「ポップ・アート」という言葉から、皆さんは何を連想するでしょうか。最初に頭に浮かぶイメージは、おそらく漫画のコマのようなロイ・リキテンシュタインの作品や、アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローのポートレートでしょう。でも、ウォーホルがある日本人女性のポートレートを何枚も描いていたことはご存知でしたか。着物姿の優雅な日本人女性のシルクスクリーン・プリントは、いかにもウォーホルの作品らしく鮮やかな色彩で描かれています。彼が作品の題材に選んだこの謎の美女は、一体誰でしょう。彼女こそ、夫の故ジョン・パワーズ氏と共に、個人でポップ・アートを収集し、世界有数のコレクションを築き上げたキミコ・パワーズさんです。American Viewは、東京・六本木の国立新美術館で開催される「アメリカン・ポップ・アート展」の開会式に合わせて来日したキミコさんにお話を伺うことができました。

アーティストとコレクターとの関係

マリリン・モンローをはじめ、ジャクリーン・ケネディやエリザベス・テーラーなどの著名な美しい女性のポートレートを描いたアンディ・ウォーホル。この巨匠が自分のポートレートを描いたきっかけについて、キミコさんは謙遜し、こう言います。「(ウォーホルは)一般の人も描いて、ポートレート・アーティストになりたいという希望を持つようになったらしいです。そしてまず手始めに、近くにいた私(を描いたのです)」。しかし、ウォーホルが題材としての彼女に魅力を感じたことは間違いありません。なぜなら彼は、キミコさんが髪型を変えるたびにポートレートを描かせてくれと頼んだのですから! 彼女に会えば、その理由は一目瞭然です。私たちのインタビューのために美術館の展示室に到着したキミコさんは、イッセイ・ミヤケのうねり感のある白のチュニックに、パブロ・ピカソがデザインした限定モデルのすてきなゴールドのネックレスを身につけ、とても魅力的でした。

キミコさんのポートレートの他にも、パワーズ夫妻のコレクションには、アンディ・ウォーホルの最重要作品のひとつ「200個のキャンベル・スープ缶」や、ロイ・リキテンシュタイン、クレス・オルデンバーグ、ジェイムズ・ローゼンクイスト、トム・ウェッセルマンなどのアメリカン・ポップ・アートの巨匠や、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズといった先駆者たちの代表作が含まれています。パワーズ夫妻は、ポップ・アートが生まれたごく初期にニューヨークで収集を始めました。展示室を見て回れば、パワーズ・コレクションがアーティストの数、表現手段、スタイルで多岐にわたっていることがわかります。ポップ・アートかどうかで作品を買ったのではなく、自分たちがその作品を気に入ったから買ったのだと、キミコさんは言います。

「アート」とは何か?

アート・コレクターは、アートとアートでないものをどのように区別しているのですか―アメリカ大使館の「ConnectUSA」のFacebookページを通じて、キミコさんへこのような質問が寄せられました。これに対しキミコさんは「そのような区別は私がしたとは思っていません。歴史が『この人はアーティストですね』『この人はアーティストとしては生き残りませんね』ということを決めたのだと思います」と答えました。

パワーズ夫妻は1960年代にニューヨークに住んでいましたが、当時は、大衆文化のイメージを借用して、家庭で使う日用品や、広告、マスコミから着想を得る新世代のアーティストが現れつつありました。彼らは「美術」とは何か、そしてアーティストであることの意味といった概念に疑問を投げかけました。パワーズ夫妻のようなコレクターたちは、こうしたアーティストの作品が真の「アート」かどうか疑問視されるような時代に彼らの作品を購入するだけでなく、画廊を訪れて作品を鑑賞したり、アトリエで彼らと交流して、支援しました。

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アメリカ社会にどっぷりつかりましょう

日本からニューヨークに移り住んだとき、キミコさんは英語を話す環境とアートの世界にどっぷりつかりました。アメリカ人と交流し、英語でコミュニケーションをとって、アメリカの社会に飛び込んだのです。彼女はアメリカ留学を希望する若者たちにも、同じようにすることを勧めています。アメリカへは日本語と日本の生活を持ち込まず、アメリカ人と交流して日本語を使わないようにすれば、英語が上達するスピードは格段に速まるとアドバイスしてくれました。また、自分は他の日本人との交流を避けたわけではないが、米国に移り住んだ頃はたまたま日本人が身近におらず、アメリカ人に囲まれていることが英語に堪能になる上でとても効果的だということに気づいた、と付け加えました。

アート・コレクターとして、パワーズ夫妻は自分たちの直感を信じ、リスクを負って作品を集めました。そうすることで、ふたりはアートの世界に大きな影響を与え、支援したアーティストの人生の構築に貢献したのです。1999年にジョンさんが他界したあとも、キミコさんは所蔵するコレクションを世界の人々と共有するために引き続き自分の時間とエネルギーを注ぎ込んでいます。彼女は、今日の意欲的な若手アーティストたちにも、アートを通じて自己表現する独自の方法を見つけ出してほしいと考えています。「ユニーク性というものを追求して、自分しかないイメージを追求すると、アーティストとしては一流になるのではないかと思います」

生活になくてはならないアート

アート・コレクターの多くは、所蔵する貴重な作品を保管場所にしまい込んだり、展示場所を美術館だけに限っています。けれどもパワーズ夫妻は、アートに囲まれて生活することを望んでいました。コレクションの数が増え、愛するアートを楽しむにはニューヨークのアパートが手狭になると、夫妻はより多くのコレクションを展示できる家を自ら設計し、コロラドに建設しました。部屋のレイアウトも、気に入った芸術作品に合わせて調整しました。キミコさんはこう言います。「アートは私の生活の一部だと思っていまして、それほど意識しないというのが本音です。いつも周りにあるものという感じです」

american pop art and Kimiko Powers