2015年10月24 日、キャロライン・ケネディ駐日米国大使は広島県竹原市を訪問し、米国のケネディ政権時に日本の首相を務めた池田勇人氏の没後50周年を記念する式典に参加した。式典の後、大使は近隣の東広島市西条町にある小さな教会と併設する幼稚園に立ち寄った。園児たちに会い、大使の父であるケネディ大統領が教会に寄贈した鐘を見るのが目的だった。

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広島県の小さな教会が、なぜ米国の大統領から鐘を贈られることになったのか、そのいきさつを説明しよう。

話は1960年にさかのぼる。リッキー・ランディンという14歳の少年が、ロードアイランド州の福音ルーテル教会の日曜学校に参加していたときのこと。この教会のカール・ブルームクイスト牧師が、神学校の同級生ジョージ・オルセン牧師の話をした。当時オルセン牧師は宣教師として日本で布教活動をしていたが、彼が勤める広島県の教会に鐘がなくて非常に困っていた。オルセン牧師から相談を受けたブルームクイスト牧師は、自分の日曜学校の生徒たちに、どこかで不要となった鐘が広島の教会のために見つかるよう祈ってほしいと語った。

おそらくブルームクイスト牧師の頭にあったのは、どこかの教会が使わなくなった鐘を寄付してくれるかもしれない、あるいは生徒たちが鐘を買うために募金活動を始めるのではないか、というようなことだったに違いない。だがリッキーは別の考えを思いついた。船と海軍に強い関心があった彼は、第2次世界大戦で使われた艦船の多くが、このころ退役の時期を迎えていることを知っていた。そしてこう考えた。全ての船に鐘が装備されているはずだから、解体される前に1つくらい回収できないだろうか? 14歳の少年にありがちな向こう見ずさも手伝い、リッキーは就任間もないケネディ大統領に手紙を書いてお願いすることにした。

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1961年にロードアイランド州の高校生、リッキー・ランディンがケネディ大統領に送った、鐘を探してほしいと依頼する手紙 (John F. Kennedy Presidential Library and Museum)

 

驚いたことに、ケネディ大統領の特別補佐官を務めていたラルフ・ダンガンが、リッキーからの手紙について大統領に報告した。すると大統領は、しかるべき担当者と協力してリッキーのために鐘を見つけるようダンガン補佐官に指示した。

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ダンガン大統領特別補佐官からリッキーへの返信 (John F. Kennedy Presidential Library and Museum)

 

最終的に、米海軍省の海軍史担当部門の専門職員が、退役したばかりの駆逐艦ジラ・リバーの鐘を探し当てた。海からの上陸作戦を支援する小型の艦船だったこの船は、第2次世界大戦の終わりごろに建造され、終戦まで戦闘に加わることはなかった。

Photo of USS Gila River

教会に寄贈された鐘が搭載されていた駆逐艦ジラ・リバー

鐘の重さは45キロ近くもあったが、海軍がロードアイランドの教会まで運送すると申し出た。ただし日本までの送料は教会が負担しなければならなかった。

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そこでブルームクイスト牧師が日本航空に連絡したところ、日本まで無料で鐘を運送すると応じてくれた。太平洋を越え長旅を終えた鐘は、1962年に新たな落ち着き先となる東広島市の日本福音ルーテル西条教会に厳かに贈呈された。

鐘が広島に届けられてから数十年がたち、この話の詳細は忘れ去られていた。しかしキャロライン・ケネディが駐日大使に任命されたとき、当時ルーテル西条教会の牧師で幼稚園長だった鐘ヶ江昭洋さんが、鐘と新大使の関係について園児たちに説明した。すると園児たちは、50年以上前リッキー・ランディンがしたように、自ら進んで米国大使館に手紙を書き、「ケネディの鐘」を見に来てほしいと大使を教会に招待した。

この手紙のことを耳にしたアレン・グリーンバーグ駐大阪・神戸米国総領事は、ルーテル西条教会を訪ね、鐘にまつわる物語を聞いてみることにした。鐘ヶ江牧師が説明できたのは鐘の由来の一部だけだったが、福音ルーテル教会のブルームクイスト牧師の後任牧師がリッキー・ランディンの家族と連絡を取った結果、鐘に関する米国側の話の断片をつなぎ合わせることができた。またボストンのジョン・F・ケネディ大統領図書館博物館の職員が保管文書を探し、リッキー・ランディンとケネディ大統領の補佐官が最初に交わした手紙のコピーを見つけることができた。これで鐘とケネディ大統領の直接のつながりが文書で証明された。

ケネディ大使がルーテル西条教会を訪れると、集まった園児たちが「小さな世界」(It’s A Small World) を歌って出迎えた。まさにその場にふさわしい歌だった。

これに対してケネディ大使は、何十年にもわたってこの日米友好の象徴である鐘を大切に扱ってくれたことにお礼を述べ、ケネディ図書館博物館に保管されていた古い手紙のコピーを額に入れて幼稚園に贈呈した。そして園児たちには「1人の若者の努力が、後々まで世界に影響を及ぼすこともある。それを忘れないようにしてほしい」と話した。