アフリカ系アメリカ人女性として初めて、スピードスケートのオリンピック代表チームに選出されたマーミー・ビニー選手は、12年前、父親と暮らすためガーナからアメリカに移住してきました。

ビニー選手が最初にスピードスケートに出会ったのは、父親がバージニア州レストンのアイスリンクで「スケートを教えます」という看板を見たのがきっかけです。元気あふれる6歳になる娘が、その有り余るエネルギーをスケートに傾けるのではないか、と考えたのです。

実際そのとおりになり、その過程で彼女には生まれつき才能があることが明らかになりました。氷の上に立つやいなや、まるで何カ月もスケートをやっている子のようでした、と父親は振り返ります。

ビニー選手は最初フィギュアスケートに挑戦しましたが、コーチは彼女のスピードに着目し、スピードスケートを勧めました。最初は地方の大会に参加し、やがて全米ジュニア選手権まで勝ち上がり、銅メダルを獲得しました。

スタートダッシュと力強いストライドで知られるビニー選手は、今やアメリカのショートトラック・スピードスケートのトップ選手の1人に数えられています。昨年12月には、女子500メートルで優勝し、平昌オリンピックに出場する米国チームの一員に選ばれました。

オーストリアのインスブルックで開催されたスピードスケート競技会で、休憩中に満面の笑みを見せるビニー選手 (© Christof Koepsel/ISU/Getty Images)

ビニー選手は、スピードスケートでアメリカを代表する初のアフリカ系アメリカ人女性であるばかりではありません。17歳の彼女はチームU.S.A.で最年少のスピードスケート選手です。にもかかわらず、将来化学エンジニアになりたいと考えている、この才能ある高校生は事態をあまり深刻に受け止めていません。「スピードスケートの速さや素晴らしさを見て、このスポーツがどれほど楽しいかを皆さんに感じてもらえればと思います」。ビニー選手はこのように語っています。「私が特に優れているとかそういうことではなく、自分に自信を持つというか、そう、自分に誇りを持てるということなのです」

ユタ州カーンズで開催されたスピードスケート・ショートトラックのオリンピック選考会、女子500メートル決勝で勝利し喜ぶビニー選手 (© AP Images)

ビニー選手は、自分の姿に感化された少女たちが、各々の夢を追いかけてくれればと願っています。ビニー選手には、スケートが決して盛んとは言えない西アフリカを含め、世界中に多くのファンがいます。彼女はこう言います。「アフリカではスピードスケートなどの氷上スポーツは現実的な選択肢ではないので、子どもたちには何か自分が好きなことを見つけて楽しんでもらいたいと思います。何をするにしても楽しまなくてはね」

2月の平昌オリンピックに向けての彼女の戦略はシンプルだそうです。「速く滑って、転倒しないこと」。彼女が出場する500メートルはスピードスケート競技の中で最も距離が短いため、ずば抜けたスプリント力が求められます。

オリンピック選手は大きなプレッシャーの下で競わなければなりませんが、ビニーさんの父親クエクさんはその瞬間に浸り、その経験を楽しんでもらいたいと思っています。「集中すれば、すべてうまく収まるでしょう」と彼は言います。「娘は何も恐れる必要はありません。何かを恐れているとは思いませんが」

オリンピック選考会女子500メートルで優勝し、表彰台に上がるビニー選手 (中央) (© AP Images)

クエクさんは父親として、オリンピックの開会式で、娘がチームUSAの一員として行進するのを見るだけで全てが報われると言います。それ以上のことはボーナスのようなもの、だそうです。