マット・スミス、スーザン・スミス

私たちは1997年の夏、3歳の息子と1歳の娘を連れて初めて秋田県角館町に着きました。国際経験はゼロ、しかも日本語は全く話せません。夫のマットは地元の高校で英語を教えることになっていました。これが私たち家族とこの小さな町との絆の始まりです。それが今まで以上に強くなり、20年を過ぎても続いていたとは、夢にも思いませんでした。

JETプログラムという「語学指導等を行う外国青年招致事業」で英語を教える教師のほとんどは独身です。夫婦での赴任は異例であり、ましてや子供連れとなるとなおさらです。そのため町では非常に目立つ存在となりましたが、新天地の人たちは私たちを温かく迎え入れてくれました。着任して間もなくのことです。裏口から入ってきた隣家の人たちが、子供たちを抱き上げて連れ出したのです。慌てて後を追いかけましたが、一見誘拐とも思えたこの行動は、実はお隣のお盆への招待だったのです。買い物先、電車の中、そして街を歩いているときでも、地元の人たちはいつも近づいてきて、私たちの子供に食べ物やお小遣いをくれました。ペット用の小さなカメをもらったことすらありました。

角館に来て1カ月が過ぎ、私たちは町で350年も続く祭り「やまぶつけ」に参加しました。祭りばやしで群衆が歓喜する中、7トンもある「みこし」が狭い通りでぶつかり合う3日間の豪華絢爛な祭りです。

祭りが終わると秋がやってきて、色鮮やかな紅葉が武家屋敷通りを美しく彩ります。400年前に佐竹氏一族が城下町を築いたときの武家町が、そのままの形で残されているのです。古い屋敷や庭の間を歩いていると、江戸時代を舞台とした映画でエキストラを演じているような気になります。

角館市の武家屋敷通り

角館市の武家屋敷通り

秋が終わると、一面銀世界の冬に変わります。メートル単位で雪が降り、私たちは子供たちをプラスチックの「そり」に乗せて街中を歩き回ります。2月には角館の有名な冬祭り「火振りかまくら」が行われます。川堤近くに「かまくら」がつくられ、長い縄に結んだ炭俵に火が付けられます。参加者はそれを自分の体の周りで振り回し、清めの輪を作るのです。火の輪が美しく幻想的な光景を生み出します。

冬が終わって春が訪れると、桜の季節がやって来ます。桧木内川沿いの桜のトンネルは、現上皇陛下のご生誕を記念して1934年に植えられたものです。長く厳しい冬が終わると地元の人たちは、この桜の下でバーベキューを楽しみ、隣人と親交を深めます。

私たちがこの場所や美しい季節より大切に思うのは、地元の人たちの温かさです。例えば、あるバレーボールのコーチは人探しを手伝ってくれました。マットの父は1950年代後半に能代市で英語を教えていたのですが、当時同僚だった教師を探す手助けをしてくれました。また、この古都角館の文化的中心である角館總鎭守神明社を営んでいるのは、私たちの親しい友人一家でした。この友人は息子が幼稚園に入ってから数週間、彼が大丈夫かどうか毎日幼稚園を訪ねて確認してくれました。私たちの息子は、幼稚園始まって以来の外国人だったのです。また、近所の人たちからきつく叱られたこともあります。私たちのために晩御飯を作ってテーブルに置いていこうとしたのに、鍵がかかっていて家に入れなかったからです。その一件以来、家の鍵をかけたことはありません。

マットが国務省に入省することになり、角館での2年間の生活は終わりを告げました。その20年後にアメリカ大使館管理担当公使参事官として日本に行けるとは! それを知ったときはなんとうれしかったことでしょうか。東京での慌ただしい生活に慣れていく中で、早いうちに再び角館を訪れなければとの思いが募っていきました。それは2人の結婚30周年を祝う絶好の機会に思えました。

