今ヒットチャートの上位を占めているのは、ロック、ラップ、ヒップホップかもしれません。しかし、アメリカは今も、アフリカ系アメリカ人奴隷の黒人霊歌をルーツに持つジャズを世界に贈り続けています。

「ジャズ・アンサンブルは民主主義そのものです。個人が自由に演奏しますが、バンドへの責任も果たさなければなりません」。ジャズ・ピアニストだった故セロニアス・モンクを記念して設立された、ジャズ・ミュージシャンを目指す人のための教育機関、セロニアス・モンク・ジャズ協会の入門書はこのように説明しています。

近頃はかつてのようにラジオからジャズが流れてくることも少なくなりました。それでもマイルス・デービス、セロニアス・モンク、デーブ・ブルーベック、チャーリー・“バード”・パーカー、ビリー・ホリデー、エラ・フィッツジェラルド、カウント・ベーシー、サラ・ボーンなどは、現在も多くの人がその名を知っています。

ウィントン・マルサリスとジャズ・アット・リンカーン・センターオーケストラ (Jazz at Lincoln Center/Frank Stewart)

ウィントン・マルサリスとジャズ・アット・リンカーン・センターオーケストラ (Jazz at Lincoln Center/Frank Stewart)

新旧のジャズの巨匠たちを以下にご紹介します。

マイルス・デービス (1926-1991)

最近の英国放送協会(BBC)の世論調査で、史上最も偉大なジャズ・アーティストとして、トランペット奏者のマイルス・デービスが選ばれました。このアドリブ演奏の達人は、ビーバップ(1940年代初期に成立したとされるジャズの一形態)のパイオニア、チャーリー・パーカーと共演し、有名な自身のグループを結成したほか、「バース・オブ・ザ・クール」(Birth of the Cool)、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」(Round About Midnight)、「カインド・オブ・ブルー」(Kind of Blue) など、名盤となったアルバムを録音しました。1970年代、デービスはそれまでのジャズの殻を破りエレキギターを演奏に加え、サンフランシスコのロックの殿堂「フィルモア」で演奏しました。常に「斬新な演奏方法」を追求し続けたのです。

セロニアス・モンク(1917-1982)

セロニアス・モンクは複数の名門校に通いましたが、ピアニストとして本格的に学ぶ場となったのは、ニューヨーク、ハーレムにある「ミントンズ・プレイハウス」でした。ソフト帽、ベレー帽、ニット帽、スカルキャップなど帽子好きと、奇抜な性格で知られたこの伝説的ジャズ・プレーヤーは、まるでピアノを攻めるように力強くたたきました。その様子をタイム誌は1964年の特集記事で「ピアノをまるでカリヨン(多数の鐘を組み合わせた打楽器)のバトン式鍵盤か、繊細に調律された88個のドラムをたたくように弾く」と形容しました。「ピアノは間違った音など出さない」。そう語ったモンクは、「ブルー・モンク」(Blue Monk)、「ルビー・マイ・ディア」(Ruby, My Dear)、「ストレート・ノー・チェーサー」(Straight, No Chaser) などの名曲を作曲しています。

ビリー・ホリデー (1915-1959)

ビリー・ホリデーほど悲しい人生を送ったシンガーはあまりいないでしょう。アーサー・ハーツォグ・ジュニアとの共作「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」(God Bless the Child) や、アメリカ南部の白人暴徒がアフリカ系アメリカ人に行った私刑を痛烈に非難する1939年作のバラード「ストレンジ・フルーツ」(Strange Fruit) に込められた深い感情表現は、ホリデーならではのものです。過酷な生い立ちを持つ「レディ・デイ」ことビリー・ホリデーは、ナイトクラブで歌い、やがてラジオで放送されるようになり、「サマータイム」(Summertime)、「アイル・ビー・シーイング・ユー」(I’ll Be Seeing You)、「ホエン・ユーアー・スマイリング」(When You’re Smiling) などのヒットでスターの座をつかみました。後世に残るアルバム「レディー・イン・サテン」(Lady in Satin) をリリースした後、肝臓と心臓を患っていた彼女は44歳で他界しました。

 

現代のレジェンドたち

ウィントン・マルサリス(1961- )

ニューオーリンズ出身のトランペット奏者、ウィントン・マルサリスは、これまでにジャズとクラシックの両部門で合わせて9つのグラミー賞を獲得しています。また奴隷制についてのオラトリオを作曲し、音楽部門でピュリッツァー賞も受賞しました。マルサリスは、ニューヨークの熱気あふれるジャズの殿堂ジャズ・アット・リンカーン・センターの創設者の1人で、「ムービング・トゥ・ハイヤー・グラウンド」(Moving to Higher Ground: How Jazz Can Change Your Life) の著書もあります。

ジョン・バティステ(1986- )

キーボード奏者ジョン・バティステは、テレビの深夜コメディー番組「ザ・レイト・ショー・ウィズ・ステファン・コルベア」に登場して以来、その癖の強さが人気となり、一気に有名になりました。ニューヨークの音楽大学ジュリアード音楽院のクラスメートと結成したバンド「ステイ・ヒューマン」では、ハーモニカのような楽器メロディカを吹きピアノで即興演奏します。ニューオーリンズ生まれの彼は「楽しくて踊りたくなるような」音楽を目指しています。