ウヤンガ・エルディンボルド

2007年8月20日の朝のことは、昨日のことのように鮮明に覚えています。ウランバートルの空港に立った私は、わくわくする気持ちと同じくらい緊張して家族に囲まれていました。映画や本でしか知らない国を目指して、今から地球を横断するのです。現実離れしているように感じながらも、これは目標を達成した輝きの瞬間であり、自分の実力を証明したのだと分かっていました。それは、努力し目指していた瞬間でありながら、自分を含め多くの人が起こり得ないと信じていた瞬間でもありました。私はモンゴル出身初の盲目のフルブライト奨学生として渡米しようとしていたのです。

私が14歳の時、マーサというアメリカ人女性が学校にやって来て、興味のある生徒に英語を教えたいと申し出ました。私やクラスメートが一番驚いたのは、彼女も私たち同様目が見えないということでした。独り暮らしで、杖をついて歩き、モンゴル語はほとんど話せません。1990年代後半に1人でモンゴルを旅した彼女の勇気には今でも驚かされます。当時のモンゴルは、ドライバーが注意もせず車を走らせ、蓋のないマンホールの中にホームレスが住み、スリや貧困が横行するところだったからです。彼女を見て私の中に初めて、自分にもできるかもしれないという小さな自信の光が生まれました。私もいつかは勇気を出してどこか遠くへ旅をし、独り立ちできるかもしれないと。

マーサの英語教室は、最初はたくさんの生徒が参加していましたが、2週間で多くが脱落しました。結局、私が唯一の生徒になりましたが、彼女は2年間教え続けてくれました。英語を全く知らない状態から、自分の希望や夢を自由に言葉にして会話できるようにまでなりました。マーサは私にやればできるということを教えてくれ、自分の可能性を信じる手助けをしてくれました。その頃が私の目標到達までの中間地点です。

フルブライト・プログラムのおかげで、私は世界を見て、人生の流れを変えることができました。肉体的にも知的にも解放されました。アメリカに行くまでは、どこにも1人で行ったことがありません。当時のモンゴルには、目の不自由な人が自分で移動できるよう訓練する専門技術や設備がありませんでした。杖をついて歩くのを学んだことはなく、常に家族や友人に付き添ってもらっていました。自分の思うまま1人で歩き、いつでもどこでも好きな時に立ち止まり、目的地に行くのに自由に時間を決められる。それがどれほど恵まれたことか分かりますか? アメリカはそれを与えてくれました。アメリカに行くまで、私はアパートの鍵すら持ったことがありませんでした。1人ではどこにも行けなかったからです。アメリカで杖をついて歩くことを覚えた私は、あっという間に探検家になり、当てもなく歩き回り、靴を何足も履きつぶしました。杖の訓練を終えると、すぐに盲導犬との訓練に移り、2008年8月に最初の盲導犬を迎えることができました。

ウヤンガさんと最初の盲導犬「グラディス」。2014年、ウランバートル市立図書館の前で

ウヤンガさんと最初の盲導犬「グラディス」。2014年、ウランバートル市立図書館の前で

アメリカに行く前から、ステレオタイプな「障害者」という扱いを受けることはありませんでした。しかし挑戦的な私は、常に自分の実力を証明しようとしました。アメリカが教えてくれたことは、私が他の誰もと同じように、すでに社会に貢献する権利を持った1人の人間として認められているということです。それに気付くと、他の生徒と同じように勉強に集中できるようになりました。教授たちから見れば、私と他の生徒の違いは、私がかわいい犬を連れていることだけです。もちろん物事がうまくいかない日もあります。特に最初の頃はそうでした。なぜ居心地の良い我が家や、家族と友人から離れてしまったのかと後悔する日々。寂しくて、ホームシックになり、挫折感を味わいました。それでも自分がどれだけ努力したか、そして何を達成したいと望んでいたかを思い出すことで、前に進むことができたのです。

障害者に何ができるかという話になると、「現実的になろう」という言葉がよく出てきます。ただ、各人の現実はそれぞれ違うので、それは不可能です。修士号を目指して渡米した当初は、パソコンの使い方さえわからず、1人でどこかを旅したこともなく、杖や盲導犬の使い方も知りませんでした。自分のメールさえチェックできない状態から、スクリーン・リーディング・ソフトウェアを使いこなし、トイレに行くのを誰かに完全に頼っていた状態から、3万人規模のキャンパスを独力で歩き回れるようになるのは、私にとって現実的なことではなかったのです。それでもできるようになりました。なぜでしょうか? 私が超人だからではなく、資源が10分の1しかない環境で他人の倍の努力をすることが私の現実だったからです。

独学で英語を学んでいた頃は、書くための紙や読める本がありませんでした。1文字ずつ単語を綴ってもらえるよう、妹に英語のアルファベットを教えました。それが14歳だった私の現実です。パソコンと杖の使い方を覚え、学校のコースの全課程を終えるのが現実だと思えるようになったのは24歳の時です。 社会の主流から取り残されたグループのメンバーが何をできるか「現実的」に考えようとするとき、しばしば忘れられてしまうのは、彼らが好奇心と知識を渇望する計り知れない力と、社会で意味のある存在になりたい、貢献したい、認められたいという強い願望 を持っていることです。

現在の盲導犬「ダナウェイ」とともに。東京の美しい春の日を一緒に楽しむ。2019年4月撮影

現在の盲導犬「ダナウェイ」とともに。東京の美しい春の日を一緒に楽しむ。2019年4月撮影

どのようなタイプの評価や価値でも、障害者がそれを得るには、多くの場合繰り返し自身の能力を示さなければなりません。障害者はできないという考えが前提になっていることが多く、それが間違いだと証明するのは、障害のある人たちです。会う人ほとんど全員にそれをしなければならないと、疲れ切ってしまいます。障害者と仕事をし、交流する人へアドバイスがあります。障害者はできるという前提に常に立ち、彼らに証明させることなく信頼と自信を進んで与え、決めつけずに味方になることです。健常者の仲間と比較し、障害者への期待度を下げないでください。障害者は現実的になるようにと言われれば、私たちを信じてくださいと言います。私たちの可能性に対する期待度が上がることで、そう切望することで、前に進むことができるのです。

以前は自分の障害に合わせ、しばしば生活や夢に折り合いをつけました。でも渡米後は、障害のことはひとまず脇に置きました。人生には目に映る以上に多くのことがあります。自分に与えようと決意さえすれば、チャンスは無限に広がることを学びました。

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ウヤンガ・エルディンボルドさんは、米国務省とNGOで9年以上の経験を有する広報・外交の専門家です。盲導犬と共に幅広く旅をし、行く先々で障害者の権利とアクセシビリティのため、社会的意識向上に取り組んでいます。大の犬好きのウヤンガさんは、モンゴル初の動物救護・擁護団体である「ラッキーポウズ」創設メンバーの1人です。最近では、米日カウンシル - ジャパン(東京)で、TOMODACHIメットライフ生命女性リーダーシップ育成プログラムのプログラムマネージャーを務めました。現在は在日米国大使館のダイバーシティおよびインクルージョン評議会の理事を務めています。

バナーイメージ:ウヤンガさんと盲導犬「グラディス」。ウヤンガさんはルイジアナ州立大学から修士号を取得した初のモンゴル人となった。2009年5月撮影