コリン・ジョーンズ 同志社大学法科大学院教授

 

コリン・ジョーンズ 同志社大学法科大学院教授。ケンブリッジ大学クレアホール終身会員。ニューヨーク州、グアム、パラオ共和国の弁護士資格を有する。カリフォルニア大学バークレー校で学士号、東北大学で法学修士号、デューク大学で法学修士号と法務博士号を取得。(写真 新潮社)

序論

日本は国際的な親による子どもの奪取の温床という評判が高まっている。日本人の親が離婚の前後に米国から一方的に子どもを連れ去る事例が最近多発しており、しかもこうした行為が米国の法律や裁判所命令に違反している場合が多いことから、米国や他の国々の主要メディアの関心が集まっている。

日本の法制度を通じて日本に連れ去られた子どもの返還を試みてもなかなか成功しない。その結果、米国で生まれ育った子どもの中には、米国人の親、親戚、友人、米国人として受け継いだものとのつながりを断ち切られてしまう子もいる。こうした連れ去りに対し日本には法的救済措置が欠けているように見える。その多くの要因について本稿で詳細に議論する。

「国際」問題にとどまらない子どもの連れ去り

まず他国から連れ去られた子どもの返還を妨げる要因の大半は、日本国内で発生した連れ去りの事例にも影響を及ぼすと理解することが重要である。その中には日本人と結婚し日本に居住する米国人が関係する事例や、時には両親共に在日外国人である事例も含まれる。そうした国境を越えない事例でも、裁判所の関与にもかかわらず、離婚により一方の親が子どもとの接触を完全に絶たれることが多い。

換言すれば、国境を越えて子どもが連れ去られる事例がより注目を集める傾向にあるが、こうした事例は日本人、外国人を問わず親が限られた法的救済措置しか受けられない日本の法制度の構造的な問題を反映しているにすぎない。従って米国をはじめとする各国の外交官が「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」(以下「ハーグ条約」とする)への加盟を日本に働きかけ、国境を越えた子どもの連れ去りに関する日本の対応の変更を求めてきたのと同様、親の権利を主張する日本のさまざまな団体が、離婚後の親子関係の保護の強化のため、日本の家族法改正に向けてロビー活動をしてきた。

2011年3月11日の東日本大震災と福島県での原子力発電所事故にもかかわらず、日本が間もなくハーグ条約批准に向け動く兆しが見られることは心強い限りだ。2011年5月、日本の国会は親の離婚後の面接交渉に関する国内法を改正した。なお本稿執筆時点でこれらの法改正は未施行である(その影響はほとんどないかもしれない)ため、本稿では改正点の特徴とともに、何十年も続いた改正前の法律についても論じる。

日本における法律の役割

日本の法制度はおおむね外国法をモデルにしており、多くの面でドイツとフランスの法律や制度に基づいているが、憲法と商法の多くの分野では米国法にも倣っている。実際、日本の家族法、および日本の裁判所が子どもの親権問題を解決する方法を説明すると、米国や他の西洋諸国と非常に類似しているように思われてしまうこともある。しかし日本の法律は、米国法より「上意下達」の性格が強い。米国では多くの重要な原則は、訴訟を通じひとつひとつ積み重ねられて決められてきた。対照的に日本では、法律は権威を表明し行使する手段となりがちで、裁判官(彼ら自身が権威者)はそうした権威の行使にあまり疑いを抱かない。日本の法律の上意下達の性質は、法令や手続き制度に見られる。裁判官や官僚ができることについては最大限の柔軟性を確保する一方、彼らの義務についてはその範囲を限定している。

親による子どもの連れ去りは犯罪か

子どもを日本に連れ去られた米国籍の親は、日本の取り締まり当局から、日本の法律では親が自分の子どもを「連れ去る」のは犯罪に当たらないと言われる可能性が高い。しかし日本人、外国人を問わず、親が自分の子どもを連れ去ったために逮捕され、さらには有罪判決が下された事例もある。日本の刑法224条は「未成年者略取及び誘拐」の罪を非常に短い文言で規定している。「未成年者を略取し、又は誘拐した者は、3月以上7年以下の懲役に処する」。これを読んだ米国人の弁護士はおそらく、「略取」「誘拐」などの言葉の解釈の仕方について詳しい情報を求め、判例を参考にしようとするだろう。しかしこのような法律を解釈する上で判例がそれほど役に立つとは思えない。少なくとも米国と同じように役立つことはないだろう。

