ジュディス・ヒューマン国際障害者の権利に関する特別顧問

ジュディス・ヒューマンは30年以上にわたり、障害者の権利のために闘ってきた (D.A. Peterson/State Dept.)

ジュディス・ヒューマンは30年以上にわたり、障害者の権利のために闘ってきた (D.A. Peterson/State Dept.)

私はニューヨーク市ブルックリンで育ったが、歩行困難で車椅子に乗っているという理由で小学校4年生まで学校に通うことを許されなかった。

しかし、両親は私が結婚しなくても自活できるよう、私が兄弟と同等の教育を受けるべきだと断固として主張した(一般的に当時は女性が一家の稼ぎ手になることはなかった)。地元の中学校に障害を持つ生徒を入学させるため、私の両親は他の親たちと協力した。

その後、私は苦労の末、ニューヨーク初の車椅子の教師となり3年間教えた。

教育は平等への素晴らしい架け橋である。教育は女の子にも男の子にも、恵まれない人や特に私のように障害を持つ人にも機会を与えるのだ。

ハムザ・ジャカとアンバー・バックレー・シャクリーは障害を持っていたが、米国国務省で学生インターンとして働いた。彼らの話から、開かれた教育が実現に向けて前進していることが分かる。

私が学生のころはそのような法律はなかったが、現在は法律で平等に生徒を受け入れる学校の設置が義務付けられており、ハムザとアンバーはずっとこうした学校に通った。ハムザは2014年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業したが、障害をカバーするための便宜が図られたこと(スペリングのテストのためのコンピューターなど)が不公平だと考えた他の学生は、これを不快に思った。アンバーはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の大学院生だが、近くの学校に通う友人は車椅子を持ってこなければ学校に来てもいいと言われたという。

障害のある生徒とその親たちは自分たちにどんな権利があるのかを知る必要がある。アメリカには彼らを支援するペアレント・インフォメーションセンターがある。また、何年にもわたる法律の執行により、障害を持った学生たちが中等学校を卒業し、就職または高等教育への進学をするケースが増えている。

1949年に私がポリオを発症してから我々は大きな進歩を遂げてきた。しかしまだまだ道のりは長い。我々の法律は常にあるべき姿で執行されているわけではない。私は平等と人権の向上に取り組む者として、次の教訓を伝えたい。障害を持った人々はすべての人と同じ権利と機会を持つべきである。この考えを受け入れれば、我々の社会を、国を、世界をよりよいものにすることができ、また必ずよりよくなるはずなのだ。

*本稿は、国務省の国際情報プログラム課により運営されているウェブサイト「シェアアメリカ(ShareAmerica)」のためにヒューマン特別顧問が書いた記事を翻訳したものです。オリジナルの英文はこちら:https://share.america.gov/who-deserves-education-everyone/