加藤雅貴 在日米国大使館インターン

レーシングドライバーの佐藤琢磨さんは、2017年5月に世界3大レースに数えられるインディアナポリス500マイルレース(インディ500)で、日本人として初めて優勝した。インディ500はインディカー・シリーズのレースの1つで、名前にあるように500マイル、約800キロメートルを4時間弱で走る。F1と違いレーシングマシンの制限が厳しく、マシンの性能よりもチーム力やドライバーの技能が勝敗に大きく影響する。

2017年10月11日、ハガティ駐日アメリカ大使は、過酷なレースを制した佐藤さんの栄誉をたたえるレセプションを大使公邸で開いた。大使はあいさつで、アメリカで最も盛んなスポーツの1 つ、モータースポーツで佐藤さんが優勝したことを賞賛した。また、佐藤さんのレーシングマシンには日本製とアメリカ製のパーツが使われていること、日本企業がアメリカで多くの雇用を創出していることに触れ、日米が協力すれば双方のメリットになると述べた。

インディ500で優勝したときのマシンの前でポーズを決めるハガティ大使と佐藤さん

続いて佐藤さんがあいさつに立った。佐藤さんは、インディ500で優勝するまでには多くの困難があったが、小さな頃から抱いていた大きな夢に向かって挑戦をやめなかったそうだ。そんな佐藤さんの胸に常にあった言葉が“no attack, no chance”だ。

佐藤さんは10歳の時からレーサーになる夢を抱いていたが、環境が整わず代わりに自転車競技を行なっていた。そして年齢制限などさまざまな困難に見舞われながらも、20歳の時にモータースポーツを始め、F1ドライバーとして活躍した。2009年に契約を打ち切られたことから、翌年から新天地アメリカでインディカー・シリーズに参戦することを決意した。

佐藤さんは印象的だったエピソードとして、2012年のインディ500のラスト1周のことを挙げた。1位を走る前年の優勝者の後ろにつき、そこで強気に勝負を仕掛けたのだ。結果は失敗。最終的に17位まで順位を落としてしまった。しかし、その選択に悔いはなかったという。自身の“no attack, no chance”という信念に従って、チャレンジしてチャンスをつかみ取ろうとした。それが重要だったと言う。

そして5年後の今年、ついにチャンスをものにし、インディ500で優勝することができた。長年の夢を叶えたのだ。しかし、佐藤さんはまだ夢を見ることをやめない。次の夢は「インディカー・シリーズ総合優勝」だそうだ。佐藤さんは今日もその夢に向かって、挑戦を続けている。

佐藤さんからマシンの説明を受けるハガティ大使

自身の夢の達成のために挑戦を続ける佐藤さんの姿勢は多くの人の心を動かしている。その中の一人、公式スポンサーのパナソニック株式会社専務執行役員の柴田雅久さんと執行役員の永易正吏さんに話を伺った。

柴田さんは「佐藤さんの常に挑戦し続ける姿勢に感動し、企業としてそのような姿勢を見習わなければいけない」と話す。そしてふたりとも「佐藤さんの優勝が従業員に元気を与えてくれた」と感謝していた。毎日忙しい従業員は、自らの仕事が大きな夢につながっていると感じる機会がほとんどない。そんな中で、佐藤さんが優勝したことが、自らの仕事に対する従業員の自信になったそうだ。柴田さん、永易さんは、従業員のためにも、佐藤さんの夢を実現させるためのサポーターとして応援を続けていくと語ってくれた。

優勝トロフィーにキス(クレジット:Hiroaki Matsumoto)

最後に、挑戦を続ける佐藤琢磨さんから、夢への一歩を踏み出せない若者へエールをもらった。

「夢に挑戦する上でたくさんのハードルがあるかもしれないが、一番大事なのは『やりたいことへの情熱』。その情熱を持って、目の前のことを順々に乗り越えていけば、必ず自分の夢にたどり着けるはずだ。自分自身も環境などの制約によって様々なハードルがあったけれども、常に挑戦することでチャンスが生まれた。『no attack, no chance』。挑戦しなければ、チャンスはやってこない。若い力を生かして、これからもいろんなことにチャレンジし続けてほしい」