聖路加国際病院は100年以上にわたり、日米関係の歴史で重要な役割を果してきました。カレン・ペンス副大統領夫人が、さまざまな健康問題を抱える患者にとって有効な介入療法としてアートセラピーを推奨する自らの活動を語る場所として、この病院が選ばれた1つの理由はそこにあります。
2017年4月、マイク・ペンス副大統領は、カレン夫人、2人の娘と共に就任後初めて来日しました。東京滞在中、4月18日、カレン夫人と次女のオードリーは聖路加国際病院を訪れ、小児病棟でアートセラピー・セッションに参加し、病気の子どもたちと一緒に海の生物の絵を描きました。描かれた作品はその後、スキャン、デジタル処理され、生物たちが生き生きと泳ぐデジタル水族館として壁一面に映し出されました。カレン夫人はまた、日本でアートセラピーに携わる大学教授や医師、専門家との懇談会にも出席しました。

2017年4月18日に聖路加国際病院で行われたアートセラピー・プログラムに参加したカレン・ペンス副大統領夫人
聖路加国際病院は、都内有数の大規模な総合医療機関として多くの人に知られています。しかし、副大統領夫人の訪問先として聖路加国際病院が選ばれたのはなぜでしょう。そして、この病院が日米友好のシンボルになっているのはなぜでしょう。
聖路加国際病院は、1901年、米国聖公会が日本に派遣した、25歳のジョージア州出身の宣教医師、ルドルフ・B・トイスラーにより設立されました。当時は質素な救貧院で、建物は築地の外国人居留地の端に建てられた小さな木造家屋を使用していました。設立当初から、公衆衛生の啓蒙活動、子どもの福祉や予防医療に力点をおき、同時に、東京に住む人たちに質の高い看護と医療を提供することを目指していました。
1923年の関東大震災で病院の建物は倒壊しました。すぐにアメリカで新病院建築の資金集めが始まったことから、トイスラー院長は迅速に病院を再建することができました。新病院の設計は、駐日米国大使公邸も設計した建築家、アントニン・レーモンドが手掛けました。1927年には聖路加女子専門学校が開設され、看護学校として日本で初めて最高教育機関として認可されました。
病院は第2次世界大戦中も開業し続けましたが、病院施設は戦後、米陸軍により11年間接収されました。このため占領下では、東京都から借り受けた施設で開業し、日本国民に医療を提供し続けました。
病院建設の資金調達でトイスラー院長を特に支援した人物が、アメリカ人宣教師ポール・ラッシュ博士です。ラッシュ博士は半世紀以上にわたり、山梨県で青少年教育と農業の発展に尽力しました。またアメリカンフットボールを日本に紹介したとも言われています。彼の功績をたたえるポール・ラッシュ祭が、毎年八ケ岳で開かれます。

現在の聖路加国際病院
聖路加国際病院は、長年にわたり建物や施設を拡張・改修してきましたが、所在地は設立当時のままです。象徴的なチャペルがある旧館は、数多くの地震に耐えて残り、今も診療に使われています。米国大使館と聖路加国際病院との特別なつながりを示す事柄の1つとして、現在、同病院が建っている場所に、かつて米国公使館があったことが挙げられます。1890年に公使館を赤坂に移転する際、公使館跡地の証として、星、白頭鷲、盾を彫った8個の石碑が築地に残されました。そのうち3個は、1984年に米国大使館に寄贈されました。残りの5個は、今なお病院の敷地で見ることができます。
今日、聖路加国際病院は医療機関として非常に高い評価を受けています。その立役者となったのが、2017年、105歳で逝去された日野原重明名誉院長です。1941年に聖路加国際病院で医師として働き始め、聖路加女子専門学校でも教壇に立ちました。経験豊かな日野原先生は、世界で最も長く現役を続けた医師の1人として活躍されました。日野原先生の父親は、1900年にアメリカ・ノースカロライナ州のデューク大学に留学しました。日野原先生も同じように40歳のときにアメリカに留学し、アトランタのエモリー大学で勉強しました。戦後は、病院理事として病院の拡張や発展に尽力し、2015年まで理事長を務めました。聖路加国際病院は1992年5月に新病院が完成し、患者の立場に立った医療を提供する21世紀の最先端医療拠点へと生まれ変わりました。日野原先生の指導の下、日本初となる緩和ケア科と社会心理科を開設し、また若い医師を育成するため、米国式レジデンシー研修制度も導入しました。2017年には、国内初の英語で授業を行なう大学院、聖路加国際大学公衆衛生大学院を立ち上げました。
2015年、日野原先生は、米国大使館が聖路加国際病院に寄贈した2本のハナミズキを植樹する式典に出席しました。この植樹式は、日本からワシントンに3000本の桜の木が寄贈されてから100年を迎えたことを記念する「友好の木―ハナミズキ・イニシアチブ」事業の一環として、実施されたものです。病院の敷地できれいな花を咲かせている、このハナミズキは、聖路加国際病院と米国大使館だけでなく、日米両国の間に連綿と続く深い友好を表す大切なシンボルとなっています。

聖路加国際病院でのハナミズキ植樹式に参加した日野原重明名誉院長(左)
COMMENTS5
聖路加国際病院はトイスラー博士と米国民による日本への永遠の貢ぎ物でした。戦前は貧しい人々には医療費が減免されていました。金持ちのための病院ではなかったのです。しかも、トイスラー博士の最終目標は日本に留まらず、中国、インド、中東のベイルートへと聖路加の医療・保健衛生のチェーンを広げることにありました。日本国民が豊かになれば、米国民とともにアジアの医療改革に貢献することまで構想していました。単なる日米友好ではない、忘れてはならない重要な遺言でした。
There are some interesting points in time in this article. There is some validity but I will take hold opinion until I look into it further. Good article, thanks and I want more! Added to my Feed as well.
聖路加国際病院は1902年ではなく1901年設立です。
私も家族全員で長年お世話になっている病院です。チャペルが荘厳で美しく、受診するたびに見に行っていましたが、今は修復のため入れず少し寂しいです。
私の母(80代)は聖路加で学んでいますが、当時はシスターが寮の部屋を抜き打ちチェックしていたとかで、本一冊向きが逆だったりすると注意をされたそうです:)
ハナミズキ(Dog Wood)は、昔、キリストが十字架にかけられた時に、一緒に悲しんだと聞いたことがあります。よってキリストの受難のシンボルでもあるそうですね。
Thanks For Share St. Luke’s International Hospital Information
LEAVE A COMMENT
TOP