ワシントンDCから60キロに位置するエネルギーに満ちた歴史ある港町ボルティモア。アメリカ製造業の一大拠点であり、名門ジョンズ・ホプキンズ大学など多くの教育機関を抱える町としても知られている。しかし、大多数のアメリカ人がボルティモアに持つ第一印象は「犯罪都市」。連邦捜査局(FBI)の統計によると、ボルティモアは人口50万人以上の全米の都市で最も殺人発生率が高い場所だ。また、凶悪犯罪の多さ、そして「ザ・ワイヤ(The Wire)」などハードボイルド系ドラマの舞台としてしばしば使われることから、「住みたくない都市」として広く知られている。

映画「ステップ」は、このボルティモアの明るい側面を描いた長編ドキュメンタリー映画だ。2017年サンダンス映画祭ドキュメンタリー部門で審査員特別賞を、AFIドックス映画祭で観客賞を受賞している。この映画の舞台となったのが、ボルティモア中心部にある女子校のダンスチームだ。

撮影監督のケイシー・リーガン。2019年9月

撮影監督のケイシー・リーガン。2019年9月

アメリカン・ビューは昨年9月、在日アメリカ大使館主催の映画トークショーのため来日していた撮影監督のケイシー・リーガンをインタビュー。この作品を作ったきっかけと、地域社会だけでなく映画を見た幅広い層の人たちに与えた影響について話を伺った。

「ステップ」の監督はボルティモア出身のアマンダ・リピッツだ。数々のブロードウェイの舞台でプロデューサーを務め、非営利団体の短編作品を手掛けたこともある。リピッツ監督は「物語には町や住民に対する先入観や固定観念をひっくり返す力がある」と考えていると、リーガンは語る。監督が「ステップ」を通して伝えたかったのは、ボルティモアには「絶望と同じくらい成功の喜びを生み出す可能性がある」ことだと述べる。

映画が撮影されたのは、2015年にボルティモアで起きた暴行事件の後だ。黒人青年フレディ・グレイが警察に身柄を拘束されている時に負傷し、それが原因で死亡した。事件は警察に抗議するデモへと発展した。一方メディアの報道は、どちらかと言うと平和的なデモではなく、暴徒化した方に焦点をあてる傾向にあった。「ボルティモアは危険で暴力的な町で、町全体が分裂しているとメディアが報道する中、ボルティモア出身のアマンダはそういった雑音をはねのけるような話を伝えたかったのだと思います」とリーガンは話す。

監督のアマンダ・リピッツと撮影監督のケイシー・リーガンが映画「ステップ」のためにインタビューを行う

監督のアマンダ・リピッツと撮影監督のケイシー・リーガンが映画「ステップ」のためにインタビューを行う

映画の舞台となったのは「ボルティモア・リーダーシップ・スクール・フォー・ヤングウィメン(BLSYW)」。リピッツはこの学校を創設以来ずっと応援している。この女子校が掲げる目標の一つは、「高校3年生が全員卒業し全員大学に進学すること」。大多数の生徒は、家族の中で最初の大学進学者となる。映画は、ダンス選手権優勝と大学進学に向かって奮闘する「ステップ」ダンスチームのメンバーたちの姿を追っている。

ステップとはダンスパフォーマンスの一種で、体全体を楽器として使い、足踏み、手をたたく、また単語やフレーズを大声で叫ぶといった動きなどから複雑なリズムや音を作り出す。フラタニティやソロリティに属するアフリカ系アメリカ人の学生が始めたものだが、今では世界各地に広まり、あらゆる年代層に楽しまれている。リーガンは、「特に高校生は、自分たちが最高だというセリフをパフォーマンス中に連呼したり、他のチームがまねできない技を披露したりします。BLSYWチームのメンバーたちは、大会や練習、校内でのパフォーマンスに関係なく、一旦ダンスを始めると実に堂々としているとすぐに気が付きました。彼女たちはチームのメンバーであることに誇りを感じている。見れば一目瞭然です」と語る。

コーリー・グランジャーとチーム「BLYSWリーサル・レディース」の仲間たち (Photo by courtesy of Fox Searchlight Pictures. © 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.)

