異なる文化の間を行き来してまるで「10 カ国語を話す」ような生活を送るようになった作家レベッカ・ウォーカー

ソニヤ・ウィークレー
米国国務省スタッフライター

両親の離婚と人種問題で傷ついた子供時代を過したレベッカ・ウォカーは、さまざまな文化に基づく独自のアイデンティティーを築き上げた(写真 Courtesy photo)

レベッカ・ウォーカーは、ベストセラー「Black,White and Jewish: Autobiography of a ShiftingSelf」の著者である。この本は、複数民族の血を引く人間のアイデンティティーに関する回顧録である。両親の離婚後、ユダヤ系白人文化とアフリカ系米国人が多数を占める文化の間を行き来したウォーカー氏は、インタビューで、アイデンティティーを切り替えることは難しかったが、複数の文化を経験したおかげで、活力に満ちた包含的な世界観を形成することができたと語った。問 あなたが育った家庭は、ユダヤ系白人の父と黒人の母という、人種的な特徴を持っていただけでなく、離婚によって引き裂かれていました。父親側か母親側のいずれかに対して疎外感を感じたことはありますか。

ウォーカー 私は、公民権運動の時代にミシシッピー州で生まれました。父はニューヨーク州ブルックリンの出身で、母はジョージア州の出身でした。(両親が離婚した時)私は8歳でした。彼らはそれぞれ、人種によって分離された地域に戻りました。正式に分離されていたわけではなく文化的に分かれていた地域です。サンフランシスコで黒人中心の社会にいる時には、白人の血が半分入っている、あるいはユダヤ人であると口にするのは危険でした。同じことは、東海岸のニューヨーク州ウェストチェスター郡でも言えました。私の肌の色から、私が100%白人でないことは一目瞭然でしたが、私はそのことについてあまり多くを語りませんでした。

 混乱しませんでしたか。

ウォーカー とても複雑でした。新しい社会に入ったり、新しい学校に行く時には、人々の行動の仕方や、好んで買うもの、言葉遣い、どのような文化活動をするかを見極めなければなりませんでした。まわりに溶け込み、身の安全を守り、受け入れてもらうために、常に変わらなければならないと感じていました。とても混乱しました。問 そういう状況についてどう思いましたか。ウォーカー 当時はとても嫌でした。新しい環境になると、自分はどうすべきなのか分かりませんでしたし、とても緊張しました。結局、ほぼ毎年、違う学校に通うことになりました。どの学校にも、人種的な違いだけでなく、階級、宗教、政治的信念といった問題がありました。とても大きな違いでした。

 人々があなたとのかかわり方を決める要素のひとつが人種であることに気づいたのはいつごろですか。

ウォーカー 最初に気づいたのは、小学校4年生の時です。好きだった男の子に、黒人の女の子は好きじゃないと言われ、突然パニックに陥りました。何が何だかさっぱり分かりませんでした。私はそういう人間なのか。突然、他人が私を見る目と、私が私自身を見る目が違うことに気づきました。

 あなたは成長する過程で、周りの人々から「黒人、混血、有色人種、プエルトリコ人、メキシコ人、エジプト人、インドネシア人、あるいはギリシャ人に見られたが、(中略)誰とでもつながることができた」と語っています。どのようにして誰とでもつながることができるようになったのですか。

ウォーカー それは10 カ国語を話すようなものです。保守派であろうと、共和党でろうと、由緒ある家柄であろうと、WASP(アングロサクソン系白人新教徒)であろうと、米国のどの社会にも入っていけるし、何らかのつながりを感じることができます。なぜなら、そうした世界の学校に行ったことがある、あるいはそうした世界の友達がいるからです。キヌア(訳注 南米産の穀物)を食べるグループや遺伝子組み換え生物に反対するグループなどの小規模な共同体、都市部の黒人、サモア人、ドミニカ人、メキシコ人、ラオス人の社会にも入ったことがあるからです。ケニヤのイスラム社会で長期間過ごした経験もあります。またメキシコでは、厳しいカトリック教義を理解しました。通常は、私が相手の出身を理解して敬意を払っていることを分かってもらえるような、真摯(しんし)な方法で意思の疎通を図ることができます。

