「I am a 14-year-old Japanese(私は14歳の日本人です)」。こんな題名の電子メールが「トモダチ作戦」の支援に当たる米海軍第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」に勤務するマイク・モーリー少佐に届いたのは、東日本大震災の発生から2週間ほどたった頃でした。
メールは北海道に住む「シホ」という日本人の少女からで、父親の漁船が津波にさらわれてしまったので、これを探すために米海軍に力になってもらえないかと尋ねてきたのです。実はこれより前、彼女は父親の漁船が母港から遠く離れた海上を漂っている写真が第7艦隊のウェブサイトに掲載されているのを見つけていました。たどたどしい英語ではありましたが、少女が冷静な、節度を持った態度で助けを求めていることにモーリー少佐は胸を打たれました。
モーリー少佐はシホさんからのメールを何度も読み返し、お父さんの船が見つかるよう、なんとかやってみましょうと返信しました。すると間髪おかず彼女から、希望を持って知らせ待っているという返事がありました。彼女をがっかりさせることはできない…。そう考えたモーリー少佐は、シホさんの父親の漁船の写真を撮った僚船に連絡を取りました。写真で見る限り、船の状態はとても良さそうでした。追跡調査の結果、漁船が最後に目撃された地点の緯度と経度が分かったため、モーリー少佐はこの情報を彼女にメールで知らせました。
シホさんからはこんな返事がありました。「本当にありがとうございます。私も家族も行方が分からなくなっていた船の写真を見て、涙がこぼれてしまいました」。数日後、彼女からまたメールが届きました。米海軍が提供した緯度と経度の情報を基に、日本の海上保安庁が彼女の父親の漁船を発見したので、父親がタグボートで船を取りに行くとのことでした。彼女はモーリー少佐の親切を「一生、忘れません」とも書いていました。
あれから1年近くたった今年2月5日、米海軍に助けを求めるメールを送った少女――折笠紫保さんが家族と共に苫小牧港に寄港中のブルーリッジを訪れました。漁船の捜索への協力に対し感謝の言葉を伝えるためです。残念ながら紫保さんのメールを最初に受け取ったモーリー少佐はもうブルーリッジに乗船していませんでしたが、折笠さん一家は第7艦隊司令部参謀長のチャールズ・ウィリアムズ大佐らと面会し、ブルーリッジ艦内を見学しました。ウィリアムズ大佐からは来艦のお礼として、第7艦隊のコインと紫保さんが最初に送った「I am a 14-year-old Japanese」と題するメールのコピーを収めた額縁が贈られました。
紫保さんの父、基さんは「船をなくしたと思った時にはすっかり希望を失いましたが、船が見つかったのでまた漁に出られます。海軍の皆さんには本当に感謝しています」と感謝の意を表しました。これに対しウィリアムズ大佐は「折笠さん一家、そして日本の皆さんのお役に立てたことを光栄に思います」と述べました。
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アメリカンビュー素晴らしいです。
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