その結果、親による子どもの連れ去りを犯罪でないとみなすことと、一部の親を誘拐罪で逮捕することの両方が、日本の法律の「正しい」解釈として共存可能である。公共の秩序を乱す連れ去り(自分の子どもを街角でひったくる父親)は犯罪として扱われる可能性があるが、公共の秩序を乱さない連れ去り(自分の親と一緒に暮らすために子どもを連れて飛行機や鉄道に乗る、あるいは子どもと共に日本を訪れ、米国への帰国を拒否する母親)はおそらく犯罪として扱われないだろう。日本の警察には「民事」不介入の原則だけでなく、特定の紛争が民事か否かを決める幅広い裁量権もあるため、ある特定の連れ去り事例が犯罪であるかについての最も重要な判断が裁判所ではなく警察署で下される可能性がある。

行政処分としての親権の決定

同様に日本には、離婚の際の子どもに関する親権、監護権、面接交渉権の決定に関しても、両親が別れた後、子どもが親と頻繁に継続的な交流を持つことが子どもにとっての最善の利益とみなす米国法の原則のように、裁判所が守らなくてはならない法定の指針はない。さらに日本には、子どもを生み育てることなど親子関係に関する基本的な権利を規定する憲法の条文や解釈が存在しないため、子どもに関する日本の裁判官の決定は、実質的には法律が存在しない場合に下される行政処分の形を取る。後段で論じるように、子どもに関して裁判官が下す最も重要な決定の多くは、非公開の裁判外の手続きによる「審判」の形を取る可能性が高い。

従って日本の家庭裁判所の裁判官は、子どもに関する決定を下す際に非常に大きな裁量権を有し、例えば外国で下された親権に関する判決を完全に覆す、親権を持たない親に子どもとの面接を全く認めない、1年に数時間だけ面接を認める、または面接の代わりに毎年数枚の子どもの写真を(親権を持たない親に)送るよう親権者に命じるなどの決定を下す可能性がある。

協議離婚と子どもの親権

日本では離婚と離婚後の子どもの扱いのいずれについても、一義的には協議により決定するとみなされる。日本の民法には協議離婚の規定があり、協議しても当事者が合意に至らず、しかも限られた事由が適用される場合しか裁判離婚は認められない。さらに米国では協議離婚でも裁判所への申請と、子どもがいる場合は裁判所が承認した養育計画または離婚同意書が必要だが、日本の協議離婚は単に関連書類を地方自治体に提出し、その自治体が当事者の戸籍に婚姻区分の変更と子どもの親権者を記載するだけで成立する。離婚の約90%がこの過程を経て成立するため、裁判所が関与するのは、当事者が協議離婚に合意できない場合、または離婚後に子どもの問題などで紛争が生じた場合など、少数の事例にとどまる。そうした紛争には、一方の親が子どもを連れ去ったり、離婚後にもう一方の親と子どもの面接交渉を拒否する場合などが含まれる。

日本の法律では、裁判離婚あるいは子どもの親権に関し司法の救済を求める場合、まず家庭裁判所が開く調停に参加する必要がある。調停は家庭裁判所の調停室で、裁判官1人、裁判所が選んだ2人の調停委員、そして裁判所職員で構成される調停委員会が同席し開かれる。調停は双方が合意に至るか、裁判官がこれ以上調停を重ねても無意味と判断するまで、月に約1回のペースで続けられる。調停の実施は裁判所が主導するが、この時点では当事者が合意に至るよう促すことが主な目的である。

