齋藤拓也 在日米国大使館 報道室インターン

大友啓史監督―NHK大河ドラマ『龍馬伝』の演出を手がけ、映画『るろうに剣心』の大ヒットで世界的にもその名を知られた人である。

大友監督には、2年間のアメリカ留学経験がある。映画という分野において世界で活躍する人物の人生に、留学はどのような影響を与えたのだろうか。興味を持った私は、ご自身の経験についてお話を伺うため、大友監督にインタビューをお願いした。

インタビューに答える大友監督

留学で得たもの

大友監督はNHKのアシスタントディレクターとしてドラマ制作に携わっていたとき、上司から社費留学を勧められ、エンターテインメントの都ハリウッドがあるカリフォルニア州に2年間留学した。

現地では南カリフォルニア大学等で学んだが、普段の生活から学んだものは授業と同じほど重要だったと言う。当時、日本の日常生活の中ではなじみのなかった教会に家族と一緒に足を運んでみるなどしたそうだ。映像作りを勉強しに行ったのだが、留学を終えてみれば、アメリカの生活や文化になじんだり、各地を訪れいろいろな人とさまざまな話をしたことが貴重な経験になったと話す。

大友監督が留学中に学んだことで一番重要と感じるのは、アメリカの文化や人に囲まれているなかで自然と自分に浸透していった考え方だと言う。それは、さまざまな人種や国籍の人々が生活する多民族国家アメリカで、多様性を認め合い、リスペクトし、それによって自らを育んだ自国の文化や生活を相対化する視点だ。そうした視点を学んだことで、これまで気づかなかった映画のワンシーンの意味も感じ取れるようになったそうだ。

映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』の撮影現場にて(左はアクション監督の谷垣健治さん)

切なさを感じた経験

留学前は期待が不安を上回っていたと大友監督は言うが、だからといって不安がなかったわけではない。特に言葉の壁は、現地に行ってしまえば何とかなると思っていたが、そう簡単ではなかった。あるとき集団で会話をしていた際になかなか意見を言えないでいると、周りの人たちから自分がいないも同然のように思われていることを痛感したと言う。日本人同士ならば、言葉にしなくても自然と相手の考えを察し合うことができるが、アメリカでは人種も文化も異なる人々が集まるため、自分の考えを言わなければ誰もわかってくれないし、自分の存在に気づいてもくれない。

それ以来、せめて伝える努力を示さないと何も始まらないのだと思い、たどたどしい英語や日本語を交えながらでも、どうにか話に割り込み、とにかく声に出してみるようにした。簡単な文でも、表情やジェスチャーに思いを込めることを意識した。そうしていくなかで相手に自分の考えを伝える楽しさを覚え、会話も増えていったという。「異文化の中で生きていくためには遠慮している場合じゃない、自分がどういう人間かを伝え続けていかなければいけない。この二年間で開き直りを覚えたというか、度胸がついたと思う」。大友監督は壁を打開したそのときの気持ちをそう話してくれた。

「日本で生まれ育ったのだから英語が話せないことをコンプレックスに思わなくてもいい。当たり前のことなんだ。大切なのは異文化間の隙間を埋める努力で、表情や伝える姿勢、聞き返す勇気がそれだった。たとえ国が違っても、実はそれこそが会話において一番重要で、人とのコミュニケーションの原点だと気づいた」と大友監督は言う。

自分自身を問われ、問い続けた

もうひとつ、留学中に問われ続けたのは、「自分自身が何者であるか」ということだという。

日本では、人に会ったときに「NHKの大友です」と言えば自己紹介は十分だった。しかし、アメリカではNHKと言っても通用しない。また社費留学中の当時、純粋な意味の学生でもなければ、会社で映像制作をしているわけでもない自分を表現する言葉も見つからなかった。アメリカではさまざまな場所で「あなたは何をしにきたの? あなたは何がしたいの?」と聞かれたが、そのたびに曖昧な答えしかできなかった。

そんな中で、ハリウッドの映像ビジネスを成り立たせている環境そのものや、エンターテイメントビジネスの根本にある、アメリカ流の考え方や教育の理念は何なのだろうかと、広い視点から興味を持っている自分に気づいた。その違いが、映像制作の環境や作品そのものの内容やあり方にも大きな影響を与えているように思えたからだ。そして、自分の専門分野の監督コースや演出技術以外の分野にも触れるべく、マーケティングのプロや作曲家など、映画作り全般を勉強しにくる専門家が集まるカリフォルニア大学ロサンゼルス校の夜間授業に足を運んだ。そこでいろいろな人に話しかけ、彼らの仕事現場に同行させてもらい、現場を見せてもらう中で仕事を学ばせてもらった。自分は何がしたいのかを伝えると、意外にも彼らはフレンドリーに受け入れてくれた。

