ジェイソン・ダイヤー(執筆協力:エド・バーレソン、ジョー・ナリタ)

災害に国籍は関係ありません。被災地にいれば誰でも影響を受けます。家族や友人が被災地にいても影響を受けます。真っ先に現場に駆け付ける救助隊や政府職員も影響を受けます。それは10年前も同じでした。人々の記憶に強烈な印象を残した東日本大震災は、東北、そしてそれ以外の場所に住む多くの日本人と外国人の生活を一変させました。

地震発生後、在日アメリカ大使館領事部で働いていた日本人とアメリカ人職員は、最前線に立って被災地のアメリカ人支援にあたりました。あの時の被災地の恐ろしい光景は今でも鮮明に覚えていますが、日本人のやさしさ、立ち上がる力と復興に向けた決意、そして何よりも深まった日米の友情は決して忘れません。私たちは共に未曽有の悲劇が引きおこした困難に立ち向かい、この10年間は危機対応で協力関係を深めてきました。

震災後宮城県に派遣された領事部現地対策チーム。仙台国際センターにアメリカ人支援のための仮設案内を設けた(写真提供:エド・バーレソン)

震災後宮城県に派遣された領事部現地対策チーム。仙台国際センターにアメリカ人支援のための仮設案内を設けた(写真提供:エド・バーレソン)

大使館領事部を訪れるほとんどの日本人の目的はビザ取得です。アメリカ人の場合も、パスポート更新や公証サービスのために訪れるケースがほとんどです。しかし、多くの来訪者は知らないかもしれませんが、世界各国にあるアメリカ大使館の領事部は、非常時に危機対策本部へと姿を変えます。2011年3月11日、領事部に所属する外交官と日本人職員は、危機対応へとギアをチェンジしました。

あの日の午後、私たち職員はビザ発給やパスポート作成など通常の業務に追われていました。しかし、事態は瞬く間に大きく変わりました。

地震発生から数時間後、大使館は館内に領事部危機対応センターを立ち上げ、その後28日間にわたり24時間体制で対応にあたりました。領事部はアメリカ人の安否確認を行い、5400人以上の所在を確認しました。被災地にも赴きました。日本の関係当局と現地在住者からの手厚い支援により、行方不明となっていたアメリカ人の所在を確認することもできました。また日本側は、被災地から140人以上のアメリカ人を退避させるとともに、100人以上を台北に避難させる航空便の手配を行ってくれました。

仙台から東京までバスをチャーターし、アメリカ人を避難させた(写真提供:エド・バーレソン)

仙台から東京までバスをチャーターし、アメリカ人を避難させた(写真提供:エド・バーレソン)

今も大使館に勤務する領事部職員は、震災時の危機対応にあたり、「私たちが真っ先にしたことは、別の場所に移転していた水戸市役所と連絡をとること」だったと当時を振り返ります。「私たちは、市役所の職員に会うことができ、誰もがとても協力的でした。関係機関や地元住民の皆さんは、アメリカ政府の支援と被災地に赴こうとする私たちの気持ちに感謝してくれました。避難所の担当部署は避難所にいるアメリカ人の所在確認を手伝ってくれ、地元の食料品店の人たちもお店に立ち寄ったアメリカ人がいた場合には情報を提供してくれました。私たちがこのような一刻を争う状況で支援をやり取りできたのは、信頼関係に加え日常的に連絡をとっていたからだと思います。一般の方々との会話の中でも、日米の絆の強さを感じました。東日本大震災は多くの教訓を残し、私たちが改善できる道筋を示してくれましたが、何よりも日米の絆の強さを示してくれました」

私たちは今でも、災害時に大使館と被災地にいたアメリカ国民に寄せられた多くの支援に感謝しています。私たちが危機対応を成功させることができたのは、日米が築いた深く永続的な協力関係のおかげであることは明白です。震災後、私たちは危機対応のあらゆる側面で日米の絆を強め、協力関係を拡大してきました。

今日、日米の防災協力はかつてないほど強まっています。例えば、大使館は毎年六本木ヒルズで行われる防災訓練に参加しています。また、本所防災館への職員派遣や津波避難施設の視察など、国・都道府県・市町村レベルで実施しているさまざまな防災プログラムに参加しています。

またソーシャルメディアを使って、日本政府の勧告を発信したり、防災関連情報を共有したりしています。台風シーズンになると、今までの教訓を実践に移し、毎年防災の知恵を積み重ね、日本の関係当局との連携強化に努めています。

今年初めにダイヤモンド・プリンセス号で起きた新型コロナウイルス感染症の対応で大使館は、数百人のアメリカ人乗客および陽性者の退避と急患の入院で、日本の医療関係者や自治体職員と緊密に連携しました。外務省と自衛隊の計り知れない支援のおかげで、私たちは400人以上のアメリカ人乗客を本国に送り届けることができました。また、日本の質の高い医療体制のおかげで、入院したアメリカ人も全員無事に家族のもとに帰ることができました。

東日本大震災から10年が経ちましたが、私たちはあの日のこと、そして犠牲となった人々のことを決して忘れません。私たちは、困っている日本の友人に手を差し伸べることで犠牲者を偲び、これからも危機対応で自治体職員と連携していきます。領事部はビザとパスポート発給の仕事を続けますが、ひとたび災害が起きれば、団結し危機対応にあたる準備は整っています。

バナーイメージ:震災後に石巻警察署を訪れ、行方不明となったアメリカ人の消息を確認する大使館職員(写真提供:エド・バーレソン)