「自由の前夜」、つまり1863年1月1日の前夜、大晦日の夜の礼拝が初めて行われました。その夜、奴隷と自由の身のアフリカ系米国人両方が国中の教会や個人宅に集まり、奴隷解放宣言発布のニュースを心待ちにしていました。午前0時ちょうど、彼らの祈りが通じます。米国南部連合で奴隷となっている全ての人々が法律上解放されたと宣言されたのです。北軍兵士の多くは黒人でしたが、彼らは南部のプランテーションや各市を奴隷解放宣言の小さなコピーを読みながら行進し、黒人が自由の身となったニュースを広げました。

しかし、南軍領土内の奴隷全てがすぐに自由になったわけではありません。奴隷解放宣言が1863年に発布されたにもかかわらず、南軍支配下の場所では実施されなかったからです。その結果、南部連合最西端のテキサス州で奴隷となった人々が自由になったのは、ずっと後のことです。1865年6月19日、テキサス州ガルベストン湾に約2000人の北軍兵士が到着し、ついに自由が訪れました。北軍は、州内で奴隷となっていた25万人以上の黒人は執行令により自由になったと発表しました。テキサス州で新たに解放された人々は、この日を「ジューンティーンス」と呼ぶようになりました。

ジューンティーンスを祝う人々。1900年6月19日 (Austin History Center, Austin Public Library)

ジューンティーンスを祝う人々。1900年6月19日 (Austin History Center, Austin Public Library)

奴隷解放後の再建期(1865~1877年)と呼ばれる時期は、国全体にとって大きな希望と不安、闘争の時代となりました。元奴隷だった人々は、直ちに家族で再び集まり、学校の設立、政界への立候補、急進的な法律の推進、さらには奴隷所有者に対し賠償訴訟さえ起こしました。200年以上の奴隷生活を強いられた後では、まさに驚くべき変化です。奴隷制度解放から一世代も経ないうちにアフリカ系米国人は、彼らの生活や国を変革する勇気と力を得たのでした。

6月19日のジューンティーンスは、米国第2の独立記念日です。アフリカ系米国人コミュニティーは、長い間この記念すべき出来事を祝ってきましたが、多くの米国人の間ではほとんど知られていません。

ジューンティーンスの歴史的遺産は、不確実な時代においても決して希望を捨てないことの大切さを示しています。国立アフリカ系米国人歴史文化博物館は、この希望の精神が生き続けるコミュニティースペースです。ジューンティーンスのような歴史的出来事が共有され、新たな喫緊の課題が語られる場所です。

バナーイメージ:ジューンティーンスを祝うバンド。1900年6月19日 (Austin History Center, Austin Public Library)

*本記事は国立アフリカ系米国人歴史文化博物館の許諾を得て、以下を翻訳したものです。

“The Historical Legacy of Juneteenth.” National Museum of African American History and Culture, 19 July 2019, nmaahc.si.edu/blog-post/historical-legacy-juneteenth.