日本における離婚の約8%――裁判所に持ち込まれた事例の大半――が、こうした調停手続きを経て成立しており、残りの2%は調停が失敗に終わった後の裁判の結果としての離婚か、裁判が始まってから判決が出るまでの間の和解による離婚である。従って離婚手続きを分かりにくくしているひとつの原因として、裁判所の関与と責任の範囲により、さまざまな手続きがある点が挙げられる。裁判所が全く関与しない協議離婚、裁判所が関与するものの結果に責任を負わない調停離婚および和解による離婚、そして裁判所が関与し最終的な結果に責任を負う裁判離婚がある(厳密にはさらに2種類の離婚があるが、まれなため本稿では取り上げない)。裁判離婚は全体の約1%でしかない。これらの異なる手続き制度は子どもの親権手続きにも関係する。

日本の法律は裁判手続きについて規定しているが、この裁判手続きでは裁判所に責任のない結果が出ることが多いので、米国市民の親が日本の家庭裁判所に期待することと、家庭裁判所が考える自分たちの役割との間に大きな差が生じる恐れがある。子どもを取り戻したい、少なくとも面会したいと望む当事者は、通常できるだけ早く裁判所に「何かして」ほしいと思う。しかしほとんどの事例が調停から始まるため、家庭裁判所は当事者が調停結果に合意するよう促すことが裁判所の一義的な役割であると考えているかもしれない。さらに調停では、裁判所は補助的な役割しか担うべきでないとされているため、子どもにとって最善の利益であることが明らかな場合を除き、暫定的な救済措置(子どもの引き渡し命令など)の実施に消極的なこともある。

調停では日本の家族法の他の側面も関係してくる場合がある。日本では当事者双方が合意する限り離婚は非常に簡単だが、一方の当事者が反対する場合、一方的に裁判離婚を勝ち取るのは非常に難しく時間がかかる。さらに両親の離婚後の子どもの扱いについて法律がほとんど規定していないのと同様に、日本の民法は財産分与、扶養料、養育費についてほとんど規定していない。そのため裁判所は不利な条件での離婚から経済的弱者を守るため、さまざまな原則をつくり上げてきた。

2011年5月、民法に多くの改正が加えられたが、現在の家庭裁判所の慣行への影響ははっきりしない。第一に、この改正により児童虐待や育児放棄の場合の当局による一時的な親権停止がより容易になった。以前の法律では、永続的な親権停止が唯一の救済策であった。第二に、改正法の下では協議離婚を望む親は子どもの福祉を優先した上で、養育費の配分だけでなく、面接に関する取り決めや他の形での親子の交流について決めることが義務付けられている。当事者が決められない場合には、家庭裁判所が代わりに決定できる。小さな変更に見えるかもしれないが、改正前には裁判所の「行政処分」にすぎなかった面接交渉権が、今では民法で言及されているという事実は大きな前進の証と言える。

しかし新しい法律では(親ではなく)裁判所が子どもの最善の利益になる決定を下すように求められるのか、また面接交渉は子どものために有益と見なされるのかが明確でない。自分の子どもの最善の利益のために行動するという法定の義務を全ての親に課す条項が民法の他の項目に追加された点と合わせ、家庭裁判所が今回の改正を、現在の慣行を成文化する以上の効果を持つとみなすかは不明である。

親権と監護権

子どもに関する決定は一般的に離婚手続きの中で下されるが、調停が失敗すると重要な手続き上の違いが出てくる。しかしこれを理解するには、親権と監護権の概念を簡単に説明する必要がある。日本の民法では結婚している両親は未成年の子どもに対して共同で親権を行使する。親権は子どもの世話と養育に関する親の権利と義務の両方を含むが、それだけでなく子どもの財産管理や子どもに代わる法的行為(パスポートの申請など)、養子縁組への同意さえも含む。親権は商取引や政府機関の手続きにも関係するので、戸籍制度を通じて確認できる。子どものパスポート申請など親子関係や申請者の親権についての証明が必要とされる手続きには、子どもの戸籍抄本が求められる場合がある。

協議離婚では、離婚後にどちらの親がどの子どもの親権を持つかを両親が離婚届に記載するだけである。しかし重大な制限のひとつとして、日本の法律ではたとえ両方の親が合意しても、離婚後の共同親権の行使の正式な継続は認められていない。

