エリザベス・ロイト

 ウィル・アレンは材木の切りくずやビールの醸造かすの山に登り、強いにおいがする塊に農業用フォークをそっと突き刺す。そしてフォークの歯に一塊になってぶら下がっているミミズを満足そうに眺め、「これを見てくれ」と言う。それから別の場所を指で引っかいて掘り起こし、さらに数匹の美しいミミズを手のひらに取り、「一番楽しいのは廃棄物から耕作に使う土壌を作ることだ。食べ物を育てることは誰でもできる」と言う。

ミルウォーキーで農園を経営する都市農民、ウィル・アレン(AP Photo/Carrie Antlfinger)

ミルウォーキーで農園を経営する都市農民、ウィル・アレン (AP Photo/Carrie Antlfinger)

アレン(61歳)はいわゆる「グッドフード(良い食べ物)」運動の賛同者と同様、現代の工業化された食料供給システムは土壌を枯渇させ、水を汚染し、石油燃料を大量に消費して粗悪な食べ物で私たちを満腹にさせていると言う。彼が推奨するのは地産地消だ。だがアレンが言う「地元」とは田舎の畑でも郊外の庭でもなく、ミルウォーキーの北西部の労働者が多く住む地区にある2エーカー(0.8ヘクタール)の土地にひしめきあう14の温室のことだ。この温室は同市最大の公営住宅に近い場所にある。

アレンがこれほどミミズを愛する理由はそこにある。狭い土地で25万ドルにも相当する食物を生産するうえで鍵となるのは、土壌の生産力だ。微生物や栄養分が豊富なミミズのふんがなければ、アレンが設立した非営利組織(NPO)、グローイング・パワーの農場は、農場の直営店を通じて、あるいは学校、レストラン、産直マーケットで、1万人の都市住民に健康的な食べ物を提供できない。また狭い土地でさまざまな作物を栽培する「集約的混合栽培」について農民を教育したり、大量の食物廃棄物を「黒い金」すなわち石油に匹敵する価値あるものに転換できない。

種を4倍の密度でまき、土地を隅から隅まで最大限に利用して格別に多くの作物を実らせているグローイング・パワー農場は、上に向かって力強く伸びている巻きひげと、ダクトテープで補修されたインフラからなる農業のスーパーシティーである。この農場では5段に吊り下げられた2万5000個の鉢で葉野菜が芽吹き、毎週1000パックのモヤシが生産されている。裏手ではニワトリ、アヒル、七面鳥、ヤギが歩き回っている。温室の土中には多数のテラピアやスズキでひしめきあう水槽が埋め込まれている。魚の水槽からポンプで吸い上げられた汚水がクレソンの苗床に送られると、苗床が水中の汚染物質をろ過して、きれいになった水が魚の水槽へ滴り落ちる。「アクアポニックス」(魚の養殖と野菜の水耕栽培を一体化させたシステム)と呼ばれる共生システムだ。

グローイング・パワーがエデンの園なら、周辺の近隣地域は食の砂漠だ。「公営住宅からスーパーまでは5キロ以上の道のりだ」とアレンは言う。「車がなかったり、買ったものを運べない場合には、食料を買いに行くには遠い距離だ」。その一方で、加工度が高い高カロリー食品を売るファーストフード・チェーンや酒類販売店、コンビニはたくさんある。アレンは「だれもが体によい食べ物を安全に公平に手に入れられるよう制度を変えなければならない」と言う。

糖尿病、心臓疾患、肥満の驚くべき発症率に加え、食の安全に対する不安と工業化された農業の環境フットプリントに対する意識の高まりが、うまい具合にグッドフード運動の追い風になっている。米国中で裏庭や屋根の上に農場が作られるようになってきており、地域の菜園の空きを待つリストに人々が名前を連ねている。また種苗業者や保存用のビンを扱う業者は生産に追われている。

