっと日本について勉強しなければ」と須賀さんは感じた。

ウィスコンシン州立大学スティーブンスポイント校で友人と写真を撮る須賀さん(左)

ウィスコンシン州立大学スティーブンスポイント校で友人と写真を撮る須賀さん(左)

この約10カ月間は非常に楽しいものだったが、英語力がついてきた頃に帰国しなければならず、「もう一度アメリカに来たい」と思ったそうだ。

須賀さんは日本に帰るとすぐに就職活動を始めた。それまで彼は「自分は教師になるしかない」と思っていたが、留学したことで視野が広がり、「もっと他の選択肢・可能性があるのではないか」と考えるようになった。この留学が人生の転機の一つとなったのだ。ただ、教育実習と並行してさまざまな道を模索するあまり、焦点の定まらない就職活動になってしまい、「自分が何をやっていいのかわからない」という悩みもあったようである。そのような中でいくつか内定をもらい、最終的に英字紙記者の道へと進んだ。

挫折を機に大学院へ

30歳代半ばになった頃、大学時代の「もう一度アメリカへ行きたい」という思いが再び強くなり、アメリカへの転職を決意。ちょうど同時期にジョージア州アトランタにあるCNN本社で日本語ニュースサイトのプロジェクトが立ち上がり、日本語と英語ができる編集者の募集がかかっていた。そこに須賀さんは応募して採用され、大学時代の思いを実現させた。

しかしその後、思わぬ壁に当たってしまう。当時インターネットメディアは急成長していたが、彼が渡米して1年過ぎた頃にITバブルがはじけて不況に陥り、CNNのプロジェクトが暗礁に乗り上げてしまった。彼は失業した。「1年で日本に帰りたくない」と思った須賀さんは、何とか残れる方法を探した。そして大学院に進むことを決意。同じアトランタにあるジョージア州立大学の大学院へ進み、経営学を専攻した。ジャーナリズムの経験が10年以上あったため、同じことを学ぶより他の分野を学んだ方がいいのではないかと考え経営学を選んだそうだ。その中でもインターネットビジネスに絞った「インフォメーション・システム・マネジメント」を学んだ。

ジョージア州立大学ビジネススクールの卒業式での友人との一枚

ジョージア州立大学ビジネススクールの卒業式での友人との一枚

大学院の授業は質が高く、毎日楽しくて「一度もサボったことがない」と当時を思い出すかのように笑顔で話してくれた。授業がない日は、大学の図書館に通いつめて勉強していたそうだ。また、授業では先生から意見を求められたら真っ先に手を挙げて意見を言うことを心掛けていたと言う。アメリカの大学では、どれだけ授業に貢献したかも成績を決める上で重要な要素であるが、この積極性が実を結び、学期の最後にはクラスメートから授業に最も貢献した学生に選ばれ、成績も良かったそうだ。

他にもチームプロジェクトで積極的にリーダー役を務めた。あるアプリ開発プロジェクトでは写真共有アプリを開発したそうだが、「今から考えると『実際にビジネスとして立ち上げていれば、Instagramよりも先に、はやるアプリを作れたのではないか。アイデアを実現する人とそうでない人の差を感じ、アイデアだけでとどまってはいけない』ということを学んだ」と笑いながら話してくれた。

ジョージア州立大学の卒業式の一環として行われた留学生の集いでスピーチする須賀さん

ジョージア州立大学の卒業式の一環として行われた留学生の集いでスピーチする須賀さん

苦労したことは、やはり学費の捻出だったようだ。企業や財団からのサポートがなかったため、貯金だけでは苦しい状況だった。何とかするために、学費が免除されて給料も支給される教授の助手であるリサーチ・アシスタントになることを目指し努力した結果、2学期からアシスタントになることができた。

今やるべきことをコツコツと

卒業して再びマスコミ業界で約6年半働いた後、国連就職ガイダンスに参加したことをきっかけに国連の広報ポストに応募した。そして内部候補者優先という厳しい状況でありながら見事採用され、2012年3月に47歳で国連デビューを果たした。採用された理由について須賀さんは、「失業経験が非常に役立ち、人生の宝となった」と言う。失業したことにより、自分のスキルや目的などをじっくり考える時間があり、就職活動のためのスキルも磨けたことが大きかったようだ。

ニューヨーク国連事務局内のオフィスでの一枚

ニューヨーク国連事務局内のオフィスでの一枚

冒頭で述べたように、須賀さんもこれまで何度か国連職員を目指そうと思いながらも、ハードルが高いと感じて真剣に挑戦してこなかったそうだ。しかし、現在はこうして夢を実現させている。時間がかかっても夢を実現させるために重要なことは何か聞いてみると、「十年一剣を磨く」ということわざを紹介してくれた。これは「力を発揮するために長い間修練を積むこと」を意味するが、須賀さんはこれを用いて「今やるべきことを毎日コツコツと、10年20年続けることで大成する」と話してくれた。

2014年サモアで行われた小島嶼開発途上国(SIDS)国際会議をカバーしたときの様子

2014年サモアで行われた小島嶼開発途上国(SIDS)国際会議をカバーしたときの様子

危機の中にチャンスがある

挫折を経験したり将来に不安を抱える若者も多いだろう。そのような人々へ須賀さんが一言アドバイスしてくれた。

「『危機』の『機』は『機会』の『機』でもある。だから実は『危機の中にチャンスが潜んでいる』。そして挫折してしまった際には、自分の人生の模範となる人を持つことが大事」

これは失業を経験しても諦めず、そこからコツコツと努力して現在の仕事までたどり着いた須賀さんだからこそ言える、とても説得力があり勇気づけられる言葉だと思う。「失敗は成功の素」とよく言われるが、まさにその通りだと彼の経験から教えられる。

一番の壁は自分の心の中にある

最後に二度のアメリカ留学を経験している須賀さんから、留学しようと考えている学生や、不安や迷いであと一歩踏み出せない学生に向けたメッセージをいただいた。

「留学をためらう理由はいろいろあると思います。しかし、世界中の学生はあらゆる方法で問題を解決していきます。例えば、知り合いの家に居候したり、教材を先輩からもらったり、奨学金やアシスタントシップを獲得したり、あらゆる方法で費用のハードルを下げてきます。だから日本人の学生ももっと貪欲にそういう方法を考えてみてはいかがでしょうか。しかし、一番の壁は自分の心の中にあります。『やっぱり自分には無理なんじゃないか』と自分で限界をつくってしまう。私もそうでした。だからまずは、自分には無理という心の壁を破っていく。また『希望』というものは『他人から与えられるものではなく、自分から作り出していくもの』だと思います。ドラマの主人公は皆さんなので、新たな挑戦を始めてみてはいかがでしょうか。挑戦から結果が生まれると思います」

須賀さんからのメッセージ