手続き上、裁判所の関与が監護権と親権の問題をより複雑にしている。なぜなら裁判所が、親権の「養育と監護」の要素を、財産管理と法定代理人の側面から切り離し、それぞれを別の親に与えることが可能だからである。従って母親が監護権を得て子どもと同居し養育する一方で、父親が親権(監護権の要素は除く)を得ることもある。この場合の親権者は戸籍に記載されるが、子どもの財産管理と子どもの名前で法的行為を行うことのみに限定される。実際には、このように親権を分けることはまれである。裁判所が親権の2つの要素を切り離して扱えることは、最終的な結果よりも手続き面でより重要である。

親権に関する司法判断は一般的に、裁判を経た裁判上の離婚が成立する時点で裁判所により下される(または変更される)。離婚調停が失敗した場合、離婚訴訟を起こす責任は当事者にある。当事者のどちらも提訴しない場合、法律上では結婚したまま別々に暮らすことになる。親権は名目上、両方の親が持ち続ける。

しかし親権の監護権の部分(つまり誰が子どもと同居し養育するか、面接交渉、養育費の支払い、一方の親に連れ去られた子どもを返還させるべきか)に関しては、調停が失敗すると、当事者が訴訟を起さなくても裁判所が自動的に審判の手続きに入る。協議離婚の後で面接交渉をめぐる紛争が起きた場合や、米国や他の国で離婚が成立した後で子どもが日本に連れ去られた場合には、離婚後にこうした判断を裁判所が下したり変更することもできる。

手続き上、これは非常に重要である。裁判官がこうした決定を下す限りにおいて、調停が失敗した後の裁判所の審判を通じて下される可能性が高いからである。家庭裁判所の審判は手続き面でも証拠の面でも条件が非常に緩い「裁判外の紛争処理手続き」で決定される。従ってほとんどの親にとって手続きの中で最も重要なこと、つまり子どもの運命が決定される部分で、(司法が関与するため)裁判のように見えるが、手続きまたは証拠の面で一般人が裁判に期待する保護手段の多くを欠く手続きを経ることになる。

裁判所の審判に対しては不服申し立てができ、離婚訴訟になれば、裁判離婚を認める裁判官が離婚に付随する子どもについての決定を下すことも可能だ。しかし現実には、明らかな間違いや状況の変化がない限り、先に下された監護権に関する審判結果に裁判官が疑いを差し挟むことはあまりない。

限定的な法的強制力

子どもの連れ去りまたは面接交渉の妨害に関わる事例では、裁判で完全に「勝利」しても意味がない場合がある。日本の民法では、多く事例で判決の執行が困難になっており、子どもをめぐる紛争においては問題が特に顕著である。日本の裁判所には民事判決の執行を強制できる、警察と同様の権限を持つ執行官がいない。同様に日本の裁判官には、裁判所の決定に従わない当事者に法廷侮辱罪で制裁を課したり刑務所に収監する幅広い権限がない。またそのような事例において、裁判所が警察に関与を求める仕組みもない。

家庭裁判所の命令を執行するための最初の手続きは、家庭裁判所による「履行勧告」だろう。その際、子どもの監護権を持つ親が面接交渉に関し協力を拒否する事情を確認するために、家庭裁判所の調査官がさらに調査することがある。しかし履行勧告が出されたとしても、不履行に対する制裁はない。実際に履行勧告は、司法機関というより社会福祉機関としての裁判所の役割の延長線上にある、社会福祉事業の一形態として考えられている。従って法的拘束力は全くない。

執行に関する実際の法的救済措置については、日本の民法には、特に一方の親から他方の親への子どもの強制的な引き渡しに関する命令の執行を規定する条文が一切ない。救済措置のひとつとして、連れ去った子どもの返還あるいは面接交渉での協力を求める裁判所の命令に従わない当事者に裁判所が過料を科すことがある。しかしこの種の「間接強制執行」は過料の対象となる定収入または特定可能な資産を持たない親に対しては、効果は限定的だろう。

