ジョン・V・ルース駐日米国大使は、2009年8月19日、家族と共に日本に到着した。一家は温かい笑顔で報道陣に接し、周りの人たちを和やかな気持ちにさせた。外国の要人に通常感じられる形式ばった緊張した雰囲気はみじんも感じられなかった。それは、ルース大使がのんびりとしたサンフランシスコで育ち、大使に任命されるまではシリコンバレーの法律事務所のCEOだったからかもしれない。

しかし、リラックスした態度と裏腹に、大使の目は真剣で、任期中に何かを成し遂げようという熱意が表れていた。到着時に大使は次のように語っている。「私はカリフォルニア州のシリコンバレー出身です。そこでは達成できないことはなく、未来は今やっていることの結果です。日本も、同じように果敢な精神にあふれています。私たちが力を合わせれば、達成できないことは何もありません」。大使は初めて日本の土を踏んだ瞬間から、日米間で人と人との絆を深めるという使命に取り組み始めた。

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ルース大使の就任時、日本の政界ではこれまでにない変化が起きようとしていた。大使の間もなく行われた総選挙の結果、民主党政権が誕生し、半世紀もの間ほとんど中断することなく続いた自民党の支配に終止符が打たれた。強い指導力と前向きな考え方を持つルース大使は、この政権移行という荒波の中、日米同盟という船を進める上で重要な役割を果たした。その3年半後、自民党が政権を奪還したときも、大使は滞りなく日米関係のかじ取りをした。

ルース大使は日本の47都道府県を全て訪れ、自治体の指導者、財界人、報道関係者、そして学生たちと関係を構築し、充実した活発な対話を続けてきた。東京に到着して間もなく大使が訪れた場所のひとつが、広島平和記念資料館だった。そこで目にしたものに強く心を動かされた大使は、このように記帳している。「広島訪問は核兵器の破壊力を強く思い出させるものであり、共に力を合わせて、核兵器のない世界の平和と安全保障を求めることの大切さをはっきりと示してくれます」。2010年には米国政府高官として初めて広島平和記念式典に出席し、2012年には米国大使として初めて長崎の平和祈念式典にも出席した。

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2011年3月11日、東日本大震災が発生し、東北地方に甚大な被害を及ぼした。ルース大使は、日本の震災対応を支援する米国の活動を主導した。大使は自らのツイッター・アカウントを活用し、米国政府の手本となる新たなクライシス・コミュニケーション・モデルをつくり上げた。大使のアカウントは、震災後、日米双方の国民にとって信頼できる情報源となった。現在のフォロワーは6万人を超えている。大使はその後も、ツイッター・アカウントを活用し、日米安全保障同盟からお気に入りのラーメン屋まで、幅広いトピックについて日本国民とコミュニケーションを続けている。

2011年10月、国務省は、東日本大震災後にルース大使がたゆまず、効果的なリーダーシップを発揮したことを評価し、「模範的外交官に与えられるスー・M・コブ」賞という名誉ある賞を大使に授与した。また2012年12月には、独立系広報組織パブリックアフェアーズアジアが「広報分野での優れた業績を対象とする特別金賞」をルース大使に授与した。このほかにも大使は、スージー・ルース夫人と共に、日米関係に多大な貢献をしたとして在日米国商工会議所の「2012年パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。

おそらくルース大使の最大の功績は、できるだけ多くの日本の人々と接し、触れ合うことで、日米の人間同士の絆を深めようと努力したことだろう。東日本大震災の後、ルース大使夫妻は何度か東北地方を訪れ、家や家族を失った人たちと話をした。震災後間もなく受けたインタビューで、大使は次のように語っている。「(東北の)人々は大惨事を経験しました。この困難な時期に、米国が多少なりとも、被災地の人たちを支援できたのであれば良いのですが。私は、大統領や米国民と同じように、被災地の人々、そして彼らの立ち上がる力に深く感動しています」

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大震災の後、米軍と自衛隊は「トモダチ作戦」で協力し、東北地方に緊急人道支援を行った。この協力関係と友好の精神を基盤に、ルース大使が創設したのが「TOMODACHIイニシアチブ」である。このイニシアチブは、教育・文化交流、起業支援、指導者育成といったプログラムを通して、日米の次世代のリーダーに投資する官民パートナーシップである。

TOMODACHIイニシアチブを通じた支援により、2012年夏だけで450人を超える日本の若者が、各種交流プログラムで米国を訪れることができた。ルース大使は、太平洋の両側で、この2国間関係の将来を担う若者たちから成る「TOMODACHI世代」を育成したいと考えている。

TOMODACHIイニシアチブは、レディ・ガガ、ウィル・アイ・アム、マイケル・コース、カル・リプケン・ジュニア、サッカー米国女子代表チームなど米国の著名人と日本の若者たちが交流する機会を提供するイベントを主催してきた。ルース大使は、地元でのイベントや短期交流プログラムを通じて、日本の若者に米国の姿を垣間見てもらうことで、米国に留学する日本人学生が減少を続けているという残念な傾向に歯止めをかけたいと考えている。

また大使は、シリコンバレーで得た経歴と専門知識をもとに、日本各地で起業とイノベーションに対する認識を高めることを提唱してきた。将来有望な日本の起業家を対象にルース大使が自ら設立した賞のひとつである「米国大使賞」の授賞式で、大使は「米国でも、ここ日本でも、起業を通じたイノベーションが将来の成長と繁栄の鍵となる、と私は信じています」と語った。大使は若い起業家たちに、「夢を大きく持ち」、「グローバルな目標を目指す」ことを説き、最も有望な企業は、世界中の投資家、顧客、パートナーとのつながりを築く企業である、と述べた。

オバマ大統領は、2009年にルース氏を駐日大使に任命するに当たり、このように述べている。「(ルース大使は)地域的にも、世界規模でも、日米関係の強化に貢献することができると確信しています」。ルース大使は、日米の絆を深めることによってオバマ大統領の期待に応えただけでなく、両国の若者が太平洋を越えてお互いの国を訪れ、相互に学び、仕事をし、困ったときには助け合う新しい世代の日米国民を育てる上で、極めて重要な役割を果たしてきた。こうした若者たちが成長し、日米の太平洋パートナーシップのさらなる発展に積極的に貢献していく中で、「TOMODACHI世代」の遺産は受け継がれていく。

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