バラク・オバマは、2008年5月25日、コネティカット州ミドルタウンのウェスリアン大学の卒業式で祝辞を述べた。以下はその抜粋である。この 中で彼は、「自分自身を超えた世界に気付き始めた」時期のこと、そして変革をもたらす者になりたいという自らの思いについて語っている。

コネチカット州のウェスリアン大学の卒業式で祝辞を述べるバラク・オバマ © AP Images

コネチカット州のウェスリアン大学の卒業式で祝辞を述べるバラク・オバマ © AP Images

私は、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)制度に反対する運動に積極的に参加するようになりました。また、貧困や医療に関する米国内で の論争に興味を持つようにもなりました。そして、大学を卒業するころには、変革をもたらすために草の根レベルで活動をするという、常軌を逸した考えに取り つかれていました。

思い付く限りの国内の団体に手紙を書いたところ、ある日、シカゴのサウスサイドにある小規模な教会グループから、製鉄所の閉鎖で荒廃した地域で地 域社会活動家の仕事をしないかという申し出がありました。母と祖父母は私が法科大学院に進学することを望んでいましたし、友人たちはウォール街で就職活動 をしていました。それに対し、この団体が私に提示した条件は、年俸1万2000ドルと、おんぼろの中古車を買うための2000ドルというものでした。それ でも、私はその条件を受け入れたのです。

しかし、私はシカゴに1人の知り合いもなく、地域社会活動家という仕事の内容についてもよく知りませんでした。私はそれまで、公民権運動や JFK(ジョン・F・ケネディ大統領)の国家への奉仕を求める演説に強く心を動かされていましたが、実際にサウスサイドに行ってみると、デモ行進もなく、 気持ちを高揚させる演説もなく、空っぽになった製鉄所の陰で生活に苦しむ大勢の人たちがいるだけでした。そして当初は、私たちの仕事は、あまりうまくいき ませんでした。

今でも覚えている出来事があります。地域のリーダーたちと、ギャングの暴力について話し合う会合を開催し始めて間もなく、いつまでたっても人が集 まらないことがありました。待ちくたびれたころに、老人のグループが会場に入ってきて席についたのです。そして年老いたご婦人の1人が手を挙げて、こう聞 いたのです。「ビンゴゲームの会場はここですか」と。

活動は容易ではありませんでしたが、やがて少しずつ前進していきました。1日ごとに、1ブロックごとに、地域社会を結束させ、新しい有権者を登録 させ、放課後のプログラムをつくり、新たな雇用のために戦い、住民がある程度の尊厳を持って暮らすことができるよう支援しました。

一方で、私がしていることは、人々を助けることだけではないということにも気付き始めていました。奉仕を通じて、私を受け入れてくれる地域社会を 見つけ、市民としての意義ある活動、そして私が探していた方向性を見つけたのです。奉仕を通じて、私は、自分の一風変わった人生の物語が、より大きな米国 の物語にぴったり収まっていることが分かったのです。


米国大統領の就任宣誓の言葉

私はここに米国大統領としての職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を順守し、保護し、守ることを厳粛に宣誓します。 神よ、私に力をお貸しください。