同性婚の権利を全国的に保障した2015年の米国最高裁判所の判決は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア、インターセックス(LGBTQI+)の人々が平等な権利を得る道のりの重要な節目となりました。この判決は、個人、団体、議員による長年の活動の末にもたらされました。彼らの取り組みは、人々の心情と考え方を変え、ついには法律さえも変えたのです。

世論調査は、米国人の間でLGBTQI+の権利、特に同性婚を受け入れる傾向が強まっていることを示しています。

「誰であろうと、誰を愛そうと、どのようなアイデンティティーを持っていようと、全ての人に尊厳と平等の権利がある」。バイデン大統領はこう述べています。

変化は一朝一夕には起こらなかった

2004年、マサチューセッツ州が初めて同性婚を合法化しました。その後に、37の州と首都ワシントンが続きました。そして最高裁判決により、国内のどの州で行われる結婚も合法的なものであると確認されました。同性愛者のカップルは、異性愛者のカップルと同じように連邦政府の恩恵を受け、法の下での保護を受ける権利があります。

2015年6月、全国での同性婚禁止を破棄した連邦最高裁判所の判決を受け、ミシガン州アナーバーで結婚の誓いを交わし抱き合う43年来のカップル、アン・ソレル(左)とマージ・エイデ(右) (© Paul Sancya/AP Images)

2015年6月、全国での同性婚禁止を破棄した連邦最高裁判所の判決を受け、ミシガン州アナーバーで結婚の誓いを交わし抱き合う43年来のカップル、アン・ソレル(左)とマージ・エイデ(右) (© Paul Sancya/AP Images)

しかし、1世紀前には、LGBTQI+の権利が広く受け入れられることなど考えられませんでした。米国初の同性愛者権利団体「ソサイエティ・フォー・ヒューマンライツ(Society for Human Rights)」が設立されたのは1924年でしたが、その1年後には激しい政治的圧力のため解散を余儀なくされました。同性愛行為を禁止する法律は、1962年のイリノイ州を皮切りに次第に廃止されていきましたが、アメリカ精神医学会は、1973年まで同性愛を精神疾患とみなしていました。

最初の大きな変化は1969年6月から起こりました。ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」に警察が踏み込んだことで、暴動が起きたのです。何百人もの抗議者が集結し、活動家グループを鼓舞しました。毎年6月にはこの事件を記念して、ニューヨーク、ウィーン、上海などでゲイプライドパレードが開催されています。

現在、米国では何百もの活動団体が、LGBTQI+コミュニティーを支援する法律や政策を求めて闘っています。活動家はホームレスの若者を支援していますが、その40%がLGBTQI+です。また、LGBTQI+の家族が他の家族と同じように移民権を得ることや、迫害から逃れてきたLGBTQI+の難民が米国に亡命できるよう働きかける活動も行っています。

LGBTQI+コミュニティー外からのサポート

このような運動に対する、家族や異性愛者の「アライ」からの支援が高まっています。LGBTQI+の友人や愛する家族の権利を支持するためです。全米最大の家族・支援者団体であるPFLAGは、約半世紀にわたってこの運動を擁護してきました。

「アライになるということは、『ゲイについての今のジョークは笑えない』と言うだけの単純なことかもしれません」と、PFLAG全国理事会の元理事長でラビ(ユダヤ教の宗教指導者)のデビッド・M・ホロウィッツは述べています。PFLAGのメンバーは、権利擁護活動の一環として、ヘイトクライムを防止する法律の制定など、政府の代表に改革を求めています。

2015年の最高裁判決後、感極まるインディアナポリスの関係者 (© Michael Conroy/AP Images)

2015年の最高裁判決後、感極まるインディアナポリスの関係者 (© Michael Conroy/AP Images)

ホロウィッツは「私たちが議員と話をすれば、彼らの考え方を変えられます」と言います。彼の娘は、大学卒業前夜にレズビアンであるとカミングアウトしました。愛と家族という見地から発言することで、PFLAGのメンバーはリーダーたちに影響を与えることができます。「自分の子どもを愛している人に腹を立てたりはしないものです」とホロウィッツは話します。

ヒューマン・ライツ・キャンペーンには長年にわたる実績があります。1980年以来、300万人以上のメンバーとサポーターが、同性婚の禁止やHIV陽性者の移民禁止を無効にするキャンペーンを展開してきました。2013年には、初めて2名のグローバル・エンゲージメント・フェローをキャンペーンに迎えました。このフェローは、米国外からやって来た若い活動家で、それぞれの出身国のコミュニティーで「目と耳」の役割を果たします。

家族の価値観

保守派の作家でブロガーのアンドリュー・サリバンには先見の明がありました。1989年にニューリパブリック誌に執筆したエッセイで、LGBTQI+の婚姻の平等を呼びかけたのです。同性愛者の結婚を合法化することで、「社会的な結束力、精神的な安心感、堅実な経済を育むことができる」と主張しました。「つまり、家族の価値観の否定ではなく、その延長線上にあるものである」と。

「私たちが成し遂げた進歩を目の当たりにして、とてもうれしく思っています」。メディアにおけるLGBTQI+の表現を監視する団体「グラード(GLAAD)」のセス・アダム元コミュニケーション担当副会長はこう述べました。「これは、半世紀以上にわたる活動家たちの取り組みの成果です」

同性愛者の権利を守る活動家たちには、この先まだ課題があるとアダムは言います。「結婚の平等は一つの到達点ではありますが、ゴールではありません」

バナーイメージ:ワシントンの連邦最高裁判所前で、裁判所の同性婚合法宣言を祝う人々 (© Jacquelyn Martin/AP Images)

*この記事は、ShareAmericaに掲載された英文を翻訳したものです。