松田夏実 在日米国大使館 報道室インターン

フロイド・ノーマン―あなたはこの名前を耳にしたことがあるだろうか。彼は1956年にアメリカのザ・ウォルト・ディズニー・カンパニーで初の黒人アニメーターとして採用され、数々の歴史に残るアニメーション作品を制作してきた人物である。

2018年7月9日、アメリカンセンターJapanにて、ノーマン氏のアニメーターとしての半生を描いたドキュメンタリー映画「伝説のアニメーター:フロイド・ノーマン」の上映・トークイベントが開催された。マイケル・フィオーレ氏とエリック・シャーキー氏が共同で監督したこの映画は、アメリカ国内の複数の映画祭で賞を受賞し、2017年アカデミー賞の選考リストにも残った。今回のイベントには来日したフィオーレ監督が登壇し、ノーマン氏や映画の制作背景について語ったほか、映画業界でのキャリアなどについて参加者からの質問にも答えた。

マイケル・フィオーレ氏と在日米国大使館 報道室インターン 松田夏実

ノーマン氏のストーリーを伝えなければ、という使命感

ノーマン氏は何人分ものアニメーターの功績をまとめて1人で成し遂げてきた人だと、フィオーレ監督は言う。ノーマン氏はディズニーで最初の黒人アニメーターというだけでなく、ウォルト・ディズニーの生前に彼と働いた数少ないアニメーターの1人でもある。ウォルト・ディズニーが逝去したあと、1960年代には映像制作会社「ビネットフィルムズ」を仲間と共同設立し、当時はあまり制作されていなかったアフリカ系アメリカ人の歴史に関する実写映画やアニメ作品を積極的に制作した。これまでにディズニー以外にもピクサーやハンナ・バーベラ・プロダクションズなどの著名なスタジオに所属し、「眠れる森の美女」や「101匹わんちゃん」「ムーラン」「トイ・ストーリー2」「モンスターズ・インク」「スクービー・ドゥー」といった数々の名作において、アニメーターのほか作画や原案も務めてきた。

このように、ノーマン氏はアメリカの代表的なアニメーション作品の制作に大きく貢献してきた人物だが、「伝説のアニメーター:フロイド・ノーマン」が制作される以前、彼の存在は世間にあまり知られていなかった。この事実を受け、フィオーレ、シャーキー両監督は「私たちが彼のストーリーを人々に伝えなければならない」と感じ、映画の制作を決心したそうだ。

左から、マイケル・フィオーレ、エリック・シャーキー、フロイド・ノーマンの各氏

自分の夢に対して決して「No」と言わないこと

映画のテーマについて、フィオーレ監督は「フロイドがディズニーで初の黒人アニメーターだと聞くと、この映画は人種問題についての映画だと考える人が多いかもしれない」と語った。しかし、監督がこの映画で最も伝えたかったのは「年齢による差別(エイジイズム)」すなわち、キャリアにおける年齢の壁についてのストーリーなのだそうだ。

ノーマン氏は65歳のとき、まだ現役で作品の制作に携わっていたにも関わらず、ディズニーから突然退職を勧告された。半世紀以上にもわたるキャリアが、突然絶たれてしまったのだ。しかしノーマン氏は、退職後も自主的に毎日ディズニーのスタジオに通い、無給にもかかわらず仕事を引き受け、若手スタッフにアドバイスをし続けた。その結果、彼はディズニーに再雇用され、83歳になった今も、毎日ディズニーのスタジオでアニメーションを作り続けている。ノーマン氏は、高齢になったら退職するという社会の一般的な慣習に従わず、アニメーターとしての人生を歩み続けることを諦めなかった。彼は自分の本当にやりたいことに対して、年齢を理由に「No」つまり「できない、不可能」と言わなかったのだ。

フィオーレ監督は「キャリアにおける年齢の壁は、誰もが年老いたときに必ず直面するものだ」と語る。ノーマン氏のこの経験は、映画を見る多くの人々の琴線に触れるだろう。フィオーレ監督は、ノーマン氏のように自分の夢に対して決して「No」と言わないことの大切さを、映画を通して人々に伝えたかったと言う。

ニューヨークで成功できれば、どこでも成功できる?

