エレン・オチョアは米国航空宇宙局(NASA)が誕生した年と同じ1958年生まれだ。宇宙飛行士が初めて月面に降り立ったとき、彼女は11歳だった。しかし彼女が宇宙飛行士になるのは大統領になるより可能性が低いように思われた。「当時は女の子に『大きくなったら宇宙飛行士なりたい?』などと聞く人は誰もいなかった」。オチョアは、ニュースとジャーナリズムに関する博物館ニュージアムにこのように語った。
だが1978年に6人の女性がNASAの宇宙飛行士に選ばれ、オチョアの夢は現実味を帯びた。ほとんどが男性の技術者たちは、ユーモアを込めて新しい同僚のために化粧道具一式をデザインしたが、この6人の先駆者の1人キャサリン・サリバンはこう言った。「私たちは男性と区別された『お嬢さん宇宙飛行士』にはなりたくなかった」
宇宙への道が女性に開かれ、物理学の学士号を取得したオチョアも宇宙飛行士になった。そして1993年、ヒスパニック系女性として初めて宇宙に行った。4回宇宙に行き、飛行時間は約1000時間に及んだ。オチョアは地球の大気を調べ、太陽の調査に使われた衛星を捕捉し、国際宇宙ステーションでロボットアームを操作して宇宙遊泳をする乗組員を移動させるなどの任務を遂行した。
オチョアの他にも、科学者、ミッションスペシャリスト、パイロット、船長など、女性宇宙飛行士がさまざまな役割を担った。医師であるメイ・ジェミソンは1992年、初のアフリカ系アメリカ人女性宇宙飛行士になった。医師の向井千秋は1994年、日本人女性で初めて宇宙飛行士となった。イラン系アメリカ人の技師であり起業家でもあるアニューシャ・アンサリは2006年、自分で旅費を払って国際宇宙ステーションへ向かった。彼女は宇宙旅行をした初めての女性で、初のイラン系宇宙飛行士だ。
火星への一番乗りを目指している13歳の少女がいるが、今では彼女の父親も、メディアも、NASAの職員も、誰も彼女の夢を疑問に思う者はいない。
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*この日本語文書は国務省の国際情報プログラム課により運営されているウェブサイト「シェアアメリカ(ShareAmerica)」に掲載された記事(2015年3月9日)の参考のための仮翻訳で、正文は英文です。オリジナルの英文はこちら:https://share.america.gov/space-wide-open-women-girls/
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[…] 宇宙飛行士候補プログラムを修了するにはこれら全ての技量が要求される。訓練が始まった最初の月に、飛行服と運動靴を身に付けて25メートルのプールを泳いで1.5往復するのは言うまでもない。NASA関係者はすでに注目している(歴史をつくったNASAの女性宇宙飛行士についてはこちらを参照)。 […]
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