シリアで政府と反政府勢力の対立が激化して4年余り。多くのシリア人が戦乱を逃れて国外に避難している。中には安住の地を見つける前に命を落としたり、劣悪な環境での生活を余儀なくされている難民もいる。この問題には世界規模で取り組まなければならない。一国、あるいは1つの地域だけで全ての難民を受け入れることは不可能だからだ。歴史的に米国は多くの難民を受け入れてきた。そしてそれにより、難民だけでなく、受け入れる側の米国市民もさまざまな恩恵を受けてきた。以下の記事で米国における難民受け入れの概要を説明する。

難民として米国にやってきて、ニューヨークに定住したエスピノーサ一家。(写真提供Jay Capers)

難民として米国にやってきて、ニューヨークに定住したエスピノーサ一家。(写真提供Jay Capers)

「疲れし者、貧しき者を我に与えよ。自由の空気を吸わんと熱望する人たちよ。身を寄せ合う哀れな人たちよ。住む家なく、嵐にもまれし者を我に送りたまえ。我は、黄金の扉にて灯を掲げん」-「ザ・ニュー・コロッサス」(エマ・ラザラス)

自由の女神像の台座に刻まれたこの詩は、新しく米国人となるために世界各地からやって来た無数の人々を迎え入れてきた。そしてこの言葉は、今なお生き続けている。

米国連邦議会で「1980年難民法」が成立して以来、暴力や迫害を逃れて米国に再定住した人は300万人近くにのぼる。この数は、米国以外の国に定住した難民の総数を上回る。

その恩恵を受けた難民には、カリフォルニア州に住むベトナム人やラオス・モン族の人たち、ミシガン州で新生活を始めたイラク人、ミネソタ州やメイン州で新たな運命を切り開くソマリア人たちがいる。

他にも恩恵を受けた人たちがいる。難民たちを仲間として受け入れた米国市民だ。米国社会は、物理学者のアルバート・アインシュタイン、元国務長官マデレーン・オルブライト、人権活動家のルオン・ウン、さらには無名の隣人、学校の友人、職場の同僚など、新たに米国市民となった人たちによってより深みが増し、視野が広まった。

再定住希望者は通常、国連難民高等弁務官事務所から紹介される。申請者は面接と審査を受け、難民認定されると米国に渡航して新たな生活を始める。近年では年間約7万人が再定住を許可されている。

再定住機関は米国にやって来た難民に住宅、教育、就労支援を提供する。5年が経過すると、難民は米国市民権を申請できる。

オバマ大統領は、米国に移住した難民とその隣人となる米国市民の相互責任と、全ての人たちにもたらされる恩恵について語り、「新しく米国人となる人たちが、市民として経済的、言語的に融合できるよう重点的に取り組むことで、移民や難民が我々の経済や地域社会に十分貢献できるよう支援することができる」と述べた。

*この日本語文書は国務省の国際情報プログラム課により運営されているウェブサイト「シェアアメリカ(ShareAmerica)」に掲載された記事(2015年9月10日)の参考のための仮翻訳で、正文は英文です。