世界各国にあるアメリカ大使館のトップは、「アメリカ合衆国特命全権大使」という威厳ある称号を持つ外交官です。

キャリア外交官であれ、ビジネスパーソンであれ、学者であれ、あるいは他のどの分野でキャリアを築いてきた人物であれ、大統領から指名され、国を代表する大使として外国に駐在することは、生涯に一度の仕事であり、最高の名誉です。

しかし、大使の職は大統領の一存で決まるものではありません。

アメリカ憲法は、政府高官職の指名について助言・同意する権限を連邦議会上院に与えています。すなわち、大統領の選んだ人物を、上院が過半数の賛成で承認しなければなりません。

厳格な審査

ホワイトハウスは候補者を指名する前に、適格性、財政状態、これまでの経歴、私生活を厳格に審査します。

しかし、これはほんの始まりにすぎません。

上院外交委員会は被指名者を、まず非公式に、さらには公聴会で精査します。全ての審査が順調に進むと、同委員会は指名を承認し、上院本会議に送って表決が行われます。

しかし、どの上院議員にも指名手続きを中断させる権限があります。個人の資質に関係ない、さまざまな外交的あるいは政治的理由で中断することもあります。これから大使になる人が直面する審査の厳しさを示していると言えるでしょう。指名承認が遅れるのは煩わしいですが、憲法が定めるアメリカ政府の各部門間の「抑制と均衡」の一端であり、大統領と連邦議会のいずれか一方の力が大きくなりすぎないようにする効果があります。

上院での審査が終わると、通常、承認手続きは迅速に進みます。多くの場合、上院は、各会期末までに多くの指名を承認します。

 

1974年9月11日、駐ガーナ大使に指名され、上院外交委員会の公聴会で証言するシャーリー・テンプル氏 (AP Photo)

1974年9月11日、駐ガーナ大使に指名され、上院外交委員会の公聴会で証言するシャーリー・テンプル氏 (AP Photo)

ほとんどの場合、長年キャリアを積み重ね、複数の国での勤務経験のある外交官が大使に昇任します。以前、他の国で大使を経験した人もいますが、指名を受けるたびに新たに上院の承認を得る必要があります。また大統領は、自身とつながりのある人物など、外交官以外の職業に就く人を大使として指名することもあります。

従来、大使職に就く人の内訳は、70%が職業外交官、残り30%が政治任用です。

これまで多くの著名なアメリカ人が大使を務めました。大使経験者が大統領になったことありません。しかし、大使という称号が初めて使われたのは1893年のことで、それ以前に外国に駐在するアメリカの上級外交官の呼称であった「公使」を務めた経験を持つ人物が後に大統領になった事例は6件あります。ハリウッドの子役スター、シャーリー・テンプルは長年にわたり外交官としてキャリアを積み、最終的には駐ガーナおよび駐チェコスロバキア大使となりました。経済学者のケネス・ガルブレイスは、ジョン・F・ケネディ政権で駐インド大使を務めました。

ベンジャミン・フランクリン (White House Historical Association)

ベンジャミン・フランクリン (White House Historical Association)

大使であれば誰でも、ベンジャミン・フランクリンに匹敵する実績を残したいと望みます。1776年から85年まで駐フランス公使を務めたフランクリンは、アメリカ最初の外交官と呼ばれることもあります。アメリカ独立宣言の主要な執筆者で、後に大統領となったトーマス・ジェファソンが1785年、フランクリンと交代するためにパリに到着したときのことです。フランスの外務大臣がこう尋ねました。「あなたがフランクリン博士の代わりですね」。するとジェファソンは次のようの答えました。「大臣、誰も彼の代わりにはなれません。私はただ、彼の後に来たというだけです」