榛谷太明 米国大使館 報道室インターン

2014 Sundance Film Festival - George Takei Portraits

ジョージ・タケイ氏 (©AP image)

日系人ハリウッド俳優、ジョージ・タケイ氏が6月に来日し、全国各地で講演した。アメリカでは6月がLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)月間となっており、LGBTの人たちの権利についてさまざまな啓蒙活動が行われる。タケイ氏の来日は、その活動の一環であった。東京でも講演会が開催され、大勢の聴衆が詰め掛けた。中にはタケイ氏演じるヒカル・スールー役の衣装を着て、最前列に座るファンもおり、タケイ氏が登壇すると、満席の会場から拍手と歓声が起きた。(講演会の模様はビデオをご覧ください)

「ヒカル・スールー」とは何者か

ではジョージ・タケイ氏とはどのような人物だろうか。 彼のことを知らない人でも「スタートレック」の名前は耳にしたことがあるはずだ。「スタートレック」とは1966年の第1シーズン放送開始から現在まで、アメリカ国内外に多くのファンを獲得してきたSFテレビドラマの金字塔である。後に映画化され、その後シリーズ化もされている。この作品の劇場版新シリーズが昨年リリースされたことからも、その根強い人気をうかがうことができる。

そんな人気作の第1シリーズと、その後の劇場版6作品に、宇宙船エンタープライズ号のパイロット「ヒカル・スールー」役として出演していたのが、何を隠そう、このジョージ・タケイ氏だ。ヒカル・スールーは東洋的なストイシズムや武士道精神を持つキャラクターとして、テレビ版・劇場版を通じて人気を博している。

"Star Trek" ヒカル・スールー役を演じるジョージ・タケイ氏 (Courtesy of Paramount Picture)

"Star Trek" ヒカル・スールー役を演じるジョージ・タケイ氏 (Courtesy of Paramount Picture)

スールーという名前は、フィリピンにある海の名前から取られている。作者のジーン・ロッテンベリーが、ヒカル・スールーという役柄を、現在のアジアの特定の国ではなく、23世紀のアジア全体を代表する存在として描くためであった。スールーが剣道ではなく、フェンシングを得意としているのも未来世界の国際性を強調している。ロッテンベリーは、エンタープライズ号を小さな地球と考えており、その中で、外宇宙へ進出するという偉大な目標のために、人種や宗教を超えた多様性をもって協力しあうクルーたちの姿が印象的である。作品を通してちりばめられている、こういった丁寧な設定からも人種差別や社会不安の色濃く残っていたアメリカや世界全体に対する制作者たちの熱い思いをうかがい知ることができる。

日系アメリカ人「ジョージ・タケイ」

ジョージ・タケイ氏は、1937年4月20日、カリフォルニア州ロサンゼルスで、日系人の両親の間に生まれた。一家は平和な日々を送っていたが、そうした生活が突如として一変する出来事があった。1941年の日米開戦である。戦争が始まると、日系人は国の安全保障上の脅威だという理由で、強制収容所に収容されるようになった。タケイ一家も1942年に強制収容所に送られた。収容所での生活は過酷を極め、その中で彼は忍耐と辛抱を学んだ。

Poor Peoples Campaign

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第二次世界大戦中、日系アメリカ人が暮らした収容所のひとつ(©AP image)

戦後、3年間の収容所生活から解放された一家はロサンゼルスへと帰郷した。 タケイ氏は1956年、カリフォルニア大学バークレー校の建築学部に入学した。しかし在学中に俳優になる夢を抱くようになり、1958年、同大学ロサンゼルス校(UCLA)に編入し、演劇学で学士号と修士号を取得した。その後、俳優として下積みを続けたが、日系人ゆえにまわってくる役柄は限られていた。だが、そんな彼にチャンスが訪れた。テレビのSFドラマにパイロット役で出演が決まったのだ。その作品こそが「スタートレック」だった。この作品への出演で彼は、日系人で初めてアメリカのテレビドラマのレギュラーとなった。全米日系人博物館の理事であり名誉会長でもある彼は、現在、最も成功した日系人俳優として、日系社会のみならず、全米で多くのファンの心をつかんでいる。

同性愛者としての闘い

戦争中、人種差別と闘ったタケイ氏は、別の偏見とも闘っていた。彼は同性愛者だったのだ。俳優としての仕事を失いたくないがために、彼は自分自身を偽って生きていかなければならなかったが、次第に周囲の状況は変わっていった。同性愛者のみならずストレート(異性愛者)たちにも同性愛の問題が認識され、権利獲得を目指す活動が広がっていき、2005年にはカリフォルニア州議会の上下両院で同性愛と結婚の平等を認める法案が可決された。しかしそれには州知事の署名が必要だったのである。当時の州知事は俳優としても有名なアーノルド・シュワルツェネッガー氏だったが、彼は共和党保守派の選挙基盤のために拒否権を行使し、法案を却下した。同性愛者への理解を示し支持を得て当選したにもかかわらず、半ば恩をあだで返したような彼の行為にタケイ氏は激しい怒りを抱くとともに、同性愛者として発言することの意義を感じ、告白する決意をした。2005年、タケイ氏は自身が同性愛者であるとカミングアウトし、その後LGBTの権利のために各地で活動を行った。そして2008年5月、カリフォルニア州の最高裁判所が結婚の平等を認めると、同年9月、20年来のパートナーであるブラッド・アルトマン氏と、ロサンゼルスの全米日系人博物館で挙式した。

ジョージ・タケイ氏とパートナーのブラッド・アルトマン氏は、2008年6月17日、結婚証明書の手続きを開始した(©AP Images)

ジョージ・タケイ氏とパートナーのブラッド・アルトマン氏は、2008年6月17日、結婚証明書の手続きを開始した(©AP Images)

同性愛について彼は、僕が若かったころはゲイであることは恥ずかしいことだったが、今では同性婚が政治問題になるほど時代は変わったと語っている。また同性愛者への偏見は人種差別と同じであり、基本的な人間の価値観とアメリカの支持する原則的な価値観に反していると訴えている。現在、彼はさまざまな手法と媒体を使い、同性愛者を含むLGBTの権利獲得のため闘っている。

そうした彼の活動のひとつがFacebookへの投稿だ。フォロワーは全世界で700万人を超え、記事を投稿すれば毎回のように、数万件の「いいね」や数千件のコメントがつく。彼は今年77歳であるにもかかわらず、一日にいくつも投稿するほど精力的に活動し、またそれに共感し賛同している多くのファンがいる。

人の多様性に理解ある社会を目指して

LGBTの人たちの法的権利の獲得や差別撤廃などに向けては、現在、世界各地でさまざまな活動が行われている。人種の多様性を認める社会から、性の多様性を認める社会へ。これを実現するために、今、我々に何ができるのか。タケイ氏の講演会のビデオを見て、それを考えるひとつのきっかけになれば良いと思う。そして日系人として、同性愛者としての誇りをもって活動を続けるジョージ・タケイ氏を皆さんにもっと知ってもらいたい。

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©AP image

2013年、サンディエゴでのゲイ・パレードに参加するジョージ・タケイ氏 (©AP image)

2013年、サンディエゴでのゲイ・パレードに参加するジョージ・タケイ氏 (©AP image)