アメリカで出会った人たちからしたら、どの組織から来たかなんて全く関係なかった。自分が何に興味を持って何がしたいのかを伝えるほうがずっと重要だった。それさえ伝えれば、有名無名にかかわらず、アメリカの人たちはその人を温かく迎えてくれる。大友監督はこのように振り返る。

こうしてアメリカで積んだ多くの経験から、自分自身がタフになり、自分の意見を粘り強く伝えていく力をつけることができた。こうしたスキルは、今でも大勢の関係者と映画をつくる際に役に立っているという。

映画『るろうに剣心』の撮影現場で演出する大友監督
© 和月伸宏/集英社 ©2012『るろうに剣心』製作委員会

慣れ親しんだ場を離れる葛藤

留学前、日本、そしてドラマ制作の現場から離れることに葛藤はあったと大友監督は言う。2年もの間日本から離れたら、現場の仲間たちは自分のことを忘れてしまうかもしれない。2年後に自分に演出家として仕事があるのか。そんな不安を持っていた。

しかし、先のことを考えても仕方がない。今面白いと思ったら行ってみなきゃと思い、アメリカへ向かうことを決断したそうだ。「その決断が得なのか損なのかなんていうのは、周りと比べるから考えてしまうことで、一人の人生で考えたら全てが損でも得でもない」と大友監督は言う。

そしてこう続けてくれた。「ドラマの主人公でも、常に成功だけの人生なんてつまらないし、大切なものを失って気付くこともある。失敗を繰り返しからこそ最後に成功する話は深く感じ入るものになる。苦労や失敗をしっかり体験してきている人の方が人間的に面白いと思う。フィクションもそうだが、もちろんそれは実人生でも言えるのだと思う」

ドラマをつくっている人間ならではの考えであり、ご自身が冒険を楽しんできたからこそとても説得力のある言葉だった。「行かないよりは行った方がいい」。もし留学に迷う人がいたら、大友監督はそう答えるという。

大友監督からのメッセージ

留学しようと考えている学生や、不安や迷いであと一歩踏み出せない学生に向け、大友監督から次のようなメッセージをいただいた。

「自分が作品として携わっていた坂本龍馬でいうと、彼は土佐から脱藩した人間で、当時脱藩は大罪に問われるものだった。それでも脱藩したのは、外の世界が見たいとか、面白いものが見たいとか、いろんな人と会っていろんな話がしてみたいという単純な好奇心からなんだと思う。自分も昔から映画監督になりたかったわけじゃない。でも目先にあるものをただ一生懸命にやっていて、留学の話が目の前にきたから飛び込んだだけ。そこで飛び込まなかったら今の自分はなかった。最初から明確に夢を持っている人なんて少数派だと思う。だから好奇心の赴くままに動いてみればいいし、そうすれば自然と開けてくるものがあるんじゃないかな」

大友監督は大河ドラマ『龍馬伝』の演出も手がけました

大友啓史監督

1966年岩手県盛岡市生まれ。慶應義塾大学法学部卒。90 NHK入局。秋田放送局を経て97年から2年間ロサンゼルスに留学、ハリウッドで脚本や映像演出を学ぶ。帰国後、連続テレビ小説『ちゅらさん』シリーズ、『ハゲタカ』、『白洲次郎』、大河ドラマ『龍馬伝』等を演出、映画『ハゲタカ』(09年)監督を務める。20114NHK退局、株式会社大友啓史事務所を設立。同年ワーナー・ブラザースと日本人初の複数本監督契約を締結。『るろうに剣心』12年)、『プラチナデータ』(13年)を公開。るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』は14年度の実写邦画No.1ヒットを記録。その後『秘密 THE TOP SECRET』(16)、『ミュージアム』(16)、『3のライオン』二部作(17)など、話題作を次々と手がける。最新作は10月19日公開の『億男』。昨年、新たに電通との合資会社「OFFICE Oplus」を立ち上げ、今後の海外での映像制作も視野に活動を続けている。