寺下ヤス子 在札幌米国総領事館 広報・文化交流部

全国から東北に駆けつけた震災ボランティアの中には、そのまま今も東北で活動を続ける人たちがいる。公益社団法人「3.11みらいサポート」で専務理事兼事務局長を務める中川政治さんもその1人だ。この10年間と今後の取り組みについて、中川さんに話を聞いた。

10年前のあの日。中川さんは、青年海外協力隊から環境教育のため赴任していたフィジーにいた。母国の未曾有の災害が報道され、いてもたっても居られず帰国。東北に行かなくては! しかしどこへ? あまりに多くの地域が甚大な被害を受けた。

まずは地元である京都で東北に送る支援物資の仕分けをボランティアとして手伝い、物資が最終的に被災者の手に渡るまで見届けるところから支援をスタートすることに決めた。京都からの物資の送り先は宮城県の仙台と石巻の2つの市だったが、仙台は、いち早く米軍が仙台空港を修復したこともあり支援が集まりやすかった。一方の石巻は、当時は被害の全容すらつかめておらず、被災地の中でも多くの支援が必要とされていた。中川さんは自らの行き先を石巻に定め、3月末には同市に入った。石巻での死者数は3186名、行方不明者数は416名に上る。石巻市の人口の46%が居住していた西部沿岸部は、津波の直撃を受け、特に門脇町、南浜町では、津波による家屋流出に加えて、直後の火災に覆われ、今も147名が行方不明だ。あれから10年。今も石巻で震災の伝承と防災に尽力する中川さん。彼を留まらせるのは、「事前の防災教育によって救えた命がたくさんあったはず」という悔しさだ。

タブレットを手に「防災まちあるき」

タブレットを手に「防災まちあるき」

何が起こったか、伝えなければならない。震災を知らない人々に、当時の様子を少しでも体感してもらうために工夫を凝らす。被災者が来訪者に当時の体験を語る「語り部」は、ボランティアとして被災地に来てくれた人たちに、地元の人々が夜な夜な当時の説明をして語り合ったことが発祥である。復旧作業の進捗と共に被災体験の「語り部」だけでは教訓が伝わりづらいと感じた中川さんたち。2015年にプレハブ舎で開館した南浜つなぐ館が2017年に移転し拡張されたのを機に、当時の被災状況がバーチャルで見える3Dモデル化やプロジェクションマッピングで来訪者にわかりやすい展示をしたり、見学者が町でスマートフォンをかざしその場の被害を見ることができる津波の拡張現実(AR)アプリを考案するなど、震災の「見える化」を実現した。東北初となったアプリを活用したプログラム「防災まちあるき」は、参加者から「震災、津波の大きさを肌で感じた」「ここには波が来ないという主観的な憶測がいかに怖いことであるかを肌で感じた。自分自身の防災意識を強く改めるきっかけになった」などの感想を得ている。

スマートフォンで見られる高台へ至る坂での津波浸水実績AR

スマートフォンで見られる高台へ至る坂での津波浸水実績AR

そんな中、参加したのが国務省インターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラムである。27の国・地域からの参加者による防災プログラムにコロナ禍直前の2020年2月に参加した。まず多様な人々がアメリカで一堂に会することに感嘆したという中川さん。アメリカのNGOが所有する支援物資倉庫の大きさには目を見張った。市の災害対策センターにNGOが組み込まれていることにも驚いた。連邦緊急事態管理庁が危機管理教育機関と連携する人材育成プログラムなど、日本にない取り組みに学ぶことは多かった。中でも、ハリケーン被災地ニューオーリンズで、「できなかったこと」、失敗談を聞けたことはとても貴重だったという。例えば、規模やコースが事前共有されていたにもかかわらず、避難が上手くいかず多くの方が亡くなったとのこと。反省から現在はバスで住民をピックアップする計画が練られている。また、壊れた堤防が以前と同じ高さで再建されたが、それについて住民との話し合いがほとんどなかったと聞き、東北との類似性を感じた。

IVLPのクラスメートたちと。最上段右から2人目が中川さん

IVLPのクラスメートたちと。最上段右から2人目が中川さん

「あの日」の行動の記録は貴重な情報だ。中川さんたちは、 門脇・南浜地区で100名の生存者から3.11当日の意識や行動を丁寧に聞き取り調査した。山の上の幼稚園から出たバスが低地で被災して、子どもたちが亡くなった事例、0歳児を連れた門脇保育所でも徒歩避難で助かった事例などから、「行動すれば助かったはずの命」を率直に伝えている。

2020年の東京五輪が復興をテーマとする追い風もあり、震災伝承施設や祈念公園が政府の力で整備が進められた。施設の活用には、国、県、市、の力だけでは足りない。例えば、伝承施設の建物、ハードを行政が作ってくれても、実際の伝承活動、ソフトは中川さんたち地元の人々の役目だ。法律上、追悼や教訓伝承が求められない都市公園として整備される祈念公園を、伝承や防災の場として活用していくのも地元の人々だ。行政の手が届かない部分を、中川さんたち公益社団法人が担う。思わぬ新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延で、東北復興を全世界へと発信する機会は先延ばしとなってしまった。被災地への来訪者数も激減した。しかし伝承の活動は止められない。

東京で震災伝承の活動報告

東京で震災伝承の活動報告

2021年3月、中川さんらの公益社団法人「3.11みらいサポート」によって新たな施設「MEET門脇」がオープンする。震災遺構となった門脇小学校と復興祈念公園の目の前という立地だ。目的とするのは、3.11を原点に、地元の一人一人の悲しみと希望のストーリーを伝え、来訪者が防災の意識を高めることだ。

遺族から預かった大切な遺品の展示、ボランティアへの感謝の言葉コーナー、震災時の100名の避難行動を大画面で追体験できるシアターを備える。そして力を入れるのがこども防災学習である。震災当時子どもだった若い世代の語り部が、震災を知らない世代の子どもたちに経験を語る。漫画家の協力を得て、親しみやすいコンテンツで震災の追体験ができるタッチパネルを設置する。さらにそれらを踏まえて、災害対応を話し合う教室がある。ささやかな規模の施設ではあるが、周辺の公的な伝承施設と連携して修学旅行などを積極的にコーディネートし、津波と火災で一変してしまった被災地を、未来に向けた学びの場所へ変えてゆく。

「MEET門脇」完成予想図

「MEET門脇」完成予想図

「かわいそう」で終わるのではなく、人々の防災意識の変化を生み出したい、と中川さんは言う。3.11後も、日本列島は地震や台風による被害が相次いだ。さらに南海トラフ巨大地震も想定される。「がんばってください」から「みんなで一緒にかわろう」へ、「自分は大丈夫」から「私も備えよう」へ、そんな意識変革が起こってほしい。それが中川さんたち伝承を続ける人々の願いであり、未来への被災地の祈りだ。

10年を経て、被災地の風景は変わった。だからこそ次世代に伝えたいことがある。 MEET門脇にはそんな中川さんの思いが詰まっている。

バナーイメージ:中川政治さん。宮城県仙台市内にて