元JET参加者スティーブン・ホロウィッツ氏に聞く

元JET参加者スティーブン・ホロウィッツ氏

 現在「語学指導等を行う外国青年招致事業(JETプログラム)」に参加している米国人は何人いますか。これまでに何人の米国人が参加しましたか。

 JETプログラムのウェブサイトによると、現役参加者は2011年7月現在、全体で4330人、そのうち2322人が米国人です。創設以来50カ国から5万5000人以上の人々がJETプログラムに参加しています。

 東日本大震災後の日本の復興を支援するJETの活動で、ホロウィッツさんはどのような役割を担っていますか。

 日本政府公認ではありませんが、元JET参加者向けの公式情報サイト「JETwit.com」の発行人として、情報を収集、提供する役割を担っています。JETwitは米国など世界各国の元JET参加者のための主な情報源です。ですから(震災後は)さまざまな情報源からひたすら情報を収集し、フェイスブックの複数のグループをフォローして投稿し、他にも情報源を探し出して、米国や世界各国の現役・元JET参加者とその家族の役に立ててもらうため、断片的な情報をつなぎ合わせて把握しようとしました。

元JET参加者東北被災地招待プログラムで福島に「里帰り」し、かつての上司と再会したエイミー・キャメロンさん(写真提供 JETwit)

その後は徐々に自分の役割を変えていき、JETwitと自分のネットワークを使って情報を共有し、人と人をつないで義援金を集め、元JET参加者による支援を促したほか、個々の現役・元JET参加者あるいはJETプログラム同窓会(JETAA)の各支部が震災以降、さまざまな方法で復興活動を支援していることを知ってもらうために尽力するようになりました。

基本的には他の多くの人たちと同様、裏方として人と人をつなぎ、情報を共有して、状況の把握や下地作りの支援を多く手がけてきました。また米国JETAA救援基金(JETAA USA Relief Fund)委員会の発足を手助けし、私自身も委員となって、8万ドル以上の義援金を集めました。集まった義援金は、JET参加者の2人(テイラー・アンダーソンさんとモンゴメリー・ディクソンさん)が津波の犠牲となった2つの都市、宮城県石巻市と岩手県陸前高田市の復興プロジェクト支援に使われます。

 これまでに元JET参加者が関わった救援活動を教えてください。

 米国および世界各地のあらゆるJETAA支部が募金活動をしました。米国のJETAA支部は全て独立した組織であり、募金や災害救援を目的としたさまざまな活動を組織しました。ほとんどの支部は集まったお金を中央の米国JETAA救援基金に送りましたが、なかには同じ地域にある日本関連の組織と共同で募金活動し、日本赤十字社などの団体に寄付した支部もあります。米国JETAAが集めた8万ドルを超える義援金は、米国JETAAがこれまでの関係を通じ妥当と判断した複数の教育関係団体に直接寄付しました(詳細はこちらを参照)

米国や世界各地の多くの元JET参加者がそれぞれ義援金を集め、さまざまな手段を通じ東北地方に直接送った点も特筆すべきです。先日、世界中の支部を調査したところ、現役・元JET参加者を合わせ、記録があった分だけで、これまでに少なくとも3800万円(48万5000ドル)の義援金を集めたことが分かりました。

日本政府は東北地方でJETプログラムに参加した経験がある人々に対し、東北で約10日間働き、その間に体験したことを記事やブログに書いて被災地の現状を人々に知ってもらうプログラムへの応募を呼びかけました。米国、カナダなどの国々から選ばれた20人のうち何人かの体験談をJETwitのページで読むことができます。他にも多くの元JET参加者がグループで、あるいは個人で東北に戻ってきました。

ジャパン・ソサエティーなどの非営利組織で働いている多くの元JET参加者も救援活動を支援しました。注目に値する例として、米国法人日本国際交流センター(JCIE/USA)の事務局長ジム・ギャノンさんがいます。JCIE/USAは多額の義援金を集めただけでなく、米国の組織や寄贈者に日本の状況や事情を分かってもらい、情報に基づく賢明な方法で寄付をしてもらう上で大きな役割を果たしました。

JETプログラムを経験した多くの翻訳者もさまざまな支援を提供してきました。このような例があります。体制が十分に整っていない日本の非営利組織では、助成金申請書の作成の需要が大きく、その重要な一歩が申請書の英訳であることが分かりました。そこでJETwitと、その少し前にLinkedIn上で組織した元JET参加者による翻訳者グループ(JET Alum Translators)を通じて呼びかけた結果、すぐに経験豊富な翻訳者チーム(全員が元JET参加者)を組織することができ、助成金申請書の翻訳に協力してもらいました。

