「ADAにより、学校、職場、映画館、裁判所、バス、野球場、国立公園などアメリカ社会を構成するさまざまな場所が、まさしく全ての人たちのものとなった」
オバマ大統領は昨年、「障害のあるアメリカ人法」(ADA) 成立25周年の記念式典でこのように述べ、「障害のある多くのアメリカ人が、それぞれの能力を磨き、世界に対し独自の貢献をする機会を得ることができるようになった」と続けた。
ADAが1990年に制定される前まで、雇用主には障害者の採用が義務付けられていなかった。ADAは、身体障害者および知的障害者への差別の撲滅を目的とし、障害者たちが社会に参画し、経済面も含めて自立して生活する平等な機会を得られるようにした。職場での差別を禁止するADAのおかげで、全米各地で障害者雇用が進み、あらゆる職種で、障害者が自らの可能性を発揮できるようになった。
トム・ハーキン元上院議員は、ADAを起草した主要議員の一人だ。テッド・ケネディ上院議員(故人)と共に、この重要な法律の成立に尽力した。今年の民主党全国党大会では、参加者たちに「アメリカ」を表す手話を教え、脚光を浴びた。彼は「実に美しい手話だ。皆が輪になってつながっていることを示し、我々は皆共にあり、この無限に続く社会という輪の中で誰も置き去りにしないことを意味している。これこそアメリカだ」と述べた。

今年7月フィラデルフィアで開催された民主党全国党大会で手話を交えてスピーチするハーキン元上院議員(AP Photo/J. Scott Applewhite)
今年9月、ハーキン氏は在日米国大使館の招きで来日し、障害者差別をなくす取り組みについて講演した。日本では、国会議員にADA成立の経緯について話し、キャロライン・ケネディ駐日米国大使主催のレセプションで障害のある方々と交流を持った。アメリカンセンターJapanで開催された大使館主催の講演会には、非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO) の職員、弁護士、政府関係者、報道関係者、学者、大学生などが参加した。

9月26日、駐日米国大使公邸で、ハーキン元上院議員と共に、障害のある方々を迎えるケネディ大使
講演でハーキン氏が口にしたのは、障害者の権利擁護に取り組むきっかけとなった兄フランクの存在だ。フランクは聴覚障害者で、彼が教育を受けた特別支援学校では、将来就ける職業は、パン職人か靴職人、印刷業者の助手だけだと教えられていた。しかし、彼はいずれの職業にも興味がなかった。最初はパン職人になったが、ジェットエンジンを製造する会社の経営者と出会い、その会社で働くことになった。フランクの真面目で実直な働きぶりを見たこの経営者は、他の聴覚障害者も採用するようになった。
ハーキン氏は、次のように語った。
「この事実から思ったのは、世の中にいる聴覚障害者の中で、いろいろなことができるにもかかわらず、若い時に『他には何もできない』と決めつけられた人が一体どれくらいいるのだろう、ということだ」
ハーキン氏は、兄フランクをはじめ、身体障害や知的障害のある人たちと接することで、ADAは全ての障害者を対象とした包括的な法案にしなければならないことに気がついた。「我々は、1964年に公民権法を成立させた。この法律は、人種、肌の色、信条、信仰、性別、出身国による差別を禁じている。しかし、障害のある人たちはこう言った。『私たちは取り残された』。1990年まで、障害者たちを公然と差別することは許されていた。レストランに視覚障害者の人が来たら、店側は入店を拒否することができた。どうすることもできなかった。仕事の面接に車椅子に乗った人が来たら、たとえその人が採用条件を満たしていても、雇用主は『体の不自由な人は必要ない』と門前払いすることもできた。このような行為は違法ではなかった。これを違法と定めたのがADAだ。障害に基づく差別を禁止した」とハーキン氏は語った。

9月26日にアメリカンセンターJapanで開催されたプログラム「障害のあるアメリカ人法 (ADA) 26周年:その功績とこれからの課題」で講演するハーキン元上院議員。司会は、障害者インターナショナル日本会議、事務局長補佐の田丸敬一朗氏が務めた
ハーキン氏は、ADA制定後に彼が見てきた変化についても語った。彼が特に感動したのは、あるドラッグストアの物流センターの話だ。ここでは働く人の4割が障害者であり、身体障害や知的障害がある従業員たちが、他の従業員と一緒に働き、給与、福利厚生や退職金などでも同等の待遇を受けている。ハーキン氏はその企業の役員から、同社の施設の中で、この物流センターが全米随一の生産性を誇っていること、そして同社が障害者の採用、研修を通じて「障害のある従業員は、間違いが少なく、真面目に勤務する」ことを学んだという話を聞いた。
ハーキン氏の地元アイオワ州の小さな町では、ADAのおかげで、知的障害のある若い女性がカフェをオープンするという夢を実現することができた。彼女は「バリスタ養成講座」を受講し、企業助成金を受けて事業を起こし、他の障害者を雇用した。「知的障害者が自分の店を経営する、こんなこと、誰が想像できたであろう」と、ハーキン氏は感動の声を上げた。

9月27日、国会議員会館で障害者の権利について話すハーキン元上院議員
ADAの制定により、障害者差別の解消で前進が見られた。しかし、ハーキン氏は、まだ道半ばと指摘する。「最も困難な障壁は、いわゆる物理的な障壁ではなく、人々の考え方による障壁だ」と言う。職場への移行をスムーズにするため、障害のある子どもたちに、特別支援学校ではなく、普通学校で教育を受けさせ、公共施設や公益事業の設計の初期段階で障害者にもかかわってもらう必要性を訴えた。
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