早川達夫 アメリカ大使館 広報・文化交流部

スケートボードは、空手、スポーツクライミング、サーフィンと並んで、東京オリンピックで新たに加わった4種目の一つです。スケートボーダーにとって、自分たちのスポーツが初めてオリンピック種目になるというのはどのような意味があるのでしょう。また、アメリカ発祥のスポーツであるスケートボードは、アメリカ社会、特に若者文化にどのような影響を与えてきたのでしょうか。その答えを知るために、元セミプロのスケートボーダーで、スケートボードが若者に与える影響を研究する学者であるネフタリー・ウィリアムズ博士にインタビューを行いました。ウィリアムズは現在、南カリフォルニア大学のアネンバーグ・コミュニケーション・ジャーナリズム学部のプロボスト博士課程修了研究員と、エール大学シュワルツマンセンターの人種・文化・コミュニティー部門の客員研究員を務めています。

境界を越える

ウィリアムズは、マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれ、多様なバックグラウンドを持つ人々に囲まれて育ちました。「そこでさまざまな境界を越えられたのは、スケートボードが大好きだったからです」と彼は言います。15歳になった時、母親が最初のスケートボードを買ってくれました。「スケートボードにはルールがなく、団体スポーツでもないので、民主的になれるという点がユニークです。スケートボードに興味があるみんなが集まり、互いに教え合うようになったのです。そうやって経験から学んでいったのです」

ネフタリー・ウィリアムズ(左端)は10代でスケートボードを始めた。マサチューセッツ州スプリングフィールドにて

ネフタリー・ウィリアムズ(左端)は10代でスケートボードを始めた。マサチューセッツ州スプリングフィールドにて

スケートボーダーから「スケートボードに影響を与える存在」に

10代後半、スケートボードの技術をさらに磨いたウィリアムズは、カリフォルニアに移り住み、そこでボルコムという会社に見出されました。同社は後に彼の公式スポンサーとなります。セミプロのスケートボーダーとしてウィリアムズは、スケートボードを若者の育成やコミュニティー形成の手段として活用したいと思うようになりました。「21歳の時、初めてスケートボードキャンプを行いました。もっと多くの子どもたちにスケートボードをしてほしいと思ったからです。スケートボーダーとしての自分のキャリア以外のことをすでに考え始めていました。子どもたちに教えたかったのです」。ウィリアムズはこう話します。

ウィリアムズはトップレベルのスケートボーダーでしたが、自身にとって最も大切なのは、コミュニティーを築き仲間意識を育むことでした。ウィリアムズはこう言います。「私はスケートボーディングを常に共同体のようにとらえていました。そして自分の使命は、偉大なスケートボーダーになるだけではなく、スケートボードそのものに影響を与える存在になることだと気付いたのです」

スポーツ外交

ウィリアムズは2017年、国務省教育文化局から資金提供を受け、在オランダ米国大使館が主催するスポーツ特使プログラムを開催。そこで、文化外交ツールとしてのスケートボードのコンセプトを紹介しました。「オランダで亡命を認められた若いシリア難民と一緒に取り組みました」とウィリアムズ。「国務省のおかげで、まさに私が望んでいたビジョンが実現しました。若者を鼓舞してエリートアスリートに育てることだけを重視するのではなく、実際にスケートボード文化を理解し、その最も重要な要素であるコミュニティーの構築を目指したのです」

スケートボーダーはグローバルなコミュニティーの一員になれるとウィリアムズは説明します。「オランダではインターナショナルスクールの高校生たちに、自国に移民を受け入れることの意味について話しました」とウィリアムズ。「そして、移民や難民の若者とオランダの学生が一緒になって、スケートボードを学びました。スケートボードを通してオランダの若い学生は、一緒に滑ればシリアの学生も彼らと同じ若者だと気付いたのです」。ウィリアムズは先日、カンボジアでもスケートボード外交に取り組みました。

国務省のスポーツ外交プログラムで、カンボジアの若いスケートボーダーに指導を行うウィリアムズ

国務省のスポーツ外交プログラムで、カンボジアの若いスケートボーダーに指導を行うウィリアムズ

スケートボードとコミュニティー

昨今のスケートボーダーには、自らをプロモートするためのメディアコンテンツ制作スキルが必要だとウィリアムズは強調します。そのためには、写真やビデオ撮影の技術を持った人材と強力なチームを作ることが重要だと言います。「スケートボード文化は常に主流から取り残され隅に追いやられてきたため、スケートボーダーは自身を表現し、メディアを作る独自の方法を持っています。ビデオや写真を撮影してくれる友人がいなければ、誰もプロスケーターにはなれません」

しかし、テクノロジーの進歩によりスケーターの自己アピール方法が変わったとしても、彼らは人格者でなければならないとウィリアムズは言います。「優れたスケーターであっても、彼らの性格はどうなのか。オンラインではどのように自分を表現しているのか。現実の世界ではどう振る舞っているのか。現実の世界でツアーに参加し他の人たちと同じ車に乗るときは、優れたスケーターであると同時に素晴らしい人間と一緒にいたいと思うものです」

障害がチャンスに

ウィリアムズは、スケートボードをしている時は周囲の見え方が変わると言います。そして、「自由と自主性が増し、周りよりも速く動いていると感じます」と説明します。「スケーターとその周囲との関係が変わります。スケーターとして私たちが望むのは、人々が想像力で環境を再び作り上げることです。障害はチャンスになります。それがスケートボードをしている時に起こる重要な点です」

スケートボードの技を実演するウィリアムズ (Photo by Rachele Honcharik)

スケートボードの技を実演するウィリアムズ (Photo by Rachele Honcharik)

東京オリンピックでのスケートボード

オリンピックに出場するスケートボーダーの潜在能力と可能性に胸が高鳴るというウィリアムズ。「オリンピックは、これまでにスケートボーダーの運動能力のレベルを目にする機会がなかった人たちにとっても、とても大きな舞台となります」と言います。「たとえスケーターがメダルを獲得できなくても、彼らの価値や重要性が低いということではありません。私にとって最も大事なことは、スケーターがアスリートとして、公の場でスケートボード文化の恩恵を振り返ることができるということです」

ウィリアムズは、スケートボードが個人競技であると同時に団体的側面もあるという考えに特に魅力を感じています。「スケートボードは個人の目標や表現を追求するものですが、スケーターの周りからも称賛されることがあります」と言います。「スケーターが高く舞い上がれば、みんなが舞い上がるのです」

バナーイメージ:ネフタリー・ウィリアムズ。2015年にワシントンのジョン・F・ケネディ・センターで開催された写真展「The Nation Skate」にて (Photo by Ryan Kellman)