アーカンソー大学パインブラフ校グローバル・エンゲージメント副学部長
パメラ・ムア博士インタビュー

アメリカ・ディープサウスは、たくましく豊かな文化遺産がある地域です。その一方で、貧困や開発の遅れ、そして人種の不平等が特徴でもあります。パメラ・ムア博士は、そのディープサウスで生まれ育ちました。後に大学院進学のため故郷を離れ、ハーバード大学法科大学院で法務博士、同ケネディスクールで公共政策修士の学位を取得しました。博士は現在、ミシシッピ・デルタにあるアーカンソー大学パインブラフ校でグローバル・エンゲージメント副学部長を務めています。ミシシッピ・デルタのほかにも、エジプトとスーダンのナイル・デルタ、ブラジルのアマゾン・デルタ、ナイジェリアのニジェール・デルタなど、世界中の河川の三角州地域で活動し、研究やリサーチを行ってきました。

2019年2月、ムア博士は、アメリカ大使館共催による講演会のため来日しました。同大使館公式マガジン「アメリカン・ビュー」は、博士が東京滞在中にインタビューを行い、アメリカ・ディープサウスの歴史と文化についてお話を伺いました。

「アメリカン・ビュー」のインタビューで、ディープサウスの歴史と文化を話すパメラ・ムア博士(アーカンソー大学パインブラフ校)

「アメリカン・ビュー」のインタビューで、ディープサウスの歴史と文化を話すパメラ・ムア博士(アーカンソー大学パインブラフ校)

アメリカン・ビュー:地理的な用語としてディープサウスをどう定義されますか?

パメラ・ムア博士:私たちがより一般的な「アメリカ南部」という言葉を使うときは、地理的に独立戦争中の南部連合の一部であった州を考える傾向があります。しかし「ディープサウス」と言うとき、それは歴史、音楽的伝統、食の伝統、そしてよく似た世界観が定着した非常に地域意識の強いアメリカの一部を意味します。

通常「ディープサウス」とされる州は、濃い赤で色分けされたジョージア、ミシシッピ、ルイジアナ、アラバマ、そしてサウスカロライナである。薄い赤で示された地域は、しばしば州やその一部が「ディープサウス」として扱われることがある(LZhang25による“Deep South map” ライセンスはCC BY-SA 4.0に基づく)

アメリカン・ビュー:アメリカの一部として、この地域はどのように発展したのですか?

ムア博士:長期間にわたる絶え間ない人々の移住で、この地域が出来ました。その成り立ちは州によって異なるでしょう。しかしこれらの州は、独立時の13植民地の枠を超えて国が拡大し、さらに西に広がり現在の姿になる過程で出来上がったと言えます。私が住むミシシッピ州の三角州地帯は、もともとが湿地帯のため非常にユニークな歴史があります。ミシシッピ川の度重なる氾濫により、肥沃な土壌が形成されました。この土地で多くの収益を上げられると知ると、大規模農園経営者が東海岸から移住してきました。この土地を征服するためには、お金、奴隷、資源が必要でした。つまりその成り立ちの最初から、この地域はプランテーション経済に立脚していたのです。これは小規模農家が数多く存在する他の州では見られないことです。

アメリカン・ビュー:ディープサウスという言葉を耳にすると、その歴史的背景から人種間の敵対意識を考えがちです。それはどのような形で現在の文化に反映されているのでしょう?

ムア博士:そうですね、少し矛盾している部分が常にありました。人種間の敵対意識があったのは事実ですが、同時に上品さと礼儀正しさを重んじる社会が人々を結び付けた側面もあるのです。そうは言っても公民権運動時代に、殴打、爆破、攻撃といった出来事があったのは紛れもない事実です。今では、飛行機を降りディープサウスの地に降り立つと、必ずしも書物などで読んで知った[暗い南部の]イメージを感じることはないでしょう。土地の人たちは親切で親しみやすく、客人を温かく歓迎してくれるからです。矛盾と言うのはそういうことです。

アメリカン・ビュー:この地域の文化的側面を具体的にいくつか挙げてください。

ムア博士:アパラチア以北を見ると、カーレースで有名な全米自動車競走協会(NASCAR)関連産業がこの地域の発祥です。文学で言えば、ミシシッピ州で育ったジョン・グリシャムを筆頭に、さらに時代をさかのぼれば、ウィリアム・フォークナー、ゾラ・ニール・ハーストン、リチャード・ライトなど、南部だけでなく世界中に影響を及ぼした作家を数多く輩出しています。

食べ物では、ナマズフライの社会的地位を上げました。ナマズは川魚なので、一般社会では汚らしい魚と考えられていました。泥で覆われた川底で生活しているからです。南部の農民が池でナマズの養殖を始めてからは穀物が餌として使われました。その結果急速にどこでも手に入る人気料理となったのです。私がボストンの学校に進んだ1982年には、シーフードレストランに行ってもナマズ料理はメニューにありませんでした。今では立派にメニューに載っています。我々がナマズフライを人気料理にしたのです!