1998年、角館總鎭守神明社での七五三のお参り

1998年、角館總鎭守神明社での七五三のお参り

私たちはまず札幌総領事館と協力し、秋田県立角館高校での講演会の準備を進めました。アメリカ大使館が2020年東京オリンピックに向け実施している「Go for Gold」キャンペーンの一環として、生徒たちと交流するのです。この企画を進めるにあたり、1990年代に私たちが知り合った教師の1人が協力してくれることになったのです。思いもよらないことでした。そして何より感激したのは、マットの当時の教え子たちが、今回は職員として私たちを迎えてくれたことです。角館高校の校舎は古く中は寒かったのですが、活気ある職員や先生方、そして驚くほど元気な生徒たちであふれていました。私たちが赴任した国々での体験を話し、写真を紹介し、外交官の仕事について語りました。「Go for Gold」グッズをたくさん手渡し、数多くの写真も撮りました。私たちが日本での生活を楽しめたように日本の生徒たちも海外で同様の経験をしてほしい、そんな思いでアメリカ留学を強く勧めました。

角館高校で講演を行うマット・スミス

角館高校で講演を行うマット・スミス

講演の後で、親しい友人が営む神社に足を運びました。何年も前に私たちの子供が遊んだ部屋で、さまざまなことを語り合い、笑い転げ、一緒にお菓子を食べました。友人がぼろぼろになった1枚の紙を取り出しました。1998年にスーザンが書き残したバナナブレッドのレシピでした。友人は4人の子供たちの毎年の誕生日を、そのレシピを使った「バナナケーキ」で祝っていたのです。そして彼女は、私たちの特別な30周年を祝うバナナケーキをプレゼントしてくれました。さらに深く心を動かされたのは、友人の家族が「いい夫婦の日――11月22日」を記念する神社のお守りをくれたことです。1988年のその日、私たちは11月22日が「グッドカップル」、つまり「いい(11)夫婦(22)」を意味する縁起の良い日とは知らずに結婚したのです。両家族の長年のさまざまな苦労と喜びが重なり合い、過ぎ去った時は消えうせ、ただ涙が流れました。

「いい夫婦の日」を記念する神社のお守り

「いい夫婦の日」を記念する神社のお守り

翌日の私たちは、まるで観光客のようでした。古い武家屋敷を訪ね、たくさん写真を撮り、何度も行ったお気に入りの場所の1つ「100円ショップ」に寄りました。その晩、私たちの歓迎パーティが開かれました。そこではっきりと、そしておそらく初めて気が付いたのは、私たちが世界中を駆け回っている間に、この古都がいかに衰退してしまったかということです。町は少子高齢化の影響で縮小し、成人した若者は町を離れていきます。住んでいる人たちは今後の生活に不安を抱いています。地元の祭りと武家屋敷は、活気ある人口増加があってこそ続いていくのです。

歓迎会も終わりに近づき、ふと感じました。これは私たちが想像したより、もっと多くの意味があったのではないかと。私たちの友人は、町が栄えていた楽しい時代の記憶を、私たちを通して見ていたのではないか。そして、おそらく友人たちは、この町に対する私たちの愛着と敬意の中に、いちるの望みを抱いているのかもしれない。それはおそらく、あの神秘的な祭ばやしを耳にする最後の日が、そう遠くないと感じているからではないか、と。

出発の朝、歓迎会を主催してくれた友人もまた、スーザンが彼女に残したバナナブレッドのレシピを見せてくれました。地元の2つの大家族が、スーザンのレシピで作った「バナナケーキ」で誕生日を祝っていたのです。私たちはなんとも風変わりで――アメリカではバナナケーキで誕生日を祝うことはありません――素晴らしい遺産を角館に残していたのです。駅に向かう前に私たちは、角館で有名な樺細工(山桜の樹皮を使った木工工芸品)と白岩焼を探しに出かけました。そして、もう1人の友人を訪ねました。当時私たちに日本語を教えてくれた先生です。先生は現在、角館に住む外国人に日本語を教えています。中国人、韓国人、フィリピン人、ベトナム人、カンボジア人が生徒です。

大好きな祭りばやしの音が秋田新幹線「こまち」の到着を告げました。列車が角館駅ホームに入ってきます。友人たちがホームで手を振る中、列車が動き出します。手にはたくさんのお土産、胸には新しい思い出、そして「ふるさとに帰る」ということの本当の意味を深くかみ締めながら。