アレンの活動も勢いに乗っており、称賛を受け、さまざまな賞を受賞し、複数の基金から多額の助成金を支給されている。アレンは今や頼りになる都市農業の専門家として、ミミズの堆肥化、アクアポニックス建設などの農業技術を教える2日間のワークショップを定期的に開催している。アレンは「ポーチや鉢や側庭で食物を栽培する人々を5000万人増やす必要がある」と受講生に説く。その理由は簡単だ。石油価格が上がると食料輸送費や石油を原料とする肥料の値段が高くなる。都市が拡大し、住宅開発が進んで農地に取って代われば、人口が集中する地域の近くで、省スペースでより多くの食物を栽培する能力がかつてないほど重要になる。

アレンと5人の兄弟姉妹はメリーランド州ベセスダ郊外で育った。「父はサウスカロライナで小作人をしていた」。グローイング・パワーが30エーカー(12.14ヘクタール)の土地を借りている郊外へ車を走らせている時、彼はこう話してくれた。「父を頭に13人も子どもがいて、父は一度も文字を習わなかった」。1930年代に北部へ引越した後は「母は家政婦、父は建築作業員として働いていたが、小さい農地を借りていた」のだそうだ。

アレンはスポーツマンとして才能に恵まれていたが、農作業の手伝いが終わるまでは練習をさせてもらえなかった。「もっといいことがあるはずだと思っていたよ」。一時期、確かにいいことがあった。マイアミ大学からバスケットボールの奨学金を受け、卒業後はプロとしてアメリカン・バスケットボール・アソシエーションのフロリダのチームで短期間プレーし、その後数シーズンはベルギーでもプレーした。時間がある時にベルギーの田舎を車で走ると、堆肥の山が目に付いた。

「ベルギーの農家の人たちと付き合うようになっていった」とアレンは言う。やがて庭付きの家に引っ越し、すぐにニワトリを25羽飼うようになり、小さい頃からなじんできたエンドウマメなどの豆類、ピーナツなどの作物を育てることになった。アレンは「そうしないではいられなかった。土を触ると幸せを感じた」と言う。休日にチームメートのためにごちそうを作ったり、たくさんの卵を配った。

1977年にバスケットボールから引退すると妻のシンディ・バスラーと3人の子どもたちと共にウィスコンシン州ミルウォーキーの南のオーククリークに落ち着いた。そこにはシンディの実家が所有する農場があった。最初のうちアレンは家族で食べるために野菜を栽培し、余りをミルウォーキーの産直マーケットや商店で売った。その一方でケンタッキー・フライドチキンの地区マネージャーとして働き、優秀な販売実績を上げて賞を受賞した。「仕事だからね」と彼は言う。「それほどおいしい食べ物でないことは分かっていたけど、レストランの選択肢があまりないことも知っていたからね。町のその辺りには着席できるレストランがなかったんだ」

1987年、アレンはプロクター・アンド・ギャンブル社に就職し、スーパーへの紙製品の販売でマーケティング賞を受賞した。彼いわく「仕事はすごく楽だったから半日で片付けられた」。そのため野菜の栽培により多くの時間を割けた。アレンは当時すでに、地元の貧しい人たちのための食料配給所に食べ物を寄付していた。「人々が塩分の高い缶詰食品ばかり食べていることに抵抗があった」。自分が育てた野菜を食料配給所に持っていくと「私の野菜が一番人気があった」とアレンは言った。

優秀な販売実績をたたえる賞をわずか1年間でその他に6回受賞した、とアレンが控えめなほほ笑みを浮かべながら言うのを聞いているうちに、私は突然悟った。この土を愛する農場経営者は売り込みの天才なのだと。それがフライドチキンだろうと、使い捨てオムツであろうと、ルッコラであろうと、アカミミズであろうと関係ない。自分が育てた葉野菜を社員食堂に売り込むことも、知事を説得して嫌気性消化処理装置の設置の資金を出してもらうことも、都会の土地所有者にうまく言って新しい堆肥用地を提供してもらうことも、ミルウォーキー教育委員会を説得して公立学校用に作物を買ってもらうことも、視覚障害者を説得してモヤシを栽培してもらうことも、彼にできないことではない。(アレンいわく「ある夜、暗闇の中でモヤシを収穫していて、この仕事に視力が必要ないことがわかった」)