 それは、自分のアイデンティティーを変えられるということですか。

ウォーカー ある意味、人種的・文化的アイデンティティーは、成長する過程で選択されるものであり、与えられた台本に従って行動するか、独自の台本を作り出すか自分で決められることに気づきました。自分を順応させなければならない経験をしたことのない人は、自分で台本の書き換えが可能だと理解できない場合が多いと思います。

 あなたは「人種による識別の必要性をなくす方法はまだ見つかっていない」と言っています。私たちの社会やその一部に、こうした必要がなくなる兆しは見えていますか。

ウォーカー もちろんです。大学のキャンパスに行くと驚きます。私が(エール大学に)在学していたころ、大学の食堂に入っていくと、歴代学長の肖像画が飾られていました。全員が白人でした。常に人種間の闘争を意識していた私たちは、それを批判しました。最近、(同じ食堂で)黒人の学生ばかりのテーブルに座った時に「皆はこれについてどう思う?」と聞くと、「そんなことは考えないし、話もしない。それほど重大な問題ではない」という答えが返ってきました。私にとって実に衝撃的でした。

彼らが人種をどう論じるかに興味がありましたが、特に不満を持っていませんでした。この学生たちはより恵まれた立場にいますが、人種が怒りを感じる必要がある阻害的な要因であると思っていません。

 それは良いことですか、悪いことですか。

ウォーカー 良くもあり、悪くもあります。こうした状況は私たちも望んでいますが、この問題がまだ終わっていないという事実を見失ってほしくありません。「もう終わったことだ。人種問題は終わった。今は人種問題後の時代だ」という声を聞くとがっかりします。さまざまな資源の利用や本当の権力を手に入れるという点では、人種間格差が現前にあります。文化的には、水面下で起きていることを見失うわけにはいきません。

 若者たちは、自分たちの文化的伝統や先人の苦難を覚えておくべきですか。それとも、すべて忘れるべきでしょうか。

ウォーカー 両方が必要だと思います。私は、一方は奴隷制度、もう一方はホロコーストという闘いの歴史と深く結び付いた2つのグループに属しています。良い意味での自尊心を与えてくれ、何か得るものがある限りにおいては、人々は過去に敬意を払い、称賛すべきですが、ほかの生き方ができないほどの過去への執着は健全でないと思います。

その一方で、若者たちがいろいろなものを捨ててしまい、問題の多い大衆文化以外に実質的な支えを持たないという問題があります。彼らが世界に踏み出す時に、「アメリカらしさ」を発揮する何か新しいものを与えなければならないと思います。大量消費主義やはなはだしい階層化のために自分たちの文化を手放すよう若者に言うことはできません。

 人種問題後の社会の展望がありますか。あるいは、人間が人種によって識別されるか、あるいは自ら人種によって識別されることを選ぶか、ということは、私たちの社会の「成功」にとって重要なことですか。

ウォーカー 米国にとって最も重要なことは、自己肯定的であっても、孤立的でないアイデンティティーを示すことだと思います。人種問題は、資源をどのように分配するか、誰が教育を受けられて誰か受けられないのか、世界的にみて米国の競争力はどのくらいあるのか、といった現実的な問題から私たちを遠ざけるために利用される可能性があります。

ですから、人種問題後とか、人種問題前とか、人種とか、そういうことは重要ではないと思います。私は人の自我を奪うつもりはありません。しかし、人種問題に巻き込まれ、気をそらされ、後先を考えず関与するよりも、取り組む必要のある、もっと深刻な問題に力を注ぐよう働きかけたいと思っています。人種間のあつれきは、この国を弱体化させることになります。

 文化的な意味において、米国人であることはあなたにとって何を意味しますか。

ウォーカー 自分があちこち移り住み、複数の文化に親近感を感じることは、極めてアメリカ的なことだと思っています。旅をすると、異なる文化を持つ人たちが、しばしば単一の文化しか持たないように認識されていることに気づきます。共通の利益のために必要な限りにおいて、私たち米国人は、文化的アイデンティティーに執着しないよう促されていると思います。それは良いことであり、この傾向が世界でも広まればいいと考えます。その点で私はたいへん恵まれていると思いますし、多くの人々もそうだと思います。私は米国人であることをとてもうれしく思います。状況が良くなる可能性はあるでしょうか。あると思います。悪化する可能性はあるでしょうか。あると思います。私たちはこの国の約束を満たすために、日々努力しているでしょうか。私たちの大半は努力していると思います。そして、その精神、バラク・オバマ大統領を選出したその精神を、私はとても誇りに思います。