第2次世界大戦中、太平洋戦域で連合軍が作戦保護のために使っていた暗号を日本軍が解読すると、アメリカ海兵隊はナバホ族の保留地「ナバホ・ネイション」を頼りました。

海兵隊は、複雑で文字を持たないナバホ語に基づいた暗号の作成にとりかかり、29人のナバホ族の成人男性を採用しました。1942年、海兵隊は15人の「ナバホ・コードトーカー」と呼ばれる暗号通信兵と共にガダルカナル島の海岸に上陸しました。

1943年7月7日。野戦用無線機で命令を伝えるプレストン・トレドといとこのフランク・トレド。共に海兵隊に所属するナバホ族のコードトーカー (© PhotoQuest/Getty Images)

1943年7月7日。野戦用無線機で命令を伝えるプレストン・トレドといとこのフランク・トレド。共に海兵隊に所属するナバホ族のコードトーカー (© PhotoQuest/Getty Images)

2017年、ホワイトハウスで開催されたナバホ・コードトーカーの功績をたたえる会で、元コードトーカーのピーター・マクドナルド氏はこう述べています。「(ガダルカナル島の戦いは)ナバホ語の暗号を実際に使った最初の戦いで、自分たちが覚えた暗号が敵の猛攻撃の中どこまで通用するかを測る場となった。上陸から3週間後、第1海兵師団の指揮官、ヴァンデグリフト大将が本土に『ナバホの暗号は素晴らしい。敵は全く解読できずにいる。自分たちも理解できないが、作戦はうまくいっている。ナバホの通信兵をもっと送ってくれ』というメッセージを送った」

コードトーカーたちは、電話や無線機でナバホ語の情報を送りました。ナバホ語にない軍事用語はナバホ語に置き換えました。例えば、「爆弾」は「ジャガイモ」と置き換え、戦闘機の種類は異なる鳥の名前で表しました。また、アルファベット文字用に代替用語を使い、暗号にない言葉をつづるのに使っていました。

国家情報長官室によると、従来の暗号機は3行の英文の暗号化に30分かかっていましたが、コードトーカーが要する時間はわずか20秒でした。また、暗号機はセキュリティーを万全にしなければならなかった一方で、コードトーカーは無線機があればどこにでも移動できました。

ナショナル・パブリック・ラジオの報道によると、コードトーカーは太平洋戦域の海兵隊のあらゆる作戦に参加し、戦いを通じて海兵隊に有利な状況をつくりだしていました。1カ月近く続いた硫黄島の戦いでは、6人のコードトーカーが800件以上の情報を伝達しました。

日本軍は暗号を解読することができませんでした。ナバホ族のコードトーカーたちは、近代の軍事史で破ることができなかった唯一の暗号を作り出したと賞賛されています。彼らは、アメリカが日本に勝利し第2次世界大戦が終結する1945年8月15日まで従軍しました。

ホワイトハウスの式典でトランプ大統領は、「あなた方は特別で、驚くべき功績を残した人たち。心からあなた方の功績、勇気、愛国心をたたえる」と元ナバホ族のコードトーカーに賞賛の言葉を送りました。

ホワイトハウスでナバホ族のコードトーカー、ピーター・マクドナルド(中央)とトーマス・ビーゲイと会うトランプ大統領 (© Susan Walsh/AP Images)

ホワイトハウスでナバホ族のコードトーカー、ピーター・マクドナルド(中央)とトーマス・ビーゲイと会うトランプ大統領 (© Susan Walsh/AP Images)

終戦までおよそ400人のナバホ族がコードトーカーとして軍に仕え、うち13人が戦死しました。1968年に軍による機密解除が行われるまで、コードトーカーたちは自分たちの任務を人にもらすことはありませんでした。

11月11日の退役軍人の日、国立アメリカ・インディアン博物館は、ワシントンDCにコードトーカーを含む先住民兵士たちをたたえる記念碑を設置しました。

2001年、ブッシュ大統領は(当時)は、暗号を作成した最初のナバホ族コードトーカー29人に議会名誉黄金勲章を、従軍したその他のナバホ族コードトーカーたちに議会名誉銀勲章を贈りました。

ブッシュ大統領は授与式で次のように述べています。

「全てのアメリカ人がたたえ、忘れてはならない話を思い出そう。それは、現代の戦争に駆り出された先住民の話であり、第2次世界大戦中に決して解読されることがなかった口述暗号の話。はるか昔コロラドの草原で聞こえていたナバホの言葉が、硫黄島の戦場を無線通信で駆け巡り情報を伝えた。自国に名誉と勝利をもたらしたナバホ族の若者の話だ」

バナーイメージ:2009年11月11日。ニューヨーク市で開かれた退役軍人パレードで敬礼するナバホ族の元コードトーカー (© Mario Tama/Getty Images)