クリスティン・ホー アメリカ大使館 政治部 安全保障政策課書記官

アメリカン・ビューの読者の皆さん、こんにちは! 11年前に東京のアメリカ大使館でインターンをしていた時に、この公式マガジンの制作に携わりました。そして現在は、また日本に戻っています。学生でもインターンでもなく、アメリカの外交官としてです。アメリカで言うように、「一周して元の出発点に戻って」きたのです。

インターンシップを終えて日本を離れたわずか5日後、ワシントンの国務省で外交官として新たな仕事を始めました。2010年夏のことです。光栄なことに、新卒学生として、エンジニア、教師、シェフ、俳優など、アメリカ生まれや帰化したさまざまな経歴や年齢の新人が参加するオリエンテーションに加わることができました。国務省のこの多様性は、トーマス・R・ピッカリングとチャールズ・B・ランゲルの両フェローシップのおかげです。これらのフェローシップは、女性、アジア系、黒人、ヒスパニックなど、歴史的に国務省での採用実績が少ないグループを積極的に受け入れています。私自身もピッカリングフェローとして、外交官試験合格などの国務省の入省要件をクリアすることと、修士号取得とその後の3年間の勤務が義務付けられました。その代わりに国務省は、大学院の学費やインターンシップの機会を提供してくれ、夏休み中は東京で素晴らしいインターンシップを体験できたのです。入省の経緯や出自にかかわらず、私たち新人外交官の誰もが、これから自国に尽くすことができるとワクワクしていました。

この11年間で私は、アメリカの政策を説明し、人権や信仰の自由を擁護し、困っている自国民を助け、学生や旅行者にビザを発給し、核不拡散を支援し、アメリカの産業を促進するなど、インターンとして想像していたよりもずっと多くのことをしてきました。特にこの職業に就いた当初は、自身の留学やリベラルアーツ・カレッジでの経験が大いに役立ちました。というのも、新しい文化やライフスタイルへの適応、外国語でのコミュニケーション、家族や友人から遠く離れて暮らすこと、課題を克服するため既成概念にとらわれないことなどを既に学んでいたからです。

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台湾系のアメリカ人として、最も典型的な困難の一つは、外交官に対する人々の誤解でした。海外で出会った人たちは、私が「本物の」アメリカ人であることが信じられず、外交官だと知るとさらに驚くことがよくありました。新卒で入省した私は、若いということでも驚かれました。今でも私のことをインターンだと思っている人がいます。年功序列の世界で暮らす人たちにとって、私が部長で自分の倍の年齢の職員を監督しているのは理解しにくいことなのです。おそらく最も分かりやすい問題は、いまだに男性が優位な業界で仕事をしているということです。ミーティングや会議などのイベントで、わずか数人の女性参加者の一人だったり、時には唯一の女性だったことは何度も経験しています。

このような困難にもかかわらず、素晴らしいリーダーたちの下で働くことができたのは幸運です。卓越した実績のある真に優れた女性、アジア系、さまざまなマイノリティーの外交官たちです。彼らの助言があったからこそ、直面した困難を乗り越えられただけでなく、外交官としての現在の私があるのです。特にこの素晴らしいリーダーたちは、困難な状況を逆手にとって、アメリカのことを少しでも理解してもらう機会にするよう教えてくれました。私のように台湾(あるいは世界のどこか)の顔と伝統を持つ若い女性が、自尊心を持ったアメリカの外交官になれるのだと。

日本への赴任は、2度目の帰郷のようなものです。これまでのキャリアの中で私は、可能な限り日本を訪れ、あらゆる機会に日米関係に貢献してきました。例えば、2011年3月に東日本大震災が発生した時にはブルネイに駐在していましたが、ボランティアとしてオンラインで東京の大使館をサポートしました。信頼性の高い情報を対外発信し、リサーチを行い、大使館のソーシャルメディアやウェブサイトのために、健康や緊急救援に関するコンテンツを作成しました。2016年にはうれしいことに、国務省日本部の政治担当官として2年の任期でワシントンに赴任しました。そして2018年には、ついに私の夢が叶います。横浜に転勤して米国国務省日本語研修所に通い、かなり怪しくなった日本語をブラッシュアップしました。そして翌年に、政治部の安全保障政策課書記官として東京の大使館に着任したのです。

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横浜に滞在中は日本各地を旅行し、さまざまな活動に参加して、日本語と和の文化に浸りました。四国お遍路、弓道、巫女のインターンなどで、日本の精神や文化への洞察を深めることができました。四国で八十八ヶ所の霊場を巡りながら、9世紀の日本の僧侶、空海の足跡を辿りました。途中、愛媛の道後温泉に立ち寄ったほか、香川では栗林公園を散策し、フェリーに乗って徳島の鳴門海峡まで渦潮を見に行きました。週末には、元町公園弓道場で親切な師範や生徒たちと一緒に弓の練習をすることで、雑念を払い、忍耐力を身に付け、ときには的を射ることもできました。その中でも、鎌倉の鶴岡八幡宮での体験は格別なものでした。巫女舞を習い、境内を清掃し、おみくじやお守りのお授けを手伝いました。さらには宮司や権宮司とお会いし、日々のおつとめや修行に参加する機会も得たのです。

東北へのフィールドトリップでは、東日本大震災や日本の人々の回復力、そして日米間の揺るぎない友情について、直接聞くことができました。村の様子や地域活性化の取り組みを話してくださった山形県の住人の方々、震災後にボランティアが滞在した家に私たちを一晩泊めてくださった宮城県のおばあちゃん、そして沿岸部の復興地を訪れた際に話を聞かせてくださった津波の被災者の方々のことは忘れられません。

これらは全て、私にとって忘れられない素晴らしい経験となりました。

バナーイメージ:世界遺産である岐阜県の白川郷合掌造り集落を訪れた筆者。「かかし」と共にポーズ。2018年11月