ジェイソン・ハイランド米国大使館臨時代理大使

今月初め、熊本を訪れました。蒲島郁夫・熊本県知事、大西一史・熊本市長にお目にかかり、昨年4月に発生した熊本地震からの復興状況について地元の方々からお話を伺いました。熊本は何度も訪問したことがありますが、いつもながら、風光明媚な土地柄に感銘を受け、行く先々で歴史を感じました。晴れわたった暖かい日で、花々が咲き誇っていました。日本の最も素晴らしい名所の1つに数えられる熊本城を見学するには、まさにうってつけの日でした。

蒲島知事を訪問しました

蒲島知事を訪問しました

熊本市の大西市長(中央)、在福岡米国領事館のサクライ首席領事と

熊本市の大西市長(中央)、在福岡米国領事館のサクライ首席領事と

福岡の米国領事館で首席領事を務めていた当時、熊本市を訪れ、県内を回る機会に何度も恵まれました。熊本城の散策、黒川温泉、天草そして多くの人たちとの出会いなど、楽しい思い出があります。伝説的な野外音楽祭「カントリーゴールド」に、アメリカを代表して3回参加し、チャーリー永谷さん(そして彼のバンド、キャノンボール)と知り合うことができました。このイベントの主催者は、将来有望なアメリカン・カントリー・ミュージックのアーティストを選ぶコツを知っているようです。新進気鋭のアーティストとお話しし、世界でもまれな熱いカントリー・ミュージックファンとご一緒したことは、私にとって特別な経験になりました。

益城町でラーメンのランチを楽しみました

益城町でラーメンのランチを楽しみました

1年前の4月14日、熊本地震の被害が報道され始めたとき、私は東京にいました。地震はその後何日も続きました。熊本とその周辺地域の住民の方々が感じた恐怖は、想像することしかできません。地震で亡くなられた全ての方々に心から哀悼の意を表し、被災された方々にお見舞い申し上げます。けれども今回の訪問では、行く先々で人々の立ち上がる力と決意を感じることができました。例えば、益城町の新しい仮設団地では、とてもおいしいラーメン店を営み、商売を広げようとしているオーナーにお目にかかりました。東京で世界的に有名な「くまモン」に会ったときには、彼が、何ものにも屈せず、友好的で前向きな熊本の精神を表す強力なシンボルとなった理由が分かりました。

くまモン、熊本県庁職員の皆さんと

くまモン、熊本県庁職員の皆さんと

アメリカが米軍を通して、地震で孤立した地域に支援の手を差し伸べたことを誇りに思います。また即座に被災地に出向いて援助を申し出、アメリカ人居住者の安否を確認した福岡の領事館についても、同様に誇りに思っています。一方、被災地に住むアメリカ市民も、多大なる支援を受けてきました。救援本部は、日本語が話せない者のために英語で最新の情報を発信してくれましたし、誰もが、母国から遠く離れた場所で震災に対処するアメリカ人の支援に尽力してくださいました。まさに日本の「おもてなし」精神の真骨頂です。ありがとうございました。

地震で熊本城は被害を受けましたが、建物と周辺エリアは今も見事な景観を保っています。先日訪れたとき、専門家たちが、この貴重な歴史的建造物を元の美しい姿に修復しようと懸命に取り組んでいる様子をじかに拝見しました。また、地震で倒壊した歴史的建物、ジェーンズ邸があった場所も訪ねました。これは1871年に建てられた熊本最古の西洋建築で、熊本洋学校のアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズ氏の住居でした。建物は失われましたが、私は、この貴重な歴史を保存し、ジェーンズ邸の再建に向けて支援を募る取り組みに励む本田憲之助さんのような人たちの情熱を目の当たりにしました。

CDA in front of Kumamoto Castle

熊本城の前で

Visiting the former site of Janes' Residence in Kumamoto with Ken Honda and Fukuoka Consulate Principal Officer Joy Sakurai.

ジェーンズの会の本田憲之助さん、サクライ首席領事と共に、ジェーンズ邸があった場所を訪れました

アメリカと熊本は強い友情で結ばれています。特にモンタナ州と熊本県は姉妹州提携を結んでおり、熊本市はテキサス州サンアントニオ市、ジョージア州ローム市の姉妹都市です。私は、故マイク・マンスフィールド元駐日大使の下で働いていましたが、大使はモンタナ州と熊本県の姉妹州提携をとても喜んでいました。マンスフィールド大使が生きていれば、こうした絆が今も深まり、熊本の友人たちが、その美点である友好と不屈の精神を今も見せていることを知って喜んだことでしょう。