農作業はきつく、自然は時に過酷で、報酬が少ないために、多くの小規模農家は家計のやりくりのために農業以外の仕事もしている。アレンが自分の声を届けたいと最も切実に願う層である低所得の都市生活者には、このような労働の魅力は直ちに実感できない。しかもアパートの住人や、屋上でのガーデニングを禁じられている人に食物を育てるように熱心に説いて回るのは、どこか非現実的でさえある。

「だれもが食物を育てられるわけではない」とアレンも認めている。だから人々が土に触れられる別の方法を提案している。例えばコミュニティーガーデン活動への参加だ。それがミルウォーキーの地元の人々にとって大して魅力がない場合には、マーケット・バスケット(野菜や果物などの定期的な配達)を注文したり、ポークスキンのフライやコラードが買えるアレンの店を利用できる。「こうした食べ物は(この地方の)文化にふさわしい」とアレンは言う。

この柔軟な手法はアレンの最も魅力的な資質のひとつかもしれない。人はできる範囲で最善を尽くしている、というのが彼の本質的な見解である。高脂肪のファストフードしか選択肢がないなら、それを変える努力をしよう。オクラの食べ方を知らないなら、グローイング・パワーがいつでもアドバイスする用意がある。曽祖父母が小作人だったために農業に対して良くない感情を持っている人がいる場合にも、アレンには考えがある。彼の個人的な例やワークショップは、その多くが嫌な経験を持っているマイノリティーに自信を持たせるためのものだ。「大勢の有色人種の人たちは私がこの種の運動を率いていることをすごく誇りに思って喜んでくれる。だから私には、そんな嫌な経験はすぐに乗り越えられる」とアレンは言う。

差し押さえにあって放置されたままになっていた育苗場を1993年に購入し、グローイング・パワーの所有地とした時、アレンには(その土地をどうするかについて)マスタープランがなかった。「市には、子どもたちを雇ってフードシステムについて教えるつもりだと言ったんだ」。間もなく地域や学校のグループが、庭造りを始める手伝いをしてほしいと彼に依頼するようになった。そういう依頼を断ることはめったになかった。1995年には持続可能な農業活動をする慈善団体のヘファー・インターナショナルと協力した。「彼らは都市型農業を実践する若者を探していた。私のところに子どもたちがいて、土地もあると知った時、彼らの目はぱっと輝いた」

グローイング・パワーは現在、デトロイト、シカゴ、デンバー、ルイビル(ケンタッキー州)などの都市でも活動している。ミルウォーキーの農場が目指しているのは、農場を垂直に拡大して5層にし、水平に広げて堆肥の山を増やせるようにすることだ。アレンは「The Good Food Revolution」というタイトルの本を執筆中で、地域社会の食料供給システムを強化する大使として世界中を飛び回っている。だが今でも毎日、土に触れることができるよう工夫していると言う。

グローイング・パワーの活動についてはビデオをご覧ください。

エリザベス・ロイトは「Bottlemania: Big Business, Local Springs, and the Battle Over America’s Drinking Water」(2009年)、「Garbage Land: On the Secret Trail of Trash」(2005年、邦題「追跡! 私のごみ――捨てられたモノはどこへ行くのか?」)、「The Tapir’s Morning Bath: Solving the Mysteries of the Tropical Rain Forest」(2002年)の著者。科学や環境に関する彼女の著書は、文芸雑誌「ハーパーズ」、「ナショナル・ジオグラフィック」、アウトドア雑誌の「アウトサイド」などの出版物に掲載されている。