フィオーレ監督は、ニューヨークにほど近いニュージャージー州ファーヒルズの出身。ニューヨーク大学芸術学部(ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ)の映画学科を卒業し、現在は自身の映像制作会社で映画やテレビ、コマーシャル向けに映像を制作している。監督は大学での学びを振り返り「『ニューヨークで成功できれば、どこでも成功できる』という言葉があるが、私はこの言葉は本当だと思う」と語った。

ニューヨークは建物や人が密集した町で、ロサンゼルスなどの広大な土地がある都市で映画を撮るよりもコストがかかるなど、映画を制作するにはさまざまな面で非常に難しい環境だ。監督は学生時代にこのことを身をもって知り、条件的に厳しいニューヨークで成功を収めることができれば、他の土地でも成功できると感じたそうだ。

多様性に富んだ環境での学び

ニューヨークはアメリカ全土の中でも、特に多くの人種・文化が混在する多様性豊かな都市である。そんな環境での学びは、監督が作る映画の視点にも大きく影響している。監督は大学に入ってニューヨークの町に身を置くまで、「多様なストーリーを伝えるという行為にあまり触れたことがなかった」と言う。しかし、学生時代に他の学生が制作した映画をたくさん見たり、いろいろな演劇を鑑賞したりするなかで、あらゆる人々に「たくさんの、心のこもった、素直でいつわりのない、多様なストーリー」があることを知り、それを自分の作品で伝えようと意識するようになったとのことだ。

フィオーレ監督からのメッセージ

アニメーターや映画監督などのクリエイティブなキャリアを目指す人々に向けて、フィオーレ監督からメッセージをいただいた。

作品作りにおいて重要なのは「自分が人に伝えたいと思うストーリーをとても明確にイメージしておくこと」だと言う。「自分の作品の内容を決めるときは、身近で親しみのあるものにする。必ずしも自分の身に直接起こったことでなくてもいいが、多くの人の共感を生むユニバーサルなもの。そして、できる限り偽りのない、誠実なストーリーにする。そうすることによって、作品を見る人々はキャラクターやテーマ、エピソードなどと自身との間につながりを見出せ、最大限に人々の心を引き込むことができると思う。例えばフロイドの人生経験には、フロイドのように黒人アニメーターでなくても、誰もが共感できるものがある。これは、アニメーター、脚本家、監督、プロデューサーなど、どんなクリエイティブな職に就いたとしても、とても大切なことだと思う」

監督は最後に、一番重要なのは「自分の夢に対して絶対に『No』と言わないこと。困難な中でも自分の意志を貫き通すこと」だと語った。

「この先、とても困難な時やつらい時もあれば、ハッピーな時もあるだろうし、あらゆる感情を経験するだろう。楽になったと思った瞬間またつらいことがあったり、何度も浮き沈みを経験することもあるかもしれない。しかし、感情の浮き沈みはあれど、自分が人に伝えたいストーリーは何なのか、はっきりとビジョンを持って、それにこだわることが大事だ」

アメリカンセンターJapanにてインタビューを受けるマイケル・フィオーレ氏

おわりに

フィオーレ監督は現在、新たな作品の制作を進めている。取材などが難航することもあると言っていたが、それを語る時でさえ監督の目は輝いていた。制作は成功しないかもしれない、というような不安や迷いは一切感じられなかった。フィオーレ監督も間違いなく、自分の夢に対して決して「No」と言わないことで、成功をつかんできた人なのだ。

映画「伝説のアニメーター:フロイド・ノーマン」は、現在Netflixで配信されている。クリエイティブなキャリアを志す人も、そうでない人も、ぜひ1人でも多くの人にこの映画を見て、フィオーレ、シャーキー両監督が描いた、ノーマン氏の決して「No」と言わない熱い姿勢を目の当たりにしてもらいたい。