レノア・アドキンス

1950年代当時のアメリカはポリオの恐怖の中にありました。治療薬も予防薬もなかったことから、人々は恐怖に怯えていたのです。

アメリカ国内で自然感染によるポリオを消滅させるには、親、子ども、医師、有名人、メディア、非営利団体、政治家など社会のあらゆる人たちのかかわりが必要だとされていましたが、ワクチンの発明と過去の教訓により、米疾病予防管理センター(CDC)は世界各地でこの感染症と闘うことが可能となったのです。

ポリオ(急性灰白髄炎)は中枢神経系を攻撃する病気で、生涯にわたり障害が残ることもあります。最悪の場合は死に至ることもあり、感染リスクが最も高いのは乳幼児や子どもです。

不安におびえる子どもたち

A sixth-grade classroom in Milwaukee on the first day of school in 1944 is barely occupied because of a polio quarantine. (© Bettmann/Getty Images)

1944年、新学期初日のミルウォーキー市内(ウイスコンシン州)の小学校の6年生の教室。ポリオ流行の隔離期間のため教室にはまばらの生徒 (© Bettmann/Getty Images)

ポリオが猛威を振るった1950年代夏、何万人もの子供が感染しました。ビーチ、プール、映画館、バスケットボール場が次々と閉鎖され、子どもたちは親に人ごみに行ってはいけないと強く言われていました。アメリカ国内で感染がピークに達したのは1952年で、感染者数は5万7628人、麻痺が残った人は2万1269人、死亡者数は3175人を記録しました。

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ポリオ関連年表
1789年:イギリス人医師マイケル・アンダーウッドが子どもの下肢の機能衰退を初めて記録
1843年:アメリカ初のポリオ流行を記録
1952年:アメリカ国内の感染がピークに達する。感染者数5万7628人、麻痺発生者2万1269人、死亡者3175人
1950~60年代:ジョナス・ソーク博士が初のポリオワクチンを開発。その後アルバート・セービン博士が開発した経口ワクチンが普及
1979年:アメリカでポリオ絶滅

「ポリオ:ある米国の物語」(原題:Polio: An American Story)の著者でニューヨーク大学医学部医療人文学ディレクターのデービッド・オシンスキー氏は、「私は小学生でニューヨーク市内の学校に通っていました。子どもたちは学校に戻ると、車椅子に乗っている子や下肢装具をつけた同級生を目にし、また誰も座っていない席があれば、この席にいた子はもう戻って来ないとわかっていました」と当時の様子を振り返ります。

ポリオ撲滅の最前線に立った大統領

10代から20代の若者や大人への感染が稀であった中、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(在任:1933~1945年)は39歳の時にポリオに感染しました。1952年の大流行からさかのぼる数十年前の1921年、大統領になるずっと前のことでした。それが原因で歩行障害を患ったルーズベルトは在任中の1938年、ポリオ撲滅のため「全米小児麻痺財団」(現在のマーチ・オブ・ダイムズ)を設立しました。

President and Mrs. Franklin Roosevelt enjoy conversation with young polio patients from the Warm Springs Foundation. (© Bettmann/Getty Images)

ウォームスプリング財団から来た子どもポリオ患者と談笑するスルーズベルト大統領夫妻 (© Bettmann/Getty Images)

多くのボランティアがダイム(10セント硬貨)を集め、ワクチンの研究、アメリカ史上最大の治験の実施、ポリオに苦しむ子どもを知ってもらうためのポスター作成といった財団の活動に資金援助を行いました。またポリオ撲滅運動には、エルビス・プレスリーやマリリン・モンローといった著名人も参加しました。

ルーズベルト大統領はラジオで演説を行い、ポリオ撲滅への協力を国民に訴えました。

ワクチンへの道を切り開く

1940年代になるとジョンズ・ホプキンス大学で行われていたワクチン開発に天才研究者が参加します。イザベル・モーガン博士です。彼女は子育てのため研究から離れましたが、彼女の貢献とCDCの研究のおかげで、ピッツバーグ大学のジョナス・ソーク博士による初のポリオワクチンが1954年に完成しました。

小児麻痺財団はワクチンの有効性を確かめようと、アメリカ全土で二重盲検法による治験を実施しました。およそ100万人の学童にワクチンもしくはプラセボ(偽薬)を投与して治験を行い、1955年4月12日、ついにワクチンの使用が承認されました。

On April 25, 1955, Patsy Murr, a first-grader in Lancaster, Pennsylvania, is vaccinated against polio by Dr. Norman E. Snyder as classmates react. (© AP Images)

ペンシルベニア州ランカスターの小学校でポリオの予防接種を受ける1年生。1955年4月25日 (© AP Images)

その後まもなく、ワクチン運動が全国に広がります。予防接種の安全性を確保するための品質管理策が定められ、CDCは疾病監視という新たな役割を担うことになりました。

「セービン日曜日」

1960年代になると、小児麻痺財団から助成を受けたアルバート・セービン博士が、安価で投与しやすい経口ワクチンの共同開発にCDCと乗り出します。アメリカのある年齢層の大人であれば「セービン日曜日」を覚えていることでしょう。アメリカ全土で日曜日に実施された任意予防接種プログラムで、何百万人もの子どもたちが液体ポリオワクチンを混ぜた角砂糖を口に投与してもらいました。

このような取り組みのおかげで、アメリカでの自然感染によるポリオは1979年までに消滅しました。

ソーク博士とセービン博士は、子どもを亡くしてしまうという「とてつもない恐怖」から親を解放した英雄として今なおたたえられています。CDCの予防接種専門家のステファン・コチ博士は、ポリオを「平等主義的破壊者」と呼び、「ポリオはお金持ちか否かに関係なく平等に人々に感染し、麻痺という後遺症を残してきた病気」と振り返ります。

Left: Dr. Jonas Salk, who developed the polio vaccine, in his laboratory at the University of Pittsburgh. Right: Dr. Albert Sabin, at work in his laboratory at the University of Cincinnati College of Medicine, was best known for developing the oral polio vaccine. (© Bettmann/Getty Images)

左:ポリオワクチンを開発したジョナス・ソーク博士。ピッツバーグ大学の研究室にて。
右:経口ワクチンを開発したシンシナティ大学医学部(オハイオ州)のアルバート・セービン博士 (© Bettmann/Getty Images)

しかし、これでCDCの役割が終わったわけではありませんでした。

世界へ広がるポリオとの闘い

1988年、世界保健総会で世界からのポリオ根絶を目指す決議が満場一致で可決され、アメリカは「世界ポリオ撲滅推進活動(GPEI)」の立ち上げを支援しました。

この取り組みにはアメリカ政府他、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、国際ロータリー、世界保健機関(WHO)の4機関がパートナーとして参加しています。連邦議会は1990年代から、CDCのポリオ撲滅運動を支援するため数億ドルの予算を充ててきました。

A health worker gives a polio vaccination to a student in Peshawar, Pakistan, in April 2019. (© Muhammad Sajjad/AP Images)

パキスタン・ペシャワールで子どもにポリオワクチンを投与する医療従事者。2019年4月 (© Muhammad Sajjad/AP Images)

2018年時点での世界の自然感染症例は30件未満であり、感染が報告されたのはアフガニスタンとパキスタンの2カ国のみでした。目標はこの数値をゼロにすることです。

バナーイメージ:旅行中にポリオに感染した16歳のアイラ・ホーランドさん。旅行先のボストンから自宅があるニューヨーク市近くの病院に救急車で搬送された。1955年撮影 (© AP Images)