 現役・元JET参加者による救援活動の具体的な例を挙げてください。

 被災地でボランティア活動をするために震災後間もなく日本に戻ってきた元JET参加者がいます。例えば、応急処置や二次医療の専門家スチュアート・ハリス博士は、地震の3日後にマサチューセッツ総合病院の医師団を率いて、JETプログラムに参加していた時に住んでいた岩手県に到着しました。ハリス博士率いる医師団は凍えるような寒さの中、地域を回り、生存者に救急処置を施しました。

現役のJET参加者たちも同様に素晴らしい活動をしました。秋田県のグループが「ボランティア秋田」という組織をつくり(秋田県でJETに参加していたポール・ヨーさんが創設)、震災後の数カ月間募金活動を行い、集まったお金で新鮮な果物を買って気仙沼市と石巻市の避難所に毎週届けました。今でも被災地でさまざまなボランティア活動をしています。

他にも現役のJET参加者たちが始めた「マンアップ・キャンペーン」があります。「マン」には日本語で1万円という意味もあります。日本中のJET参加者たちが、被災地支援のために翌月の給料から1万円を募金するキャンペーンに登録しました。この運動はフェイスブックなどを通じて瞬く間に野火のように広がり、短期間で多額の義援金が集まりました。

義援金を集めるために三瓶山に上った島根県のJET参加者たち(写真提供 JETwit)

「スマイルキッズジャパン」は英国人の元JET参加者マイク・マハーキングさんが創設しました。JET参加者を地元の児童養護施設に派遣し、施設の子どもたちとゲームをしたり勉強を教えるなどして、子どもたちに楽しい毎日を過ごしてもらおうという活動です。この団体は震災後すぐにボランティアを動員し、日ごろから協力している児童養護施設に救援物資を届けました。この活動には他にも利点があり、自分たちを大切に思い、気にかけている人たちがいることを施設の子どもたちに示すことができました。

このように東北で直接支援活動をしているJET参加者がいる一方で、救援と復興のための募金活動を始めたJET参加者もいました。島根県のJET参加者のグループは募金活動の一環として三瓶山に登り、最終的に120万円を集めました。一方、宮城県山元町に住む、あるJET参加者は、この町の学校のために募金集めを始めました。活動を終えた時点での募金額は160万円でした。

愛知県犬山市でJETに参加したビアンキ・アンソニーさんは、現在同市で市議会議員を務めています。彼は出身地ブルックリンの母校ザバーリアン高校と緊密な関係を維持しており、同校と協力して大規模な救援募金イベントの企画に関わり、そのイベントに参加するためブルックリンへ向かいました。また元JET参加者のジョン・ゴントナーさんとクリス・ジョンソンさんは、ともに日本酒専門家として名声を得ており、酒造メーカーが組織した募金活動に深く関わっています。

 日本の復興支援活動を始めようとした時、元JET参加者はどのような問題に直面しましたか。

 主な課題のひとつとして、日本では非営利組織の活動基盤と文化が比較的未発達な点があります。米国など諸外国の組織や個人は日本のために多額の義援金を集めましたが、集まった義援金を寄付する非営利組織を見つけるのが課題でした。日本でも非営利組織が増え、この問題も解決しつつありますが、こうした組織には助成金申請書の作成や米国の寄贈者の多くが求める報告の経験や知識がないことがよくあります。米国JETAA救援基金の強みのひとつは、さまざまな形で日本と密接なつながりを持つ元JET参加者の広範なネットワークを持っている点です。そのおかげで(被災者と)対話ができ、他の団体にはできないような方法でニーズや(支援を必要とする)組織を特定できました。

 元JET参加者の災害救援活動に対する日本の国民や政府の反応を教えてください。

 非常に感謝してもらいました。ある意味で国外在住日本人のような人々が世界各地に5万5000人以上もいることの価値を実感したのだと思います。10月に多くの元JET参加者が陸前高田市の戸羽市長に面会したのですが、とても感動的だったようです。日本のメディアもJETの募金が被災地の役に立っていることを大きく報道しています。

私(とJETwit)は、震災後にJETwitを通じて私が果たした情報提供の役割を「日本国民のための持続的で広範な努力である」とたたえる感謝状を自治体国際化協会(CLAIR)の理事長からいただきました。その他の元JET参加者や支部もCLAIRや外務省から同様の感謝状を授与されていると思います。

