宇田川サーシャ 在日米国大使館 英語編集者

2016年5月27日、バラク・オバマ大統領が広島を訪れた。この歴史的な訪問の際に世界中に配信された写真の中で最も感動的な1枚は、オバマ大統領が被爆者の一人、森重昭さんを抱き締めているものだった。第2次世界大戦中、広島で被爆した日本人をアメリカ大統領が抱き締める―この写真を見た多くの人が、その意義深さに言及した。そしてこの光景は、かつての敵同士の和解と核兵器のない世界に向けた一歩を象徴する感動的なシーンとしてたたえられた。

2016年5月27日、広島平和記念公園で森重昭さんを抱き締めるオバマ大統領(AP Photo/Carolyn Kaster)

2016年5月27日、広島平和記念公園で森重昭さんを抱き締めるオバマ大統領(AP Photo/Carolyn Kaster)

この場面を見た世界中の多くの人々の中には、広島平和記念公園で大統領が演説した後、言葉を交わす被爆者代表になぜこの男性が選ばれたのか不思議に思う人もいたかもしれない。さらに、大統領は演説で森さんについて触れていた。「この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです」。これがその一節だ。

各国メディアがすぐにこれを取り上げ、森さんが広島の原爆で犠牲になった12人の米兵捕虜の特定と慰霊に人生をかけて取り組んできたことを報道したため、森さんの功績は誰もが知るところとなった。しかし、オバマ大統領の広島訪問の前に、森さんの活動を知っていた人物がいた。アメリカ人映画監督バリー・フレシェット氏だ。彼はドキュメンタリー映画「灯籠流し」(原題:Paper Lanterns)で、14万人以上が亡くなった広島の原爆投下で九死に一生を得た森さんが、広島で犠牲になった12人の米兵捕虜の足跡をたどった戦後40年以上にわたる取り組みを描いた。

広島で亡くなった12人のアメリカ人パイロットたちは、1945年夏、呉港沖で戦艦「榛名」を爆撃した際に日本軍に撃墜された米軍の爆撃機に搭乗していた。彼らは捕らわれ、爆心地に近い中国憲兵隊司令部に送られた。彼らの最期について知らされた遺族はほとんどいなかった。森さんは長い歳月をかけて犠牲になった米兵捕虜の遺族を探し出し、愛する人の最期の様子を知らせた。さらに国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に彼らの写真を納めるために尽力しただけでなく、捕虜収容施設の跡地に個人的に慰霊銘板を設けることまでした。

映画「灯籠流し」は、アメリカ人パイロットの足跡と、彼らの身元を特定した森さんの努力を描いただけでなく、森さんから捕虜たちの最期の様子を聞き、気持ちの整理をつけた遺族たちについても伝えている。遺族の中には、来日にして森さんと共に広島平和記念式典に参列し、米軍の爆撃機が撃墜された場所を訪れた人もいる。

ノルマンド・ブリセット三等空兵は原爆の犠牲者として広島国立平和祈念館に登録された

ノーマンド・ブリセット三等空兵の写真は原爆の犠牲者として、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に納められた

フレシェット監督の大おじは、広島で亡くなった捕虜の一人、ノーマンド・ブリセット三等空兵と子どものころからの友人だった。ブリセット空兵の遺族から、彼の消息を伝えたいという日本からの手紙を受け取ったという話を聞いたフレシェット監督は、興味を持った。アメリカン・ビューとの書面インタビューで、彼は次のように答えている。「ノーマンド・ブリセットだけでなく、森さんのことも知り、この話を誰かが伝えなければいけないと思いました。手遅れにならないうちに誰かが伝えなければ、この話は歴史に埋もれてしまう。広島で何があったか、人々は知る必要があると私は感じました」

広島で亡くなった米兵捕虜関連の書類を見る森さん

広島で亡くなった米兵捕虜関連の書類を見る森さん

広島に原爆が投下されたとき、森さんは8歳だった。学校へ向かう途中に爆風に襲われ、橋の上から吹き飛ばされた。気がつくと、きのこ雲の下、あたりは真っ暗闇だった。森さんは何とか生き延び、大学卒業後、証券会社に就職したが、一方で歴史の研究に情熱を注いだ。映画の中で彼はこう言っている。「闇の中で明かりを求めて必死で突進するというようなことを、いつもやっておりました」

森さんは書面インタビューで次のように語っている。「米兵はひっそりと死んでいました。遺族に知られることもなく、慰霊碑もありません。私は思いました。原爆で生き残った人間として、彼らが犠牲になったことを知らせよう。せめて、遺族には知らせようと決心しました」。森さんは被爆の直前に、捕虜たちが収容されていた司令部の近くにあった学校から、別の学校に転校した。だから生き残ることができたが、転校していなければおそらく原爆の犠牲となっていただろう。

フレシェット監督はこのように述べている。「森さんは捕虜たちの気持ちがわかったのだと思います。彼らは故郷から遠く離れた地球の裏側で孤独を感じ、おびえていました。彼らは原爆の犠牲になった多くの人々と運命を共にしたのです。しかし森さんの行動は予想外でした。彼の取った行動から、彼の素晴らしさがわかります。森さんは調査してその結果だけで満足することもできました。しかし彼は、アメリカにいる遺族に連絡を取り、仕事の傍ら捕虜たちの慰霊碑まで作りました。森さんは国籍にかかわらず、全ての犠牲者を追悼しました。だからこそ、彼は特別なのです。和解を取り持つ役割を果したのです」

Shigeaki and Kayoko Mori with "Paper Lanterns" director Barry Frechette

(右から)森さん、フレシェット監督、森さんの妻の佳代子さん

フレシェット監督が突然、広島の自宅を訪問したとき、森さんは驚いたそうだ。「資料の提供だけだと思っていました」と森さんは言う。「灯籠流しの話をしたのは家内だと思います。まさかそれが映画の題名になろうとは思いませんでした」。このドキュメンタリー映画のタイトルは、毎年8月6日の夜に広島で開催される「ピースメッセージとうろう流し」にちなんで付けられた。誰でも自由に灯籠に平和のメッセージを書くことができる。灯籠は元安川に流され、原爆ドームの前を流れていく。映画では、広島で犠牲になった捕虜の一人、ラルフ・ニール米陸軍二等軍曹のおいと共に森さんが灯籠流しに参加する、非常に感動的な場面が描かれる。

フレシェット監督は言う。「平和への道は小さな一歩から始まります。この映画はそれを証明しています。そしてこれこそ森さんが大勢の人のためにしたことです」。オバマ大統領が広島で演説し、森さんを抱き締める様子をテレビで見たフレシェット監督と家族は、涙を流したそうだ。「信じられない光景でした。森さんご夫妻にとって、あの式典に参加し、功績を認められたことがどういう意味を持つか、私たちにはわかりました。森さんが感情をあらわにし、オバマ大統領に体を寄せ、二人が抱き合うのを見ることができました。とても特別な瞬間でした。あの光景は、私たち皆にとって特別です」

オバマ大統領と会ったときのことについて、森さんはこのように語っている。「5月27日、私と大統領は心と心が通じ合いました。米兵捕虜は、自分たちが犠牲になったおかげで平和になった、自分たちは単なる犠牲者ではない、英雄なのだと認識していると思います。やっと認められた。71年たって。大統領の私へのハグは広島、長崎で犠牲になった人たち全員をハグして、平和の尊さを教えてくださったものだと理解しています」

映画「灯籠流し」のポスター

映画「灯籠流し」のポスター

2016年5月27日の広島平和記念公園での式典に列席した米側招待客についてはこちらをご覧ください。