レノア・アドキンス

全米女性の殿堂は、米国の女性人権運動発祥の地、ニューヨークのセネカフォールズで、6人の先駆的な黒人女性の貢献を評価し、類まれなメンバーとして迎え入れました。

「バーチャル・インダクション・シリーズ」は、功績が十分に評価されなかった女性を称える新たなプログラムです。殿堂が設立された1969年以前、あるいは殿堂入りする前に他界し、生前見過ごされ社会的に疎外されていた女性を没後に表彰します。

2020年に殿堂入りした女性を紹介しましょう。

メアリー・チャーチ・テレル (1863-1954)

メアリー・チャーチ・テレル (© GHI Vintage/Universal History Archive/Universal Images Group/Getty Images)

メアリー・チャーチ・テレル (© GHI Vintage/Universal History Archive/Universal Images Group/Getty Images)

メアリー・チャーチ・テレルは、その生涯の多くを公民権活動に費やし、女性や黒人女性の参政権の擁護者としても活躍しました。テレルは黒人女性のための組織を立ち上げ、リンチ、教育改革、権利剥奪問題に取り組みました。彼女は自叙伝「白い世界の有色女性」をはじめ、黒人女性のエンパワーメントについて幅広い著述を残しています。80歳の時にはピケ隊に参加し、人種隔離が行われていたレストランや劇場に抗議しました。

教育家の彼女はこれまでに、数々の「初」を成し遂げました。オーバリン大学で黒人女性として初めて古典の学位を取得し、黒人女性として米国で初めて大都市(ワシントン)の教育委員会委員に任命されました。また、全米黒人女性協会の初代会長も務めました。

ヘンリエッタ・ラックス (1920-1951)

ヘンリエッタ・ラックス (© GL Archive/Alamy)

ヘンリエッタ・ラックス (© GL Archive/Alamy)

ヘンリエッタ・ラックスの遺産は、彼女から採取された不死細胞ヒーラ(HeLa)のおかげで、ポリオワクチンの開発、化学療法、パーキンソン病の研究などで生き続けています。数十年間にわたって使用された彼女の細胞は、医学を進歩させた一方で、彼女には知らされず、また同意なしに採取されたため、医療倫理に関する問題を提起しました(また新たな防止策につながりました)。ジョンズ・ホプキンズ病院によると、ラックスの細胞は子宮頸がん治療の一環として研究室に持ち込まれ培養されました。

ほとんどの癌細胞は数日以内に死滅しますが、科学者たちはラックスの細胞が24時間ごとに2倍に増殖するのを発見しました。ラックスは1951年に子宮頸がんで死亡しました。そして現在まで、この培養が容易なヒーラ細胞は7万6000件以上の研究で使用されています。

バーバラ・ヒラリー (1931-2019)

バーバラ・ヒラリー (© Richard Drew/AP Images)

バーバラ・ヒラリー (© Richard Drew/AP Images)

引退した看護師のバーバラ・ヒラリーは、黒人女性が北極に行ったことがないと知ったとき、自分が最初になると決意しました。そして75歳でその目標を達成し、北極に足を踏み入れた最高齢者にもなりました。数年後の79歳で、ヒラリーは黒人女性として初めて南極にも立ちました。多民族向けの非営利雑誌「ザ・ペニンシュラ・マガジン」を創刊し編集するなど、境界を越えることを厭いませんでした。この種の雑誌は、ニューヨーク地域では最初のものでした。

トニ・モリスン (1931-2019)

トニ・モリスン (© Michel Euler/AP Images)

トニ・モリスン (© Michel Euler/AP Images)

トニ・モリスンの文学作品は、黒人の声や経験を詳細に伝えます。1967年、大手出版社ランダムハウスに入社したモリスンは、黒人女性として初めてフィクションの上級編集者になりました。ランダムハウスでは、黒人文学を主流にする後押しをし、黒人女性の体験を通して人生を見つめる小説を書き始めました。

彼女の処女作「青い目が欲しい(The Bluest Eye)」は、青い目を持つことを願う黒人女性のストーリーから着想を得ています。「ソロモンの歌(Song of Solomon)」が絶賛され、全米批評家協会賞を受賞し、モリスンは全米の注目を集めました。エッセイストでプリンストン大学の教授でもあった彼女は、その後1988年の「ビラヴド(Beloved)」でピューリッツァー賞、1993年のノーベル文学賞、2000年の全米人文科学勲章など、数々の賞を受賞しています。

バーバラ・ローズ・ジョンズ・パウエル (1935-1991)

バーバラ・ローズ・ジョンズ (© Moton Museum)

バーバラ・ローズ・ジョンズ (© Moton Museum)

バーバラ・ローズ・ジョンズ・パウエルは10代で授業のボイコットを計画し、米国の人種差別撤廃運動に火をつけました。弱冠16歳の彼女は、1951年にバージニア州ファームビルにある過密で人種分離された中等学校の状況に抗議するため、クラスメートを率いて2週間のボイコットを敢行しました。ロバート・ルッサ・モートン高校の設備は荒れ放題で、科学実験室や体育館、水道設備もありませんでした。彼女の抗議行動は、連邦最高裁の画期的な「1954年ブラウン対トピカ教育委員会裁判」の一部となった訴訟を引き起こしました。その結果、裁判所は米国の公立学校での人種分離を違憲とする判断を下しました。

アレサ・フランクリン (1942-2018)

アレサ・フランクリン (© David Redfern/Redferns/Getty Images)

アレサ・フランクリン (© David Redfern/Redferns/Getty Images)

「ソウルの女王」として知られ、特に市民権と女性の権利をテーマとした強力な賛歌「リスペクト」で知られるフランクリンは、人生の大部分をそれらの権利獲得に捧げました。シンガーソングライター、ピアニスト、そして女優でもあったフランクリンは、公民権団体に寄付を行い、時には給与まで負担しました。そして、数多くの慈善興業や抗議活動の場で演奏しました。16歳のフランクリンは、マーティン・ルーサー・キング牧師や歌手仲間の活動家ハリー・ベラフォンテと共にツアーを行い、歌を通じて公民権運動のさらなる促進に貢献しました。

フランクリンはロックンロールの殿堂入りを果たした最初の女性であり、60年間にわたって曲を録音しツアーを行ってきました。中でも1991年には、グラミー賞「特別功労賞伝説賞」、1994年にはグラミー賞「特別功労賞生涯業績賞」を受賞しています。ジェニファー・ハドソンやドリー・パートンなど、フランクリンが影響を与えた数多くのシンガーの中に彼女の伝説的遺産が生き続けています。

バナーイメージ:全米女性の殿堂入りを果たした6人の女性 (Photo collage: State Dept./Images: © AP Images, © Getty Images, © Alamy, © Moton Museum)