ウィリアム・ハガティ駐日米国大使は2017年8月、日本に着任しました。以来、数カ月間で、大阪、京都、名古屋、那覇、福岡、仙台など、日本各地の主要都市を訪れています。またトランプ大統領、ティラーソン国務長官をはじめ、トランプ政権の多くの閣僚が訪日した際にはホスト役を務めました。おそらく多くの日本の皆さんも、テレビでハガティ大使を目にしたことがあり、名前を覚えていただけたと思います。けれども、大使と日本との強い絆、そして駐日米国大使に就任するきっかけとなったこれまでの経歴についてはご存知ないかもしれません。今回アメリカン・ビューは、ハガティ大使の人となりを読者に知ってもらうため、大使公邸で大使にインタビューし、さまざまな事柄について話を聞きました。

「トランプ大統領から駐日米国大使になってほしいと要請されたとき、私は喜んでこれを受けました。というのも、この申し出が、職業人としての立場から、祖国アメリカと、私が愛する国、日本のために力を尽くす素晴らしいチャンスであるばかりでなく、私の子どもたちや家族と共に、新しい文化やユニークな経験を共有できる良い機会と考えたからです」

1980年代の終わりから90年代初めにかけ、3年間日本で働いた経験があるハガティ大使にとって、日本はなじみのある場所です。「ここ東京で素晴らしい文化に触れ、アウトドアライフと自然を満喫し、最先端のイノベーションが生まれる刺激的で活力ある経済を経験しました」。当時を振り返り、大使はこのように語りました。「日本で何が起きているのか自分の目で見て理解しようと、世界中から多くの人がやってきていました。日本で起きていること―それはテクノロジーの革命でした」

東京の大使公邸で妻のクリシー、子どものウィリアム、スティーブン、タラ、クリスティンと一緒に

日本での生活は大使に大きな影響を及ぼし、それはその後、権威あるホワイトハウス・フェロー・プログラムに参加するため大使が帰国してからも、変わることはありませんでした。日本を離れる直前、ハガティ大使は当時のマイケル・アマコスト駐日米国大使と面会する機会を得ました。アマコスト大使も、何年も前にホワイトハウス・フェロー・プログラムに参加していたのです。「私が現在使っている部屋で、アマコスト大使とお会いしたのを覚えています。フェロー・プログラムがどのようなものかを話してくださいました。そのときは、自分が日本に戻り、その同じデスクに座ることになるとは夢にも思いませんでした」

ホワイトハウスで勤務していたときも、ハガティ大使は日本とのつながりを持ち続け、民間部門に戻ってからも、国際的な知識とそれまでに築いた関係を引き続き活用しました。その後、テネシー州知事諮問委員会のメンバーを4年間務め、日本企業との関係を深めました。大使は次のように語ります。「今では180社を超える日本企業がテネシー州に進出し、4万人以上のテネシー州民を雇用しています。このような関係構築にささやかながら貢献できたことを、とても誇りに思います。駐日米国大使として日本に来る機会を持つことができたのも、このような過去25年以上にわたる努力が結実したのだと思います。面白い経歴だと思いますが、現在の日米関係を考えると、まさにうってつけだと思います」

今年8月に大使として再来日を果したとき、ハガティ大使は、日本の美しさが20年以上前に住んだときと少しも変わっていないことに気付きました。妻のクリシーや4人の子どもたちと共有できたことで、この経験はさらに特別なものになっています。「家族を東京に連れて来ることができたことは、これまでの人生で最良の出来事の1つです。妻も私も海外での生活から得たものが大きいので、子どもたちにも同じ経験をさせることができればどんなに素晴らしいだろうと、よく話していたのです。子どもたちは、とても積極的に日本を楽しんでいます」

鎌倉の高徳院を訪れたハガティ大使とその家族

家族と一緒に日本に到着してすぐ、ツイッターを通じて、日本で訪れるべき場所について日本の人々にアドバイスを求めたことを大使は明かしてくれました。「沖縄、広島、京都など、とても貴重なアドバイスをもらいました。勧めていただいた場所のうち、何カ所かはすでに訪れました。最初に出かけたのは鎌倉で、素晴らしい訪問となりました。また最近では京都を訪ねました。木々の葉がオレンジ、赤、茶、緑に色づき、それは華々しい景観でした。世界中で、京都の秋ほど美しい場所はないと思います」

息をのむほどの景色に加え、ハガティ大使と家族は、日本ならではのたくさんのおいしい料理も楽しんできました。2人の娘のうち1人はしゃぶしゃぶが大好きで、もう1人は和牛が好きです。2人の息子は、すし、ラーメン、うどんに目がありません。また大使夫人は日本食なら何でも好んで食べるそうです。でも驚くことに、大使の好物は日本式のカレーライスです。「心温まる料理です。食べ応えもあるし、大好きです」と大使は説明してくれました。

鎌倉で日本食を楽しむハガティ大使と娘たち

駐日米国大使としてハガティ大使が優先的に取り組んでいるのが、人と人の絆、特に若者同士の絆を深めることです。アメリカ音楽の中心であるテネシー州ナッシュビル出身という自身のルーツを生かし、音楽の伝統を共有することで日米両国民の関係を築きたいそうです。「音楽は人々をつなぐ大きな共通の絆です。アメリカ音楽と日本の音楽への興味が深まるような活動を増やし、こうした文化的結びつきを共有したいと思います」

大使は、できるだけ多くの日本の若者と交流したいと希望しており、すでに何校か、日本の高校や大学を訪問しています。学生たちと話すとき、大使はアメリカに留学することを考えてみてほしいと勧めています。「外国での生活は視野を広げてくれます。留学すると、将来就職するときにより有用な人材になるための経験を積むことができます。外国語の勉強は脳を鍛え、学生の能力を高めるだけでなく、彼らの市場価値を高めます。ですから私は、より広い世界で起きていることに関心と好奇心を持つ全ての日本の学生に、海外留学を奨励しています。そして、彼らにはぜひともアメリカ留学を検討してもらいたいと思います」

都内で開催された「アメリカ留学EXPO2017」を訪れたハガティ大使と2人の息子

自らの経歴を振り返りながら、ハガティ大使はテネシー州での幼少期に触れました。「アメリカ南東部の小さな町で育った私は、とても幸運でした。町の人たちは根っから親切で、愛情深いと思います。そこで育った経験が、何年も後のボストン・コンサルティング・グループ勤務時代に日本に駐在したとき、日本文化に溶け込むのに役立ちました。1人の若者が派遣される場所としては、日本はとても素晴らしいところでした」と大使は述べました。

沖縄開邦高校の生徒たちと話すハガティ大使

これから就職する若者に何かアドバイスはないかと尋ねると、ハガティ大使は一企業の最高経営責任者(CEO)として「エネルギー、適応力、そしてクリエーティブな精神」のある人たちを求めると答えてくれました。さらに続けて「人と共感する必要があります。他人の考え方を理解することが必要です。特に何かを変えようとするときに必要になります」とアドバイスしてくれました。大使は自分の子どもたちに「その場に行って、自ら進んで活動し、人と交流するように」とよく言うそうです。リーダーシップに関しては、明確なビジョンを持つことが大事だと大使は感じています。そして「そのビジョンを、勇気、すなわち必要な場合には壁を突破する意志と結びつけなければなりません。多くの人たちを、そのような考え方と共通の目的の下にまとめることができれば、何でも成し遂げることができます」と付け加えました。