1988年と1992年のハードルのオリンピック代表選考会。ジョン・レジスターは、宙を駆けるようにハードルを跳び、代表入りが確実視されていました。アーカンソー大学にスポーツ奨学生として在籍していた当時から、レジスターは陸上の花形選手として注目を集めていました。陸軍に入隊、「デザートストーム(砂漠の嵐)作戦」に参加した後も競技を続け、陸軍陸上大会では金メダルを9回獲得、世界各国の軍人が参加する陸上選手権では2度優勝しました。

110メートルハードルに参加するアーカンソー大学時代のジョン・レジスター(左から3人目)

しかし、1994年のある日、今まで築き上げてきたものが一瞬のうちに崩れ落ちる事故に見舞われます。ハードルの着地に失敗、左ひざが過伸展を起こしたのです。損傷は深刻で、左足の切断を余儀なくされました。

けがの直後は、痛みとショックから何も考えられませんでした。しかし、手術から徐々に回復するにつれ、障害者となった自分の役割が社会でどのように変わるのか不安な気持ちが広がり始めました。

アメリカン・ビューのインタビューに、けがの後に人生を見つめ直したと語るレジスター(2018年9月)

「足を失って初めて、自分の人生が変わったことに気付きました。妻はこんな自分を夫と思い、そばにいてくれるだろうか。子どもはどう思うだろうか。働くことはできるのか。社会からどのように見られるのか」

レジスターは昨年9月、NPO法人「ハンズオン東京」主催の障害者のソーシャルインクルージョンを推進するイベントにスピーカーとして来日し、アメリカン・ビューとのインタビューで、当時の気持ちを語ってくれました。

その頃のレジスターは、精神的に落ち込み、障害者のマイナス面ばかりを考えていました。「障害者に対する社会の一般的な見方に完全にとらわれていました」

しかし、彼の人生は、妻の一言で再び動き始めます。「一緒にこの試練を乗り越えましょう。私たちの『ニューノーマル』の始まりよ」。レジスターは、自分が克服すべき問題は自分が抱く障害者に対する思い込みだと気が付いたのです。

「それに気付いてからは、自分なりの『ニューノーマル』を作り出さなければと考え、自分が出来ることを見極めるために、自分の人生を見つめ直しました。私に必要だったのは、何かを失ったという視点ではなく、そこから何を得たのかという視点でした」

レジスターは、けがのリハビリの一環として水泳を始めました。天性の運動センスから、すぐに頭角を現し、1996年のアトランタ・パラリンピック大会のアメリカ代表に選ばれました。そのアトランタ大会で、彼は大きな決断をします。競技場を走り、ジャンプする障害者アスリートの姿を見て、再び陸上に挑戦したいという気持ちが湧き上がったのです。2000年のシドニー大会。競技用義足を着けて出場したレジスターは、走り幅跳びで銀メダルを獲得、100メートル走および200メートル走でそれぞれ5位に入賞しました。

2000年のシドニー・パラリンピックでは銀メダルを獲得した

選手生活が終わりに近づくと、レジスターは「ニューノーマル」探しを支援する活動へと軸足を移します。2003年にアメリカオリンピック委員会に入り、パラリンピックスポーツを通じて病気やけがで苦しむ兵士や退役軍人をサポートする「パラリンピック軍人プログラム」を立ち上げ、国内の有望なパラリンピック選手を開拓する仕組みやネットワーク作りに取り組みました。また、世界各国のパラリンピック選手が自分たちの経験を語る活動の支援を今も続けています。

「パラリンピックの普及活動で大切なことは、選手が自分たちの経験を語ることができ、それをビジネスの機会へと結びつけることです。そうすることで人々の関心が高まり、寄付という形の支援だけでなく、組織内で障害者に対する考え方を変えることへとつながります」

レジスターは、障害への理解を深める啓発活動に、障害者自身がもっと積極的に関与すべきだと訴えます。「障害者は率先して障害について語るべきです。彼らにはそれをするだけの力があります。もっと自信を持ってほしい。陰に隠れている必要はありません」

アメリカや世界各地を訪問する中で、レジスターが常に心掛けていることがあります。それは、障害者を取材する記者たちの意識改革です。パラリンピック選手の活躍を単に「感動的」という言葉で表現するのではなく、レブロン・ジェームズやケイティ・レデッキーといった選手の活躍をたたえるのと同じ表現を使うべきだと、レジスターは訴えます。

「パラリンピックはオリンピックと同等の大会です。だからこそ、選手の活躍を認め、たたえる言葉も同等にすべきです。そうすることで、読者の感じ方も変わります」

レジスターは、アメリカオリンピック委員会に加え、コンドリーザ・ライス元国務長官の下で、障害者問題に関する国務長官の諮問委員会のメンバーを務めたこともあります。現在は、企業や団体、個人向けに講演活動を行い、挫折をどのように乗り越え、チャンスへと変えていくかについて話し、皆に勇気を与えています。

コンドリーザ・ライス元国務長官と握手するレジスター

「この『ニューノーマル』という考え方は、既に私の人生の一部になっています。その目的は、人が自身の妨げとなっているものを見つけ出す手助けをし、その人たちを障壁やしがらみから解放することにあります」

昨年9月に東京を訪れたレジスターは、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会に向け建設中の施設を視察しました。「東京は活気に満ちあふれていています。その様子をいち早く見ることができうれしく思います。東京のあちこちで、オリンピックムードが高まっていますね」

2020年レジスターは、世界の舞台で活躍が期待されるアメリカ人パラリンピック選手と一緒に、東京を再び訪れます。