 東北地方に派遣されていた米国のJET参加者は震災にどのように対応しましたか。危険を顧みず現地にとどまった人はいましたか。

 JET参加者たちは現地にとどまりたいと強く希望していたと思います。しかし住まいや町が破壊され、あるいは深刻な被害に遭ったため、多くの参加者は少なくとも一定期間、被災地を離れて帰国することを余儀なくされました。元JET参加者のキャノン・パーディーさんは、前年に派遣期間が終わっていたにもかかわらず、(自分が教えた)生徒の卒業式に参列するため(震災発生時に)南三陸町に戻っていました。結局彼女はその後もしばらく南三陸町にとどまり、復興・救援活動をすることになりました。

 震災で亡くなった2人の米国人教師に関連し、何か特別なプログラムが設けられましたか。

岩手県大船渡市のすし店の壁の除去作業を手伝うレイチェル・ビジルガルシアさん(写真提供 JETwit)

答 震災で亡くなったテイラー・アンダーソンさんとモンゴメリー・ディクソンさんを追悼するプログラムを国際交流基金が創設しました。このプログラムで2011年に32人の米国人高校生が日本に2週間滞在し、日本文化を体験したり日本語を学んだりました。また米国JETAAテイラー・アンダーソン基金は、アンダーソンさんが教えていた石巻市で、地元の学生のための交流プログラムや小学校での「テイラー文庫」の創設などの全く新しいプログラムを支援しています。ディクソンさんが教えていた陸前高田市では、米国JETAAから寄せられた寄付金が中学生の英語検定受験を奨励するプロジェクトに充てられたため、受験者数が3倍に増加し、中学生全体の80%近くになりました(詳細はこちらを参照)

 JETプログラム参加者で震災の体験を書いた本を出版した人はいますか。

 元JET参加者のブレント・スターリングさんは、震災の体験をつづった文章やそうした体験を表現した美術作品や写真を集めた本「Quakebook(クエイクブック)」の出版に参加しました。収益金は全て日本赤十字社に寄付されます。スターリングさんは自分の体験談を寄稿し、本のマーケティング活動を手伝いました。JET参加者で震災当時、南三陸町に住んでいたキャサリン・オイさんのエッセーが出身大学の同窓会誌に掲載されました。他にもかつてJETプログラムに参加した多くのジャーナリストが震災に関する記事を書いています。そのうちのひとりで、福島でJETに参加したグラハム・シェルビーさんが書いた日本に関する記事は、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)をはじめ、さまざまなメディアで取り上げられました。また多くのJET参加者が震災の経験をブログで書いています。

 震災から1年が過ぎようとしています。現役・元JET参加者による支援活動の進展状況を教えてください。

 米国JETAA基金やJETAA支部が多額の義援金を集め、そのほとんどを教育関係の非営利組織に寄付しました。しかしJET参加者たちは、可能な方法で支援に継続して取り組んでいます。日本の復興支援のためにさまざまな募金活動が組織されていることを報告する元JET参加者の投稿を、フェイスブックなどで今も目にします。

 現役・元JET参加者による復興支援活動にはどのような特徴がありますか。

 被災地との絆やJET参加者同志のつながり、そして地元の人たちと直接意思を疎通できる日本語能力があります。学校制度の中で働けば地域社会と真のつながりができます。物事の仕組みや子どもが大人になっていく過程を理解するようになります。地域社会の一員となるのです。ですからJET参加者たちは、地域のニーズを見極めた上で国際社会に働きかけ、独自のやり方でそうしたニーズを満たす支援ができます。現場から遠く離れた大規模な支援団体よりも現役・元JET参加者たちの方が、いろいろな点で現場のニーズ、特に教育関係のニーズに関してより確実に把握できると思います。


スティーブン・ホロウィッツ

 弁護士資格を持ち、現在はニューヨークのジューイッシュ・アウトリーチ・インスティテュートで助成金申請書の作成に携わっている。JETプログラムに参加後、デューク大学法科大学院に進学。その後日本に戻り、2つの法律事務所で働きながら早稲田大学で学んだ後、ニューヨークの法律事務所に勤務。2002年、JETAAニューヨーク支部のニュースレター「JETAANY Newsletter」(現在はJETAANY Magazine)の編集者となり、2005年に日本で開催されたJETAA国際会議にJETAA ニューヨーク支部代表として参加。ニュースレター編集者として他の支部のニュースレター編集者に働きかけ、2008年に作家・通訳者・翻訳者(WIT)グループおよび現役・元JET参加者のための情報源としてJETwit.comを創設。現在はJETAAニューヨーク支部の理事と米国JETAA救援基金の委員を務めている。元JET経験者同志を結び付け、彼らのための雇用機会の発掘あるいは創出への支援を目的としている。