コーリー・グランジャーとチーム「BLYSWリーサル・レディース」の仲間たち (Photo by courtesy of Fox Searchlight Pictures. © 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.)

8カ月におよぶ撮影の中、リーガンは次第にメンバーと彼女たちが暮らすコミュニティーに愛着を持つようになった。「彼女たちは優れた判断力を持っています。そんな彼女たちを、今でも尊敬していますし、うらやましくも思っています。彼女たちはみな一人一人強さを持っています。しかし映画の撮影で私が強烈に感じたのは、彼女たちはボルティモアの小さな社会である学校で、運命を共にした同志でいたわりあう関係を築いていたということです。それは姉妹愛のような絆で、絶望的な環境から抜け出すのに必要な一致団結する気持ちです」

ドキュメンタリー映画の制作では、感情移入は極力避けるべきだという意見がある。リーガンはこの考えに賛同していない。「仮にこの映画が大成功を収めたとすれば、それは彼女たちが私を受け入れてくれたからです。私は彼女たちのストーリーの中で副次的な存在でした。ですから、彼女たちが私を信頼し、彼女たちの居場所に私を歓迎してくれるまで、なるべく存在感を消すようにしていました」とリーガンは語り、彼女たち自身が自分たちのストーリーを語っていると感じることが大切だったと説明する。監督も同様の考えであった。

リーガンが撮影前にボルティモアについて知っていたことは、ほとんどがニュースで見聞きしたことであった。「そのためボルティモアに足を踏み入れた時は、いろんな情報が頭の中を飛び交っていました。しかしそこにいたのは、悲しみ、絶望、希望、美しさの瞬間を精一杯生きている人たちでした」

都内の高校で行われた大使館主催の上映会でこのようなことがあった。上映会終了後、数人の学生がリーガンのところにやってきて、自分たちが今まで「貧しい」とか「危険」と思われる地域に住む人々の暮らしを有意義な観点から考えたことがなかったことを映画は気づかせてくれたと伝えた。「感動しました。皆がそのような意識を少しでも持ってくれること。これがこの作品を通して私たちが伝えたかったことなのです」とリーガンは言う。

2017年1月、フォックス・サーチライト・ピクチャーズがステップの海外配給権とリメイク権を400万ドルで取得した。エンターテイメント情報オンライン雑誌「Deadline」でリピッツは、「売却益をステップチームのメンバーへの奨学金と学校への寄付金に充て、今後も若い女性からボルティモアを変えようとする学校の活動を支援する」と述べている。

「BLYSWリーサル・レディース」のメンバー (Photo by courtesy of Fox Searchlight Pictures. © 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.)

「BLYSWリーサル・レディース」のメンバー (Photo by courtesy of Fox Searchlight Pictures. © 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.)

リーガンはステップが成功した理由の一つは、この映画が喜びに満ちたものだからと振り返る。

「ドキュメンタリー映画の多くは見た側に何かしらの重い気持ちを残しますが、ステップはそうではありません。ステップが観客に残してくれるのは希望と喜びです。残忍性や人種差別、不平等の宣伝を許すような重大な構造的問題を切り離すことは必要です。その一方で、ステップはそのようなことを経験している人たちの生活にも喜びがあふれていることを気づかせてくれます。そうした問題に影響を受けている人たちが現実にいる。だからこそ私たちは構造的な問題に取り組む必要があるのです」

バナーイメージ: 「ステップ」チームのメンバー、タイラ・ソロモン、コーリー・グランジャー、ブレッシン・ギラルド。2017年サンダンス映画祭で、ロサンゼルス・タイムズのために撮影。2017年1月20日、ユタ州パークシティにて (Photo by Jay L. Clendenin/Los Angeles Times/Contour by Getty Images)