布こころ 在大阪・神戸米国総領事館 広報部インターン

車椅子インフルエンサーとして、YouTubeやテレビなど幅広いメディアで活動している中嶋涼子さん。中嶋さんは、「障害者の常識をぶち壊し、日本社会や日本人の心をバリアフリーにする」をモットーに、車椅子使用者として日米で生きてきた経験を発信している。その中嶋さんに、自身の留学経験や、インフルエンサーとしての取り組みについてお話をうかがった。

突然の車椅子生活で引きこもりに ― 救ってくれたのはレオナルド・ディカプリオ!?

中嶋さんは、もともと外で体を動かすのが好きで、小学校のお昼休みには毎日外で遊んでいた。9歳のあの日もいつものように鉄棒で友達と遊んでいたが、鉄棒から降りた瞬間、急に足に力が入らなくなってしまった。突然の出来事だった。病院に運ばれ、医師からは「横断性脊髄炎」だと診断された。1週間前にひいた風邪の菌が脊髄に偶然入ったのか、それとも鉄棒から降りた衝撃で脊髄に傷が入ったのか。原因は分からなかった。ただ、下半身不随になり、これからは車椅子生活だという現実だけが目の前に立ちはだかった。

大学の仲間たちと。手前右が中嶋さん(中嶋涼子さん提供)

大学の仲間たちと。手前右が中嶋さん(中嶋涼子さん提供)

車椅子から見る世界は今までとは違っていた。電車に乗りたいだけなのに駅員さんの助けがいる。人からの視線にも慣れない。「慣れない環境に嫌になり、外に出るのが怖くなりました。それでひきこもるようになったんです」。そんなとき、当時ヒットしていた映画「タイタニック」を見ようと友達に誘われた。またみんなに見られるのが嫌で全然乗り気ではなかったが、見終わった後は中嶋さんの中で変化が生まれた。「なにこれ、ものすごくおもしろい!」。中嶋さんはタイタニックと主演のレオナルド・ディカプリオにどっぷり魅了され、車椅子生活が始まって以来、初めて自分から外に出たいと思った。そして、気づけばタイタニックを11回も見に行っていた。映画館への坂を上る際も、周囲の助けを借りて乗り越えた。そして、映画館通いを続けるうちに、次第に一人で外に出ることや、周りの目にも慣れてきた。タイタニックが人生を救ってくれたと中嶋さんは楽しそうに語る。

映画を通して元気を与えられる人になりたい

タイタニックがきっかけで映画が大好きになり、洋画を見る日々を送っていた中嶋さん。タイタニックからもらった前向きに生きるパワーをいつしか自分が与えられる側になりたいという夢まで膨らんできた。小学校の卒業文集に記した夢は、映画に携わって日米を行き来すること。そして高校卒業後、映画産業の中心地である夢のハリウッドへ行くため、アメリカ留学を決意。勉強自体はあまり好きではなかったものの、留学のために英語だけはきちんとやっていた。高校3年生のときには英語塾の講師に、映画を学ぶなら南カリフォルニア大学と勧められ、そこへの進学を決意した。そして、高校卒業後すぐにロサンゼルスへ渡る。2年間コミュニティカレッジに通ったのち、3年次に志望していた南カリフォルニア大学に編入できた。編入にはコミュニティカレッジでの成績が大変重要だったため、思いっきり学業に精進した。出願時のエッセイでは、車椅子利用者としての自身の経験をつづり、見事合格。目標としていた大学で映画製作を学ぶことができたのだ。

南カリフォルニア大学を見事に卒業(中嶋涼子さん提供)

南カリフォルニア大学を見事に卒業(中嶋涼子さん提供)

その後はタイタニックを制作したFOXに就職するため日本に帰国。描いてきた夢がやっと叶ったはずだった。それなのに、映画編集の仕事を楽しむことができなかった。朝の通勤ラッシュの電車に車椅子で乗るのは難しい。乗れずに目の前を何度も電車が通り過ぎることもあった。車椅子のタイヤで通勤客を引いて怒鳴られることもあった。障害者として生きていくのは大変だと痛感する一方で、日本の社会をアメリカのように誰もがフレンドリーに助け合えるようにしたいという思いも強くなった。そんな社会が実現するまで、障害を乗り越えた経験を持つ自分が何かを発信しなければならないと感じた。映画製作はそれが叶ってからにしようと決心した。そして、車椅子インフルエンサーとして障害者の視点から情報を発信する活動をスタートさせた。

アメリカで感じた「心のバリアフリー」を日本にもっと浸透させる

アメリカ留学中は、自分が障害者だということを忘れることができた。車椅子に乗っていると、通りすがりの人に「どうして車椅子なの?」と聞かれたり、エレベーターの位置を教えてくれる気さくな人にもたくさん出会ったりした。多目的トイレではなく、健常者が使うトイレに一緒に入ることもできた。障害をもつ自分を健常者と一緒に扱ってくれる、心と環境のバリアフリーが整っているアメリカに生きやすさを感じた。そして、自信を持つこともできた。しかし、日本は環境面でのバリアフリーは進んでいるが、心のバリアフリーはまだまだだと中嶋さんは話す。どう障害者に話しかけていいのか分からず、変に気をつかう。「どうしたらいいか分からないせいで、空気を読んで気を利かせる日本のいいところをつぶしてしまっている」。中嶋さんはだからこそ、日本に必要なのは心の中のバリアを壊すことだと主張する。そして、留学生活で実感した「心のバリアフリー」を日本にも浸透させるために、現在は車椅子インフルエンサーとして活動している。

スキューバダイビングのクラスにも挑戦(中嶋涼子さん提供)

スキューバダイビングのクラスにも挑戦(中嶋涼子さん提供)

いま、社会に生きづらさを感じている人へ

「タイタニックに出会うまでは、車椅子の自分にはどうせ何もできないと思い込んでいました。自分よりも恵まれた環境にいる人をうらやんでばかりいました。それが今では、歩けなくなったから夢を持つことができたと、自らの障害をポジティブにとらえています。歩けるかどうかなんて関係ない。考え方ひとつでどんな人でも楽しく生きることができる。私の場合は、タイタニックや人との出会いが自分の考え方を大きく変えてくれました。いまの社会に生きづらさを感じている人やふさぎ込んでいる人は、考え方を変えてくれるきっかけに出会うためにも、一歩踏み出してみてほしいです」。車椅子でできないことがたくさんあっても、車椅子だからこそできることをとことん追求する。中嶋さんのインタビューは私に、考え方を変えることで人生が変わると教えてくれた。

(中嶋涼子さん提供)

(中嶋涼子さん提供)