オバマ夫妻と2人の娘たちは、ホワイトハウスの住人となる最初のアフリカ系米国人である。

バラク・オバマ大統領とミシェル夫人は、オバマ大統領選出の歴史的意義と、それが多くの米国人にとって何を意味するかを十分に理解している。ミ シェル夫人は、サウスカロライナの美容院で出会った10歳の少女のことを、選挙運動中のスピーチでよく取り上げた。この少女はミシェル夫人に向かって、も しオバマ候補が大統領に選出されたら、「どんな自分も想像できるようになるわ」と言ったのである。

2008年7月4日、モンタナ州ビュート市で独立記念日のパレードを楽しむオバマ一家。左からミシェル、サーシャ、バラク、マリア (© AP Images)

2008年7月4日、モンタナ州ビュート市で独立記念日のパレードを楽しむオバマ一家。左からミシェル、サーシャ、バラク、マリア (© AP Images)

「私はこの少女に、幼いころの自分を見ました」と、ミシェル夫人はニューズウィーク誌で語った。「なぜなら、私がここにいること、このような立場 になることは、本当ならあり得ないことだったからです。私は、統計的に見て特異な人間です。シカゴのサウスサイドで育った黒人の少女。そんな私がプリンス トン大学へ入学すると誰が期待したでしょうか? (中略)ハーバードの法科大学院は私には手が届かないと言われました。それでも、私はハーバードに入って 立派にやり遂げました。私は、このような立場になるはずではなかったのです」

ミシェル・ロビンソンは、イリノイ州シカゴの労働者階級の家庭に生まれ育った。父親は市の水道局に勤務する傍ら民主党の選挙区幹事を務め、母親は専業主婦としてミシェルと兄のクレイグを育てた。

ミシェルは熱心に学業に励み、プリンストン大学に進学、1985年に同大学を卒業した。アフリカ系米国人学を副専攻として社会学で学士号を取得した後、ハーバード大学の法科大学院に進んだ。

オバマ一家は選挙期間中ほとんど一緒に全米を移動してすごした (© AP Images)

オバマ一家は選挙期間中ほとんど一緒に全米を移動してすごした (© AP Images)

バラク・オバマとミシェル・ロビンソンは1989年、ミシェルがアソシエイト(勤務弁護士)として働いていたイリノイ州シカゴのシドリー&オースティン法律事務所で出会った。ミシェルはそこで、夏季実習生として働くことになったオバマを指導する役割を任された。

未来の大統領は、シカゴで自分が行っていた地域活動の集会に参加してほしいとミシェルに頼み、彼女はその申し出を受けて集会に参加した。ミシェル がニューズウイーク誌に語ったところによると、オバマはこの集会で、「現実の世界とあるべき世界」の差を埋めることについて演説した。

2人はデートを重ね、1992年に結婚した。オバマ夫妻は社会奉仕に対する情熱を共有し、成人後の人生の大半にわたり公共部門で仕事をしてきた。

2人の出会いの場であった企業法務の法律事務所を辞めた後、ミシェル夫人はシカゴ市当局でいくつかの職に携わり、若者が社会奉仕の仕事に就くこと を支援する組織「パブリック・アライズ」シカゴ支部で創設時の事務局長を務めた。最近ではシカゴ大学医療センターの地域・渉外担当副理事長を務めた。

2008年8月25日、民主党全国大会でスピーチするミシェル・オバマ (© AP Images)

2008年8月25日、民主党全国大会でスピーチするミシェル・オバマ (© AP Images)

「ミシェルは確かに、ホワイトハウスが用意する講演の機会をうまく生かすことができる人物のようです」。歴史研究家で、ニュージャージー州のライ ダー大学でコミュニケーション学の教授を務めるマイラ・グーティン博士はこう語る。「ミシェルは聡明で、はっきりと意見を述べることができ、経営の経験も あります」

オバマ夫妻は、社会奉仕に対する2人の情熱、幅広い専門的経験と実績が、前途に待ち構えているさまざまな課題に取り組む助けとなってくれると期待 している。大統領になって世界に好ましい影響を与えたい、とバラク・オバマは望んでいるが、その陰には、2人の幼い娘、1998年生まれのマリアと、 2001年生まれのサーシャ(ナターシャの愛称)の存在がある。マリアとサーシャは、ジミー・カーターが1976年に大統領に選出されたときに9歳だった 娘のエイミー・カーター以来最年少のホワイトハウスの住人である。

「私の人生は2人の娘たちを中心に回っています」と、シカゴの教会で行った父の日の演説で、当時のオバマ上院議員は語った。「私が考えるのは、娘 たちにどんな世界を残してやれるだろうか、ということです。すべての子供たちにより良い世界を残すために、自分に課せられた小さな役割を進んで果たさなけ れば、実りある人生とは言えないことに気付きました。これこそ、父親として、親としての、私たちの究極の責任です」