早朝のカフェ。そこには万国共通の光景が広がる。ラップトップのキーボードを打つ人。スマホ画面を指でスクロールする人。静かに話している人。それぞれがお気に入りのドリンクを片手に穏やかな時間を過ごしている。ところが沖縄のカフェでは、少し活発な雰囲気に遭遇する可能性がある。異なる文化的背景を持った人たちが長テーブルを囲み楽しそうに会話していたり、軍服を着た若いアメリカ人と地元の人が、カフェの一角に集まり英語でおしゃべりをしているといった具合だ。これは県内各地で見られる朝の光景だ。

米軍基地で働くアメリカ人と沖縄の住民が英会話を練習中。地元カフェでの一コマ

米軍基地で働くアメリカ人と沖縄の住民が英会話を練習中。地元カフェでの一コマ

これは何だろうと不思議に思うかもしれない。朝8時前に楽しく過ごしてはいけないというルールがあるわけでもないだろう。ではどのようにして、カフェにいたアメリカの軍人は地元の人と仲良くなったのか。

朝のカフェで行われていたのは、在沖縄アメリカ総領事館が主催する「朝活英会話教室」、通称「朝活」だ。2010年に始まり、米軍基地で働くアメリカ人と英語を勉強したい地元の人たちが集まる。沖縄の人たちは、基地で働くアメリカ人と定期的に交流を持つことで、アメリカ人を個人として知り、アメリカという国を理解するようになる。アメリカ人にとっても沖縄の文化を知り、地元の人と直接話す機会となる。

読谷村の参加者は、「アメリカ人と日本人の参加比率は半々で、朝活はさまざまな経験がある他の日本人とも出会える場」と話す。また別の参加者は、朝活に参加し始めたころは英語が口から出てこなかったと言う。今は自分なりに上達していると実感しており、参加するととても楽しいので、絶対続けようと思っていると話す。

基地のアメリカ人と会話を楽しむ沖縄の住民。北谷町のコーヒーショップにて

基地のアメリカ人と会話を楽しむ沖縄の住民。北谷町のコーヒーショップにて

朝活はカジュアルな形からスタートした。2010年のある日、領事館に勤めるアメリカ人職員が地元の人たちとカフェに集まりコーヒーを飲みながら英会話をしていたのがきっかけだ。教科書もレッスンプランもなく、名札も予約も必要ない。ただ気軽に会話をするだけ。それから朝活は次第に大きくなり、今では県内5カ所で月に10回開催されている。場所の世話は軍の各部隊の代表者が行い、基地職員に参加を呼び掛ける。

在沖米海軍艦隊活動司令部で渉外官として働く古田映紗は、「朝活は今まで互いに交流を持ったことのない地元住民とアメリカ軍人が、英会話を通して個人的な関係を築く場。このような交流の場が日米パートナーシップの強化につながります」と話す。

朝活をきっかけに別の活動も生まれている。その一つが、地元住民が夕方にアイスクリームショップに集まり基地のアメリカ人と英会話を楽しむ「夕活」レッスンだ。また、朝活参加者はビーチバーベキューなどのイベント企画のために、メッセージアプリで連絡を取り合っている。

沖縄の人たちが在日アメリカ軍を活用して英語力を磨く別のプログラムもある。メリーランド大学グローバルキャンパス(UMGC)が運営する「ブリッジプログラム」だ。このプログラムは5つのコースからなり、授業は基地内キャンパスで行われる。基地がある自治体の学生の英語力を強化し、アメリカの大学への進学をサポートし、欧米の大学のスタイルになじむための準備を行う。那覇の総領事館は毎年10人の学生をサポートする。授業料を提供し、受講者の上達度合いをしっかりフォローする。受講後に多くは、アメリカの大学への進学を希望する。

「ブリッジプログラムは、沖縄と駐留アメリカ軍の双方のためになります」。プログラム責任者のジャッキー・シリッザはこう話す。「沖縄の学生は地元にいながらアメリカの大学で勉強することができ、プログラム終了後には多くの学生がUMGCに通うアメリカ軍人と一緒に正規クラスを受講しています。軍人はブリッジプログラムを通して基地とは関わりがない地元の人々と出会う機会が得られます。一方で地元の人たちも、軍人と個人的な交流を持つことができます」

沖縄の人たちは県内に駐留するアメリカ軍と、教育面だけでなくあらゆる場面で親交を深めている。キャンプ・シュワブ第4海兵連隊司令官のジェイソン・ペリー大佐は、基地は多くのイベントを開催していると話す。「クリスマス、イースター、キャンプ・シュワブ・フェスティバルなどに私たちは地元の人たちを招待しています。シュワブ・フェスティバルは、バンド演奏やゲーム、アメリカ料理を出す屋台などで賑わう大イベントです。毎年多くの来場者があり、皆楽しんでくれています」

グッズを手にしてロックバンド「アスキング・アレクサンドリア」の到着を待つ地元ファン。コンサートは2018年3月24日のキャンプ・シュワブ・フェスティバルで行われた (撮影:米海軍伍長ダニエル・プレンティス)

グッズを手にしてロックバンド「アスキング・アレクサンドリア」の到着を待つ地元ファン。コンサートは2018年3月24日のキャンプ・シュワブ・フェスティバルで行われた (撮影:米海軍伍長ダニエル・プレンティス)

ペリー大佐にとって地元の人たちとの交流は自然なことだ。彼の父親はノースカロライナで空手道場を経営しており、大佐は物心つく前から空手を習っていた。父親は1964年に海兵隊員として沖縄に駐留し、一心流を稽古していた。大佐は19歳の時に来日してから日本各地に住み、流暢な日本語を話す。

ペリー大佐は第4海兵連隊の司令官になったとき、辺野古区長からキャンプ・シュワブを辺野古区第11班に認定する旗を受け取ったと説明してくれた。「私たちと辺野古の人たちの関係は、どこの地域にもある付き合いです。私たちは地元の人たちと頑張って関係を作ろうとしているのではありません。既に辺野古の一員なのです。ハーレー大会(ドラゴンボートと呼ばれる手漕ぎ船を漕いで速さを競う大会)があれば辺野古区第11班として「のぼり」を掲げ参加します。もちろん、沖縄角力(沖縄の伝統相撲)の大会もです。私たちはお客さんではなく地域の一員であり、お互いのためになるような関係を築いています」

ジェイソン・ペリー大佐率いるキャンプ・シュワブ・チームが、辺野古で行われたハーレー大会に参加した。2019年5月12日

ジェイソン・ペリー大佐率いるキャンプ・シュワブ・チームが、辺野古で行われたハーレー大会に参加した。2019年5月12日

カフェでの英会話レッスンやハーレー大会。どんな場であれ、アメリカ人と沖縄の人たちは頻繁に交流し、いろいろな形で相互理解を深めている。そうすることで、互いの生活の価値を高め、日米同盟の土台となる人と人との絆を強めているのだ。