またミシシッピ・デルタは、ブルース発祥の地と言われています。この音楽の伝統は後に北上してシカゴに渡り、ニューオーリンズに南下しました。またニューオーリンズはジャズ発祥の地と言ってもいいでしょう。カントリーウェスタンの音楽は幾分アパラチア地方と関係していますが、ブルースに似ている部分もあります。カントリーウェスタンの歌詞を見れば、ブルース特有の「ひどい目にあわされた」、「(すべてがうまくいかず)靴まで合わない」、「雨ばかり降っている」といった典型的な暗い内容となっています(笑い)。

ミシシッピ州インディアノーラのダウンタウンの駐車場から見たB.B.キングの壁画。ティーンエイジャーの頃にインディアノーラに移り住んだキングは、以来その地をホームタウンと呼んだ。「ブルースの王様」とたたえられたキングの影響は、小さなミシシッピ・デルタの街のあちこちで見られる (AP Photo/Rogelio V. Solis)

アメリカン・ビュー:現在この地域には多くの多様性が見られますか?

ムア博士:ディープサウスには常に多様性がありました。ただ黒人・白人間の決定的な力学と凝り固まった社会統制感覚のため、この地域に出入りするグループは、適合しようとするか、鳴りを潜めて目立たないようにするかのどちらかになりました。黒人と白人以外の民族的なアイデンティティーは存在しないも同然でした。それでもこの地域には常に多様性がありましたし、公民権運動のおかげで現在では、全体的にその多様性を表現しやすい環境になっていると思います。

アメリカン・ビュー:観光客にはこの地域でどのようなことを勧めますか?

ムア博士:ありがたいことに、私たちは過去の遺産を忘れずに記憶する方法を見出しました。テネシー州メンフィスには、マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたロレインモーテルのあった場所に国立公民権博物館があり、公民権運動の歴史を後世に伝えています。ミシシッピ州ジャクソンには新しい公民権博物館があります。メンフィスでは、ビールストリートやグレースランドといった観光スポットがお勧めです。アーカンソー州のリトルロックには、クリントン大統領図書館があります。南部全般にわたって、こういった場所が点在しているのです。公民権運動をテーマにした文化観光以外では、サウスカロライナ州がオールドサウスを体感できる最高の場所です。

テネシー州メンフィスの旧ロレインモーテルの外観。現在は国立公民権博物館として公開されている (AP Photo/Adrian Sainz)

テネシー州メンフィスの旧ロレインモーテルの外観。現在は国立公民権博物館として公開されている (AP Photo/Adrian Sainz)

アメリカン・ビュー:ディープサウスの大学で教壇に立つ教育者として、日本の学生にこの地域の大学への留学を勧める理由を教えてください。

ムア博士:アメリカの至るところで、優れた教育を受け多様な学位を取得することができると思います。ハーバード、エール、スタンフォード、ライスといった名門大学もありますが、私の経験から言うと、アメリカで受けた教育を役立てることと大学のランクの間には、あまり関連がありません。名門大学の他にも素晴らしい教育を受けられる学校が数多くあります。アジア系の人口が多いカリフォルニア州からアメリカの他の地域まで選択を広げると、幅広い文化的経験が可能になります。公共政策や管理運営、アメリカとの相互関係が不可欠なグローバルな職業に関心のある学生にとっては、南部を理解することが極めて重要になります。南部を理解できれば、ワシントンD.C.を理解することができるのです。アメリカの特定の地域に対する理解が欠けていれば、国政レベルで起きていることの理由や原因を理解するのはほとんど不可能です。長い目で見れば、社会資本価値に関係する分野を学ぶことは学生にとって常に有意義だと思います。ディープサウスの住人は客人を温かくもてなします。訪れた人たちは、生涯忘れることのない素晴らしい思い出を持ち帰ることができるのです。