幼すぎて自分の意見を持てないとみられる子どもの返還に関する裁判所命令の場合は、命令の「直接強制執行」の請求も可能である。この場合、地方裁判所の執行官が物理的に子どもを返還させようと試みる。子どもを連れ去った親が暴力を振るう恐れがある場合、執行官は警察の同行を求められるが、警察は犯罪が起きなければ関与しない。執行官には非協力的な親を逮捕する権限がない。従って直接強制執行は成功することもあるが、子どもの返還をかたくなに拒否する、あるいは単に子どもを隠すという単純な方法をとる親の場合、失敗もありうる。

以上の救済措置がいずれも失敗した場合、最後に取りうる司法手段は人身保護請求である。官吏による違法な身柄拘束に対する古いコモンローの救済策に由来する人身保護請求は、日本では子どもが「拘束」されている理由を審問するために子どもを裁判所に連れてくるよう、子どもを連れ去った親に命令するために使われる。人身保護請求による出頭命令に従い、連れ去った子どもを裁判所に連れてくることを拒否する親は、懲役または罰金を科される可能性がある。従って人身保護請求は、子どもの連れ去りに関し、不履行について刑罰を科せられる唯一の司法の救済措置である。

後に残された親が、日本に連れ去られた子どものために直ちに人身保護請求を申請することは珍しくないが、たとえ外国の裁判所命令に違反していたり、その国での刑事訴訟に発展する場合であっても、日本の裁判所が子どもの拘束を「著しく違法」であると判断した事例はないように思われる。日本の裁判所が、外国人の親に監護権を認める外国の裁判所の命令の正当性を認めながら、人身保護請求を却下した事例がこれまでに多数あった。

配偶者からの暴力、法改正、ハーグ条約

日本政府はハーグ条約の批准に消極的に見えるため、しばしば批判の対象になっている。しかし前述のように、ハーグ条約を意義ある形で実施するには、日本の国内法の大幅な改正が必要である。日本のように民主的な社会では、その過程でさまざまな議論が必要になるという点は理解できる。

ハーグ条約をめぐる議論で繰り返し表明されてきた懸念のひとつは、米国や他の国で暮らす日本人の母親が、配偶者からの暴力を恐れ、子どもを連れて一方的に日本に戻った事例をどう扱うかである。配偶者からの暴力は政策上の正当な懸念事項だが、米国や他のハーグ条約加盟国の司法制度を通じ適切に処理できるとみなすことが可能な問題でもある。

配偶者からの暴力に関する懸念が、主にハーグ条約加盟国の司法制度への信頼の欠如を反映するととらえるのは簡単だが、配偶者からの暴力については国境を越えない親権をめぐる問題でも意見が分かれる。日本の法律では「配偶者からの暴力」の定義がことのほか広く、解釈ではさらにその範囲が拡大することが多いため、身体的暴力のみならず、言葉による虐待、心理的「暴力」、時には「経済的暴力」まで含まれる。

日本人の中には、ハーグ条約は締結すべきだが、施行法には配偶者からの暴力または虐待がある場合には子どもの返還を妨げる例外規定を盛り込むべきと提言している人もいる。日本弁護士連合会はさらに踏み込んで、日本がハーグ条約を批准した場合、いかなる施行法も、そのような事例での子どもの返還を阻止するだけでなく、子どもを連れ去った親が子どもと一緒に(元の居住国に)戻った場合、刑事訴追されるのを防ぐ条項を盛り込むべきと提案している。配偶者からの暴力と虐待の定義が広いことを考えると、日本に子どもを連れ去ったいかなる事例も、実質的にこの例外の範囲に入るとみなすことができるように思われる。しかしこれはまだ存在しない法律について推測しているにすぎない。

将来に向けて

本稿の序論で記したように、東日本大震災により日本の政策決定者は取り組むべき重点政策を大幅に転換することになるだろう。ハーグ条約および日本の家族法のさらなる改正に関し、近い将来何が期待できるかまだ分からない。しかし自然災害があったとしても、日本人はこれからも結婚し、子どもを持ち、時には離婚する。状況に変化がない限り、日本は今後も子どもの連れ去りの天国と見なされるであろう。これは悲しいことである。なぜなら結局のところ、これからも苦しみ続けるのは、日本や米国をはじめとする世界中の国々の最も大切な資源である子どもたちだからである。

*本稿に述べられている意見は、必ずしも米国政府の見解または政策を反映するものではありません。