マイケル・ラフ、モウリーン・グレゴリー

ウクライナの最も力強いシンボルの多くは、独立のために戦ってきた歴史の中から生まれました。その多くは、世界的にも知られています。

ウクライナは8月24日を独立記念日として祝います。1991年のこの日、ソビエト連邦からの独立を正式に宣言し、主権国家となったのです。米国はその直後に外交関係を樹立し、ウクライナの独立と主権を固く支持してきました。

ここでは、ウクライナの誇り、犠牲、団結を象徴する5つのシンボルを紹介します。

国旗

(© Volodymyr Burdiak/Shutterstock.com)

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青は空を、黄色は麦畑を表しています。

1917年の帝政ロシアの滅亡後、1917年~1921年のウクライナ独立戦争でこの旗が使用されました。

ウクライナ議会が現在の国旗を正式に定めたのは、独立投票から半年後の1992年のことです。

今日、ウクライナの青と黄色の国旗は、主権を守るためのウクライナの戦いに連帯して世界各地で掲げられています。

トライデント(三叉槍)

(© Free_styler/Shutterstock.com)

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トライデント(トルィズーブ)は今でもウクライナを象徴するシンボルの一つです。3本の突起がついた槍のような形をしており、何世紀にもわたって使われてきた歴史があります。ウクライナで最も尊敬されている人物の一人であるヴォロディーミル大王は、980年から1015年までキエフを統治していた際に、このシンボルを硬貨に採用しました。

1917年~1921年のウクライナ独立戦争では、トライデントが国の紋章として使用されています。

1991年の独立決議の際には、トライデントがウクライナの紋章となりました。

今月初め、ウクライナはキーウにある国の記念碑に、ソビエト時代の鎌と槌の代わりにこのシンボルを加えました。政府はまた、この像を「母なるウクライナ」と改名する予定です。

独立広場

(© StockCo/Shutterstock.com)

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ウクライナの歴史を変えた大規模な平和的抗議は、キーウ中心部に位置する独立広場(別名マイダン)で何度も起きています。

「現代のウクライナはマイダンでつくられた」と、大西洋評議会でウクライナ・アラート・サービスの編集者を務めるピーター・ディキンソンは書いています。

1990年の「花崗岩の革命」では学生たちが大規模な政治改革を求め、翌年の独立投票の先駆けとなりました。また、2004年には、オレンジ革命のデモ隊がこの広場に集まり、公正な選挙を求めました。

そして、2013年から2014年にかけて、ヨーロッパとの緊密な経済連携を求める市民が、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ前大統領の政策に平和的に抗議するため、ユーロマイダン(尊厳の革命)を起こしたのです。

ひまわり

(© Kiran Ruparelia Captures/Shutterstock.com)

(© Kiran Ruparelia Captures/Shutterstock.com)

経済的にも文化的にも力をもたらすシンボルです。ウクライナはひまわり油の主要輸出国であり、経済に貢献している花なのです。

また、しばしば衣服を飾る文様としても登場します。お祝いの際には、多くの女性がひまわりの形をした冠をかぶります。

2022年にロシアの侵攻が始まってから、ウクライナへの支持を表明するため、世界中の市民がデモの際には花を手にし、冠をかぶっています。ロンドンのデモに参加したこの女性もその一人です。

"Ї"の文字

ウクライナで抵抗と希望の両方を表す文字があるとすれば、大文字の「I」でしょう。ウクライナ語とロシア語は似ていますが、「Ї」(点が2つ)はウクライナ語にしかない文字です。

マリウポリの住民は、この文字を公園や広場に描くことで、駐留するロシア軍への反対を表明しています。

ウクライナの「Ї」の形をしたロウソクを題材にしたイヴァン・マルコヴィッチの詩は、国の子どもたちとその未来に語りかけるものです。

可能だけれど最も重要というわけではない
あなたは子ども
呼ばれたのはその小さな手のひらで守るため
小さな"Ї"のキャンドルを

*この記事は、ShareAmericaに掲載された英文を翻訳したものです。